
私の机の上には、「だら」というこのHPのきゃらの元となったこしょう入れが
置いてあります。
イタリアのアッシジで手に入れてから10年経過して、
こやつの存在が不気味に意味を持ってきました。
私がよく知らなかっただけなのですが…
彼はウィリアム修道士が属するフランチェスコ派の僧をモデルにしています。
この本を読んでから、彼の存在はちょっと重いな〜という気がしてます 。
…体型はまるまるっとしてはる。
この本。すごく面白いけど。。。読むんじゃなかった。つい、禁断そうな雰囲気に誘われてしもうた!!
知らなければ、幸せに暮らせたろうに。あーあ ブルルンです。
最初に知ったのは、大学の講義でちらっと教材として見た時。
これを原作にした映画のビデオを授業で見たと思います。1990年代の始め頃ですね。
修道院で起きた殺人事件、およびウィリアムが託されたあるミッションの話を基調に、
哲学者エーコさんが、場面場面で変幻自在な文体で織り上げた
知識の迷宮殿堂という感じに複雑な構造を持つ小説で、
興味深い点は沢山あります。しかし。(残念ながらイタリア語はわかりませんが)
これは悲哀の恋愛小説です!!入りすぎて、めっちゃつらぁー!(かった。読後一週間ひきずりました;)
いやーはまった、はまったの、この「薔薇の名前」。
おおーいきなり事件だ、なんだなんだと、ミステリーの行方に気を取られていると、
すっかり本のペースに引き込まれてしまっている!
実は未練まみれ?の男アドソが文字を通じて淡々と訴えかけてきます。
彼の穏やかに悟りきった文字を記した羊皮紙から、
悲しみの毒がじわーっと染み出してきているようです。
ハァ〜。
しかし、何といういくじなし!!アドソ〜しっかりしてよ!
違う生き方もあったんじゃないの?って言いたくても、もう彼は塵になっています。
物語の途中、はずみで、彼は僧としての罪を犯してしまいます。
ばらしちゃうと、女の人と愛し合ってしまいます。メイド・ラブ(あらら)。
中世キリスト者の価値観でがんじがらめの彼は己の罪を悔い、
理性を総動員して彼女を悪魔の誘惑と切り捨て、神への愛を選びます。
そして彼女が捕らえられると、助けるどころか、彼女を見捨てて逃げ出してしまいます。
神への忠誠や教義の意味、正統・異端とは何か、殺人事件の解明、
図書館の迷宮構造、知的好奇心やらといった草々の言い訳を引っ張り出してみたものの、
一度だけ愛し合った娘を、一生忘れる事ができなかった。無理もないです。
後悔して、後悔して、愛した事すら後悔して、僧としての人生を後悔はしてないなんて
嘘ぶきながら、こんなにもページを尽くして手記を残さねばならなかった。*
んじゃないかと、私は思ってしまいました。相当深いというか妄想的な愛の為せるワザ?
深読みすぎ、はたまた読みが足りない、ですかね??ていうか、そう感じたんですよね〜。
皆さんはこの話、どう思われますか?お暇でもあれば読んでみてください。
*日本語訳ハードカバー上下巻、ペーパーバック約500頁
なんだか、あつーく語ってしまった。別に私が、辛い恋を忘れられないとかってわけじゃ、
全然ないですけどぉ。
えー解説によると「薔薇の名前」は、アドソ(Adso or Adson of Melk)
の手記と伝えられる自伝を元にしているとの事です。
つまり本当にあった話らしいのです。
エーコさんは、14世紀にアドソが書いたらしいラテン語手記を、
バレーさんという方が17世紀にネオ・ゴシックフランス語風ラテン語に翻訳したものを、
20世紀の現代イタリア語に翻訳し、小説として整えて発表したそうです。
真偽の程は、まさに、神のみぞ知る、といった所でしょうか。
実話であれ、創作であれ、アドソの辿った人生は数奇で、それを振り返る彼の言葉は
感情に流されず淡々としていて胸を打たれます。どんなに意気地なしでも。
まあ、あの場合しょうがないかな(さっきは、ちょっと厳しく言い過ぎました。ごめんね)。
手記はこう始まります。
「最初に言葉があった、言葉は神と共にあった、そして言葉は神だった」
言葉は神だと言いながら、アドソは彼女とは言葉が通じず、名前すらわからなかった。
それでも愛し合ったんだから、言葉なんか、いらなかったっていう皮肉かな?なんてね。
そして、こう締めくくられます。ラテン語からの無理訳なので、雰囲気だけっすよ。
stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.
「昔の名前はバラが立っている(咲いている)、私達は裸の名前を持っている」
意味不明。日本語訳読んだ方が良さそう。
ちなみに、テキストにはラテン語やら、わけのわからない言語がしょっちゅう出てきますが、
読み飛ばしても、さしつかえなかったですよ。大体でいいのです。雰囲気が大事です。
名前を大切にね〜。
Amen.