コパ・アメリカ・パラグアイ大会-02 (日本選手の到着と練習)



99年 7月に開催された南米選手権、遠いパラグアイに来てしまった「日本代表」の様子をレポートして参ります。ご苦労様です。



編集をしながら・・(2006年 6月01日)

間も無くワールドカップドイツ大会です。前回、前々回に引き続きパラグアイ、日本とも出場します。遥か昔、もう7年も前に当地パラグアイで初めて南米選手権(コパ・アメリカ)が開催されました。南米10ヶ国に招待の2ヶ国を加えての開催が定番で、大体メキシコ、米国、コスタリカの北米の強豪を招待して来ましたが、次回のワールドカップ開催が日本という事で「日本」が招待されるという我々日系社会には思いもかけない展開になりました。当時のトルシエ監督は定規で測ったような人で、南米の雰囲気とは全く異なり、選手とファンとの交流も嫌がるようなタイプでした。

ある選手が怪我で病院に行かなければならずチームと別行動となり、当方の友人が付き添う事になり、単独でアスンシオンに出たそうです。その選手は初めて街を観て喜んでいたそうです。街の見物もファンとの交流も無く線種は缶詰、これでは伸びる選手も頭打ちになると思います。トルシエさんには良い印象を持っていません。他のチームではサインを求められれば嫌な顔一つせずに応じますし、街を散策する姿も見られました。南米はサッカーの国です、それぞれの代表になる選手は超スーパースターですが、偉そうな印象は全くありませんでした。VIP待遇で一番のホテルに泊まりコックを同行して一番弱い・・笑いものになっていました。この時もしジコが監督であったならば当地に来た選手はただ試合をするだけでは無く、もう少しは日系人との交流もあったでしょうし、色々な事を学べた事でしょう。この数年で日本代表も一回り大きくなったように感じます。

日本代表が当地に来て試合をした事を知らない人が増えて来ました。98年当時はインターネットも現在のようには一般的でなく、ウェッブサイトの容量も小さく、写真を掲載する事もままならない状況にありました。以前撮影した写真を出来るだけ多く掲載し、日本選手の到着と練習の部分を掲載しています。文章は当時のままにしています。川口選手のように現在も代表の選手も居ますが、城、名波、井原・・多くの選手は引退されています。懐かしい顔ぶれを見ることが出来ます。



決戦の当日となりました(6月29日)

 いよいよ決戦の当日となりました。朝の天気は厚い雲が覆い肌寒い天候、天気予報はこれから回復に向かうようですが、観戦に行くには少々寒いかも知れません。多くのサポーターは今日アスンシオンに到着する予定です。

 日本の各新聞(インターネット上)ではようやく南米選手権を大きく取り上げていますが、世界特に南米ではこの大会、大きな意義を持っていることは言うまでも無いことです。ワールド・カップそして欧州と南米選手権、ずっと下がってオリンピックというの世界のサッカー大会の順番だと思います。オリンピックは年齢制限があり、若い人の登竜門としての位置付けで、南米選手権よりオリンピックを重視している日本に当地では皆驚いています。それも一次予選だと説明すると全く理解が不可能のようです。

 日本ではこの大会の意義を余り理解されず、ほとんどこの大会大きく取り上げられずに来たのは選手にとっては幸いするのではないでしょうか?日曜日にホテルに到着して食事をして練習している選手を見ていてもとてもリラックスしており、充分に自分の力を発揮するものと考えています。この大会で予選を突破し、ある程度トーナメントで戦えば日本の評価は上がると思います。日本で考えられているよりもずっとこの大会は世界は注目していると思います。幸いにもA組に入りましたので地元パラグアイと同じ組なので、地元の関心は非常に高く(ペルー、ボリビアはしばしば対戦してある程度実力を知っているが日本は未知なので)期待も大きいようです。

 ずばり、日本は予選は突破出来ると思います。ペルーと0−0で引き分け、ボリビアと2-1で勝利、パラグアイには0-3で負け、勝点4となり、A組3位というのが予想です。(大胆な予想?)A組の3位となりますとC組の1位と対戦することになり、アルゼンチンとトーナメントで対戦するということになります。今日のペルー戦、とにかく負けないことが鍵であると思います。開幕戦でもあり皆が注目しています。

