「日本の要塞」由良要塞−友ヶ島地区
友ヶ島第2砲台 


'00/06/25作成)


友ヶ島第2砲台(ともがしまだいにほうだい)

 

所 属

:

由良要塞

起 工

:

明治27年8月

竣 工

:

明治31年4月

備 砲

:

カ式鋼製28口径27cmカノン砲 x 4門(明治31年12月備砲完了)

廃 止

:

太平洋戦争終戦時

首 線

:

200°

射 界

:

NW30°

砲 座

:

4砲座(各1門)

備 考

:

友ヶ島西側の池尻浜の海岸低地、標高約10m地点。

 

 

 

 

 

 

[概 要]

友ヶ島第2砲台は、友ヶ島と淡路島間の紀淡海峡を通過する敵艦隊に対して真 横から砲撃を加えるべく設置された「要撃砲台」であり、その中でも「横射砲台 」に分類される。

敵艦を横から要撃するために、友ヶ島西側北寄りの池尻浜の海岸低地に構築さ れた。

低地に設けられたカノン砲台では、備砲の援護を確実とするため(カノン砲の 場合、敵艦を直射するため砲自体が敵艦側に露出し、敵弾の直撃を受けやすいの である)に砲塔式や隠顕式として構築されるが、友ヶ島第2砲台の場合は、露天 砲台ではあるがコンクリートを主体とした厚い胸檣と横檣を設け、他の砲台とは 構造的にひと味違う特徴を持っている。

終戦時に本砲台は爆破され、現在では右翼側が完全に崩壊し左翼側も半壊状態 で、危険のため立ち入ることが出来ないが、付近はキャンプ場や海岸もあって友 ヶ島の観光地の一つとなっている。


[
友ヶ島第2砲台現地調査]

平成12年5月21日(日)、友ヶ島第5砲台の次に訪れたのが友ヶ島第2砲 台跡です。

 

第5砲台からふたたび海岸線に戻り、友ヶ島の北西岸にそって島の西端の方向 に進みます。

すると、遠く先の方の海岸の突端にレンガ積みの遺構のようなものが見えてき
ました。これが友ヶ島第2砲台の遺構です。

画面右の海岸にレンガの遺構が見えるのが
友ヶ島第2砲台の