 街には大会グッズが溢れて来ています。自動車に旗を付けて走るのが多くなっていますので当方もパラグアイの旗と日の丸と二つ付けて走っています。アスンシオンの街で茶色の自動車でこの二つの旗を付けて走っている自動車を見かけましたら手を振って下さい。

 なお、パラグアイは治安にも気を使っており、競技場の周囲には1,200人の警察官を配置し、全国では11,000人の警察官を配置しているようです。

 まだ日本から当地に来て観戦することは可能だと思います。チケットは再販のを買うしかないかも知れませんが(50ドル近く払う必要があるかも知れません)チケットが手に入らないという事は無いと思います。内山田の新館が28日オープンしてまだ若干空いているようです。航空券もあるようです。1日の試合にはまだ間に合うでしょうね。査証は不要なので、思い立ったら来てみては如何でしょうか?(吉原選手もこれから出かけるのですから)



決戦は明日(6月28日)

 いよいよ大会は明日となりました。前日の28日、アスンシオンは朝から雲が厚く余り天候は良くなく、夕方には突風が吹き雨が激しく降りました夜には雲が切れ天候は回復の見通し気温は下がって来ています。天気予報では明日・29日は晴れ時々曇り(最高気温21度、最低気温10度)との予想が出ています。その後は割合と天気には恵まれる模様です。

 街に出ますと自動車に取り付ける旗を売る人が目立つほか、かなりの人が明日の入場券を売っていました。パラグアイではチケットの再販を罰する法律は無く、取引を制限する事は出来ないそうです。それにしても多くの売人が立ち、思惑でかなりの数の入場券が彼らの手にあると思われます。値段は50ドル(一番良い席)と売人達は言っていますが余り売れ行きは良くないようで、明日試合開始の前にはかなり下がると思います。

 夜に入り中心部を自動車で走ってみましたが、大会グッズを売る人ばかりが目立ち、観戦に来ている外国人の姿は余り目立ちませんでした。


日本チーム、パラグアイ入り(6月27日)

 試合を明後日に控えていよいよ日本チームがアスンシオンに到着しました。予定より多少遅れて正午近くに到着した代表は熱烈な歓迎を受けました。空港に到着するとパラグアイ音楽とダンスで選手一行を迎え秋田選手、呂比須選手などがテレながらも女性達と踊っていました。空港から外へ出ますと当地の日系人が日の丸の小旗を用意しての大歓迎、当地・日系も一気に盛り上がっています。

 その後午後1時過ぎに宿舎となります、ホテル・ヨット&ゴルフに入りました。作者はこちらで待ち構えておりましたが、こちらには日本人・日系人は20人くらいと割合と少なく選手達も意外そうな表情でした。(どこへ行っても何時もサポーターに囲まれているからでしょう)監督、選手に挨拶しても気軽に応えてくれました。井原選手は「ここは冬でしょ、暑いですね」と30度近くにもなった気温の話、城選手は終始にこやかで爽やかな印象、その他選手達は元気そうでした。トルシエ監督は非常に紳士で、ファンの写真撮影にも一所懸命応えていました。

 チームに随行しているコックさんに話を聞きますと「選手の皆さんはとても元気で食欲もあります、基本的には現地の食事を摂りますが、ご飯と味噌汁は毎食用意しています。」と話をしていました。

 その後ホテルで食事を摂り、午後4時過ぎから練習が始まりました。



(写真:ホテルに到着したトルシエ監督)



(写真:ホテルに到着した選手-01)



(写真:ホテルに到着した選手-02)



(写真:ホテルに到着した選手-03)



(写真:ホテルに到着した選手-04)



(写真:ホテルに到着した選手-05)



(写真:ロビーにて-01)



(写真:ロビーにて-02)



(写真:ロビーにて-03)



(写真:城選手)

 ホテルの横の2面あるグランドの下の方を使っての練習が始まりました。観客はホテルの宿泊客、ゴルフのキャディー、日本人の報道関係者、サポーターは数名だけというちょっと少ないものでした。

 蚊が多く刺されながらの練習となりましたが、シュートの練習に力を入れていました。長いロングパスからチャンスを作る練習を盛んにしていました。作者は初めて日本代表チームの練習を見るので普段の練習は知りませんが、とにかくトルシエさんがよく動くのには驚きました。表情たっぷりにジェスチャーを交えて選手と一緒に動き回っていました。 この日の練習は4時から5時半まで1時間半の短いものでした。麒麟がスポンサーになっているのか練習の合間に飲んでいるのは麒麟のミネラル・ウォーターでした。飲み水を日本から持ち込むというのも面白いですね。




(写真:練習前の様子-01)



(写真:練習前の様子-02)



(写真:練習開始-01)



(写真:練習開始-02)



(写真:練習開始-03)



(写真:練習-01)



(写真:練習-02)



(写真:練習-03)


(写真:練習-04)



(写真:練習-05)



(写真:練習-06)



(写真:練習-07)



(写真:練習-08)



(写真:練習-09)



(写真:練習-10)



(写真:練習-11)



(写真:ゴール前で-01)



(写真:ゴール前で-02)



(写真:ゴール前で-03)



(写真:ゴール前で-04)



(写真:ゴール前で-05)



(写真:トルシエ監督頭を抱える)



(写真:トルシエ監督、積極指導-01)



(写真:トルシエ監督、積極指導-02)



(写真:トルシエ監督、積極指導-03)



(写真:トルシエ監督、積極指導-04)



(写真:トルシエ監督、積極指導-05)



(写真:トルシエ監督、積極指導-06)



(写真:即席サイン会)

 各新聞社の方とも少しお話をさせていただきましたが、皆さん真剣にレポートを書かれていました。柳沢選手はマレーシア戦終了直後に当地に来る公算が強いと話をされていましたが、女性問題で代表をはずれたとかでアジア予選で活躍した・Jリーグ2部(J2)コンサドーレ札幌の吉原宏太(21)が加わることになった。



(写真:マスコミ関係者)

 それにしても当地で日本代表を目の前で見る事が出来るとは思いませんでした。到着してから練習まで見ていましたが、選手達は非常にリラックスしている様子でした。ワールドカップの時には日本で騒ぎ過ぎで、選手に非常な負担が掛かって可哀想でしが、今回は日本国内では余り注目されていないので、選手達ものびのびとやっているように見受けられます。

 日本からのサポーターも少しづつは入っているようです。今日到着したサポーターの方に伺うとアメリカンもほとんどサポーターは居なかったと話をしていました。試合まで2日、サポーターの方は明日、明後日がピークになると思います。

 サポーターの中に江藤高志さんがいましたが、彼の話では「チケットを探して街を歩いていたら、5万グアラニの入場券を5万グアラニで売っていた。本物を見た事が無いのでこれが本物かどうか解らないので、買わなかった」と話をしていました。とにかくチケットは出て来るだろうというのが彼の意見でした。


コパ・アメリカ観戦記-02(CTさん)
 
 

私がパラグアイに行ったのは、コパ・アメリカを見るためで、6月30日〜7月12日までしたが、もう遠い過去のように思えます。

 98年12月から、コパ・アメリカ観戦のため、パラグアイ行きを考えはじめ、その際、田中さんのホームページは、欠かせない情報源で、大変役立ちました。毎日のようにアクセスしてました。自宅から、会社から・・・。(笑)

 治安がいいということ、たくさんの試合を見れる旅にしようと、ひとり旅で行きました。

 ブラジルの試合を中心に日程を組んだので、日本の試合は割愛しました。

6/30 出発
7/1  到着。(アルゼンチン対チリ 観戦)
7/2  エステ市へ移動。
7/3  (ブラジル対メキシコ チリ対ヴベズエラ 観戦)
7/4  イグアスの滝観光・ブラジル側
7/5  国境の橋を歩く。イグアスの滝観光・アルゼンチン側
7/6  (ブラジル対チリ メキシコ対ベネズエラ)
7/7  アスンシオン市へ移動。(コロンビア対エクアドル アルゼンチン対ウルグアイ)
7/8  休息日
7/9  アスンシオン市内観光
7/10 (パラグアイ対ウルグアイ)
7/11 (チリ対コロンビア)
7/12 ルケ市観光 夕方帰国
7/13 日本到着。

なんといっても7/10のパラグアイの試合は強烈でした。自由席を買ってしまったため、いざスタジムの中へはいったら、満員でスタンドへ入ることができませんでした。裏の売店のところで、どうしようかと外を見ると、ダフ屋がまだいたので、指定席チケットを買い直そうかなと考えていると、そのうち何人かのパラグアイ人が話かけてきて、アブングスという人とその仲間たちと一緒に観戦することになりました。というか、半ば強引に満員電車のようなスタンド内につれて行かれました。(私の足も動いておりましたが・・)

 ゴール裏の席に落ち着いて、でも、超満員で、後ろを見たら、迷惑そうな顔を した少年がいました。たばこをすってて、斜にかまえてにらまれたので、怖かったけどあいそ笑いをしてごまかしました。とりあえず、私には友達になった強そうな味方(アブングス)がいたので、そこで観戦することを決意しました。

ゴールの真裏は、試合の流れがよく見にくかったけど、席に着けた興奮でいっぱいでした。そのうち、パラグアイにゴールが入って、人々が歓喜で大騒ぎ!暴れ始めました。超満員で暴れていて、前の人にむかってダイビングジャンプしている人もいて、もう大変!なにか事故が起こったら死ぬかもしれないなんて思いました。その光景をすごい!と感動して見ていたら、私の後ろから人がなだれてきて、あっヤバイ・・・・!うまく段下に着地したからよかったけど、こけていたら、どうなっていたか・・・。ほんと、今日はここで死ぬかもしれないと思いました。

 ハーフタイムに、売店の方に休憩しにいったら、サイフがなくなっていました。 これは、完全に私のミスでした。貴重品のポシェットは、斜め掛けしてたけど、リュックも前でしょっていてポショットがリュックの下にある状態で、私の視界から閉ざされていたのでした。ジーパンのポケットには隠し銭があったので、帰りのタクシー代はなんとか。パスポートは無事で不幸中の幸い。ホテルにはまだお金おいてあったので、無一文にはならなかったのですが。

 でもコパアメリカグッズを買おうと、多めにお金を持っていたので、ダメージは大きく、後半は、もう満員の中で観戦する気力がなくなり、売店の所にいました。私はここにいるから、あなたは中へ行ってと言ったのに、アブングスは一緒にいてくれて、また、同じように席があふれて中にはいれない人たちが暇なのか私が珍しいのでしょうか、話かけてきて、その人たちと話をしていました。

 西和和西ポケット辞書が大活躍!売店のおじさんは、自分のマテ茶を飲ませてくれました。試合は結局、パラグアイが負けてしまって、先ほどの歓喜がうそのようで、帰り道は静かでした。でも、落胆している感じはなかったのは、みんな内心ウルグアイの方が強いかなと思っていたのかな??その後、アブングスと仲間たちとビールを飲みに行きおごってもらいました。(ビールの名前、確かピルセン?だった)

 初めて会った人たちと飲みにいくのは、女ひとり、危ないかなと思ったけれど、みんなで行くし、みんな20才前後で、あの席の後ろにいた斜に構えてにらんでた少年とは全く違う。日も暮れて帰り道もよくわからないし、一緒に行くことにしました。

 そこでわかったのですが、アブングスはその集団の親分的存在だったのです。 ビールを注文する時は必ずチェチェンとう子を呼び、お金を渡していました。 私は、親分という単語を調べ、ウステ アモ と言ったら、照れくさそうに ポルケ〜?と言ってました。私はジェスチャーで、あなたはチェチェンに命令しているからと言った。ちがうよと言っていたけど、ズバリ的中だったようです。

 いろんな話をして、最後には、ビビレと言われました。びびれ?辞書で見たら「暮らす」。パラグアイで暮らす・・・?!うれしい言葉でした。少し酔っぱらっているとはいえ・・。(笑)

 旅している最中、ここで暮らしたらどんな風になるのかなーなんて想像してたこともありました。でも、まだ旅してみたい国があったので、それは難しいと言っておきました。言葉もわからない、仕事もできないよと。(我ながら現実的・・・) 言葉はすぐ覚えるよなんて言われたけど。

 9時半を過ぎ、みんなでバスで帰りました。方向が一緒でよかった。帰り道は暗いし、方向わからなくなるので、ひとりだったら、バス乗り場を見つけることができなかったことでしょう。バスは私たちの貸し切り状態でした。バスに揺られながらも、写真撮ったり、話したり。。。泊まっていたのがウルグジャージ広場近くのホテルだったので、私が一番にバスを降りました。話をしていて、どこに泊まっているのかよく聞かれたけど、誰にも教えませんでした。彼らはアスンシオン市の湾の対岸に位置する所にすんでいるようでした。

 夜でなかったら、一緒についていって、彼らの住んでいる所を見てみたいと思いましたが(庶民の暮らしを見たいと)、もう夜10時近くです。おまけにサイフもなくしているし。。。ムーチャスグラシアス 、ムーチャスグラシアスと何度もおじぎして、彼らとはサヨナラをしました。(おじぎって変だったかな?) ニッポン!ニッポン!と、一番元気のいい子が最後までバスから声出してました。私も手をふってニッポンと叫びました。

 この日は、パラグアイの旅で最高に楽しかった日でした。
現地の人と触れあうことができて、本当によかった。楽しかった。

サイフなんてどうでもいいや。って。

 アブングスに住所を聞いておいたので、7月末に日本から写真を送ったのですが、8月末に住所不備で返送されてきてしまいました。(郵便事情が悪いというので、書留で送りました)エステ市で、ブラジル対チリを見た時、パラグアイ人の親子とも写真を撮りました。4歳位と6歳位の子供たちで、写真をほしがり、その子たちのお母さんに住所を聞いておいて、7月末に日本から送ったのですが、こちらはなんと!11月に返送されてきてしまいました。3ヶ月後の返送はショックでした。エステ市の方には着いていると安心していたので。

 いずれも電話番号があるのですが、言葉ができないので、写真は返送されてきたまま手元に保管しているだけです。いつかお届けに行かなくてはと思います。

ありがとうございます。それにしても一番危ないと言われるゴール後ろの席とは!!作者は横から見ていましたが、ちょっと入るのを躊躇いますね、それを言葉も判らない女性が行くとは、恐れ入りました。バスに乗ってウルグアイ公園近くのホテルに戻ったとありますが、何事も起きなくて良かった?と思います。


コパ・アメリカ観戦記-01(YOさん)

 6月28日から7月5日までパラグアイへ行った。正式名称はパラグアイ共和国。首都はアスンシオン市。南米大陸のほぼ中央に位置し、日本とはちょうど地球の反対側になる。日本の約1.1倍の大きさで、赤土に覆われた内陸の平らな国で、東部は世界でも有名なイグアスの滝に面している。気候は亜熱帯気候で、1年を通して高温だが夜と昼の気温の差が大きい。私自身、気温の格差に接し、ブラジルやアルゼンチンなど南米の人達が、冬でも半袖のシャツを着ている意味がよくわかった。データによれば、人口の97%以上が原住民のグアラニー族とスペイン人の混血のパラグアイ人だという。彼らはたいへん温和で親切、また積極的で情熱的だと思った。公用語はグアラニー語とスペイン語。英語は通常まったく使われていないし、学校教育でも教えられていない。通貨はグアラニー。100グアラニーは約4円。USドルも結構使えた。物価は低く、たとえば、コーヒーや紅茶はだいたい3200グアラニー、約128円くらいだった。パラグアイは観光国ではなく、農業国、発展途上国だ。添乗員さんの話によるとパラグアイ政府は今もなお、移民を奨励しているらしい。2〜3年もすればこの国も商業国に変わるかも知れないと思う。今回のパラグアイへの旅の目的は観光ではなかったから、特にどこへも行かなかったが、今思えばイグアスの滝だけでも行っておけば良かったかなと思う。

  ところで、みんなも知っているように、私はサッカーに夢中で、パラグアイへもサッカー観戦、日本代表チームの応援に行ったのだけど、きっと「よく行くよねえ。そんなとこまで。」と思っているでしょう。でも私にとっては、サッカーのおかげで珍しい国へも行けたし、たくさん友達もできたし、もしパラグアイだって行かなかったら、この国のことを詳しく知ることはなかったと思うし、いろんな面でよかったと思う。

 ・・ここからが私の旅の始まり。・・  6月28日、私は水口の2人の後援会員さんと伊丹へと出発した。伊丹から羽田へ行き、リムジンバスに乗り継ぎ成田へ。成田空港で京都、名古屋の2人と合流した。私達のツアーは25人のグループだった。40分遅れで、ロスに向けて出発。9時間10分かかってロスに到着。時差は8時間。給油のため50分間待って、ブラジルのサンパウロに向かう。11時間40分の飛行。サンパウロ空港に着いたころは月夜で夜景がとてもきれいだった。時差は13時間。サンパウロ空港はとても美しく、港内はどこも禁煙だった。2時間40分の乗り継ぎ待ちのあと、3時間のフライトでやっとパラグアイのアスンシオン空港に着いた。全部で27時間20分かかった。5回の機内食はおいしかった。が、きらいな人もいたようだ。あまりにも長時間飛行機に乗っていたので昼と夜の区別がつかなくなっていた。アスンシオンでは時差は12時間。昼と夜がちょうどさかさまだ。よく眠ったので疲れは感じなかった。

 アスンシオン空港は小さくみすぼらしかった。入国審査も荷物検査もとても簡単で、もちろんのことビザはいらない。空港の前で中古のマイクロバスが私達を待っていた。先が思いやられる。でも、現地ガイドの人達は、みな明るく友好的だった。小雨がちらつき、肌寒い。とにかくバスに乗り込みホテルへと向かう。30分ぐらいして市内に入るが大きなビルはない。ホテルらしき美しいビルもめったにない。でも、たまに新しい店を見かけた。道路沿いにコパアメリカに参加する国の国旗が飾られ、壁や柱の至るところにポスターが貼られていた。やっとホテルに着いた。そのホテルはいままで泊まった中で2番目に悪いホテルだった。(ちなみに1番はパキスタン) 部屋は小さく、かべは応急に塗り替えられたようで、窓には鍵がなく鉄格子がはまっていた。とても古い型のテレビはなんとか1チャンネルが映るだけだった。なんてひどいの!期待はしていなかったけど驚いてしまった。まあ、無事に着いたのでほっとした。まず最初に通りに出て両替をした。通りはちょっと恐い感じがした。

  6月29日、その日コパアメリカが開幕した。チャコスタジアムへ向かう前に、ホテルのレストランで早い夕食をとった。食べ物は少し心配だったけれども、その心配はすぐに取りはらわれた。料理は日本とほぼ同じでおいしかった。食後、私達は集合し、スタジアムへ向かった。スタジアムへの行き道でチケットをもらった。始めてみる形だった。クレジットカードのようなプラスチックのカードと、席番号の印刷されたチケットが三つ折にされて組み合わされているものだった。入場料は50000グアラニー(約2000円)、現地の人達にとってはかなり高価だ。そうこうしているうちにスタジアムに着いた。スタジアムはそれぞれの国のチームユニフォームを着たサポーターでいっぱいだった。入場口は厳重な警備で、まず、かばんの中を調べられ、ボディチェックを受けた。それからカードを使って、駅で自動改札を通るようにして入場した。初めての経験だった。この国1番の国立スタジアムにしては、かなり小さく思った。電光掲示板もなく、大きな時計もなかった。

   ところで、ここでコパアメリカについて紹介しましょう。コパアメリカは1916年に世界で初めて大陸規模で開催された、2年毎に南米大陸のどこかの国で開催され、南米1位を決める大会だ。南米の10カ国(アルゼンチン、ブラジル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、チリ、ベネズエラ、エクアドル、コロンビア、ウルグアイ)と、招待国2カ国が参加。今回はメキシコと日本が招待された。パラグアイに住む日本人や日系人の人達が熱心に南米サッカー連盟に、日本を招待するように、はたらきかけたということだ。パラグアイは3月に副大統領が射殺され、治安が悪くなった。戦車が市内に配備され、観光禁止令も発令された。治安はどんどん悪くなり、一方では、建設や修復工事がストップした。パラグアイがコパアメリカの主催を辞退するといううわさが、またたくまに世界中に流れた。が、まもなくして裏で政権を握っていた悪党達が国外に追放され、新しい大統領が就任し、パラグアイに平和が戻った。パラグアイに住む人達みんながコパアメリカの開催をよろこんだそうだ。

 キックオフの時が来た。ドキドキした。キリンカップでは正巳君(井原)は補欠でベンチを暖めた。正巳君がキャプテンとして、先頭でコートに出てきた時にはとてもうれしかった。パラグアイでも、正巳君がスタメンで出場できなくても仕方がないと思っていたので、ひときわうれしかった。試合が始まり、日本は早々に目もさめるようなゴールを決め先制した。日本はずっと優勢だった。後半に入り突然スタジアムにウェーブが沸き起こった。みんなも知っているように日本ではたった一つの波がスタンドを駆け回る。が、本場ではたくさんの波が次から次に生まれ、すごい勢いで駆け巡る。またたく間にスタジアムは奇妙な雰囲気になった。それとともに日本はだんだん元気がなくなり沈んで行った。ペルーの技術的なゴールが決まり日本は追いつかれた。状況は日本に悪くなって行った。が、日本は相手の反則で得たフリーキックで奇跡的にゴールを決めリードした。しかしぺルーは集中を切らさず、たて続けに日本のゴールネットを揺らし逆転。日本は負けてしまった。あのウェーブがペルーに味方したのだと私は思った。結果はともあれ日本は最後までよくやったと思う。

 第一試合と第二試合の間にオープニングセレモニーがあった。民族衣装で着飾った人達が民族舞踊を踊ったり、民謡を歌ったりするのを観て楽しいひとときを過ごした。第二試合が始まるころには、だんだん寒くなり、雨も降ったり止んだりで、とても寒さを感じていたのと、試合が終了した後は交通が混乱するので、試合が終わる前にスタジアムを出た。偶然に日本の選手達がバスに乗り込むのを見かけた。みんなとても疲れているようだった。正巳君を見つけ、声をかけたら微笑んで手を振ってくれた。私達はバスが見えなくなるまで彼らを見送った。

 次の日、6月30日、朝から、日本選手の滞在するヨットホテルへ練習を見に出かけた。ホテルはかなり良くアスンシオンでも1番か2番のようだ。ホテルの前には道路ごしに数面のテニスコートがあり、その奥に2面のサッカーコートがあった。ロビーに入ると、もうすでに何人かのサポーターが来ていた。今日の練習について聞くと4時からだと言う。私達は新しい友達といっしょにホテルで昼食をとることにした。郷土料理だという、何種類かの肉を炭火焼にしたものと、中にいろんな野菜の入った蒸パンのようなものを注文した。うれしいことにこのレストランにはサラダバーがあって、たくさん野菜を食べることができた。生野菜や、温野菜、いため野菜などだ。おいしかった。私達は食卓を囲んで、サッカーや自分達お互いのことを話したり、写真を撮ったりして、楽しい時間を過ごした。

  4時頃になると、ロビーに選手が出てきた。私は正巳君に声をかけて、二言三言しゃべった。なんか疲れているように思った。私達は選手の後についてホテルを出て、サッカー場に行った。彼らの練習を見たけれども、とても簡単でゆるいように思えた。そこにはカメラマンや協会関係者を含めて約60人ぐらいの見物人がいた。パラグアイに来ているサポーターって少ないんだなと思う。同時期に日本ではオリンピック予選があって、サポーターの多くは日本で応援だ。もし同時期でなかったら、もっと多くのサポーターがパラグアイを訪れただろう。そうこうしているうちに、あたりがだんだん暗くなり練習は終わった。そして私達はホテルに戻った。

  私達は日本についての記事の載っている新聞がほしくて、ガイドのミキさんに頼んでみた。そして彼女といっしょに夜の町に繰り出した。通りには出店のような本屋さんがたくさんあって、雑誌や新聞やちょとした小物を売っていた。歩き回ってやっと見つけて、貴重な数社数部を買った。もちろん言葉は通じないけど、覚えたての「いくら?」や「1、2、3、・・」を使ってみた。ちょっと通じるとすごくうれしかった。また、彼女は私達をスーパーマーケットへ連れて行ってくれた。そこでおみやげのクッキィ−やキャンディ、チョコレート、タバコを買った。ホテルへの帰り道で、大きな美しいホテルに立ち寄り軽食をした。サンドウィッチとサラダ、それと洋ナシのジュース。どれもとてもおいしく気に入った。ミキさんの親切がとてもうれしかった。だって彼女の助けがなかったら、とても夜の町へなど行けはしなかったと思う。

  7月1日、今日もまずヨットホテルへ。選手の練習スケジュールを手にいれるためだ。ロビーで待っている間に、エクアドルのけっこう有名な選手に会った。彼らは快く写真をいっしょに撮ってくれた。あれこれしているうちに、正巳君がホテルの周りを散歩しようとロビーに出てきた。ちょっと話しかけた。なんだか元気がなかった。それでもファンの人達に快くサービスをしていた。私は彼に「練習は何時?」と聞いた。彼の話によると4時からだろうということだった。その日の私達の日程は、エクアドル対アルゼンチンの試合観戦になっていた。それで練習を見るのは無理なので、まず、市内に戻り、昨夜見つけておいたレーザーコピーのお店へ行った。その店はレーザーコピーを使って、Tシャツやキーホルダー等にプリントをしていた。私は辞書とメモを駆使して、Tシャツと栓抜きを注文した。もしもっと時間があったなら、彼らはどんなものにでもプリントをしてくれただろうと思う。彼らは言葉がうまく通じないのに、根気良く親切に接してくれたので、友達のような気分になった。みんなでコパのグッズを手に写真を撮った。その後私達は急いでホテルに戻り、遅い昼食をとった。ちょっとわからない料理に挑戦してみたが、どれもけっこうおいしかった。

 昼食のあと再び集合し、バスに乗り込み、ルケスタジアムへ向かった。約40分で到着。観客のほとんどがアルゼンチン人で、彼らの応援は徹底していて、熱のこもったすばらしいものだった。私達は今朝いっしょに写真を撮ったので、エクアドルを応援せずにはいられなかった。とても気楽な気持ちで試合を観戦した。この試合もこのスタジアムでのオープニングゲームだったのでセレモニーがあった。コパアメリカのマスコットのタグアが、こっけいでかわいいしぐさで私達を楽しませてくれた。今日もまた遅くなり、帰るとすぐに眠りについてしまった。

  次の日、7月2日、日本の2試合目がある。私達の旅行社は都並さんと富樫さんを迎えて昼食会を計画していた。都並さんはかつてとても人気のあった有名なサッカープレーヤーで、富樫さんは優秀なサッカージャーナリストだ。その朝、出発までの間に私達はホテルの周りを散歩した。通りに沿ってたくさんのお土産やが並んでいた。そして通路には路をふさぐように露店が商品を広げていた。私達は何か民芸品を探してみた。私はニャンドゥティという、蜘蛛の巣のように編まれたテーブル敷きを買った。また、勝利のおまもり「ミサンガ」も買った。覚えたての言葉が活躍した。川岸に向かって歩く。そこはとても貧しい人が住んでいるように見えた。小屋はこわれかけてきたなく、その景色にはちょっと恐さを感じた。次に大統領官邸に向かった。玄関に大きな庭があり、美しかった。人々はとても友好的に「ジャポネ?」と声をかけてきた。着ている物が、その人の富んでいるか貧しいかを物語っていた。やおやさんでは野菜や果物は、洗わず、揃えずで並んでいて、値段は30センチぐらいのパパイヤが6000グアラニーだった。みかん1ネットは1USドルだった。すべてとても安かった。

 お昼に内山田ホテルで昼食会があった。そのホテルは日系の人が経営していてコパアメリカのために新装されたそうだ。料理はすきやきだ。日本食はひさしぶりだったので、とてもうれしかった。おいしかった。二人のユーモアあふれるスピーチはおもしろく、私達をなごませてくれた。民族音楽やダンスが披露され、私達は楽しいひとときを過ごした。

 昼食後、ホテルに戻り、すばやくユニフォームに着替え、スタジアムに向かった。スタジアムはパラグアイ人であふれんばかりだった。日本人はまばらに少しいるだけで、応援面で、もうすでに負けているという状態だった。選手が入場してきた。正巳君がいない。ショック!でもそんなこと言ってられない。日本を応援しなければと思う。試合が始まり、日本は最初から最後まで防戦一方だった。実力の差ははっきりしていた。日本は4点を許し負けた。その結果には私達誰一人として満足はしなかったけれども、若い選手にとっては、すばらしい、ちょっと苦い国際経験になったと思う。これからに期待しなくちゃ。

 次の日、7月3日、ホテルのレストランで遅い朝食をした。ビュッフェスタイルだが、毎朝全く同じメニューだった。私はパンもハムも野菜ジュースもパパイヤもとても好きだったけど、最後には飽きてしまった。とうとう帰る時がやってきた。空港へと向かう。ちょっとさみしい。空港で搭乗券をもらうのにとても時間がかかった。団体客に慣れていないからだという。空港での買い物は予定外のものをたくさん買ってしまった。私はパラグアイにやってきた記念にパラグアイの国旗を買った。ついにパラグアイを離れる時が来た。長い旅路につく。今思えば、あんなに遠くへ行ったなんて信じられない。また、今回初めて時差ぼけに陥った気がする。昼間は眠くてたまらなくて、いねむりばかりしていた。とにかくパラグアイヘの旅は無事終わった。もしチャンスがあれば、いつか、南米のどこかの国へ行ってみたいと思う。

私の旅におつきあいありがとうございました。

 この方は某旅行会社のツアー観戦ですが、日本の試合を中心に楽しまれた様子ですね。日本で見るよりもずっと間近で選手を観る事が出来て良かったのではないでしょうか?





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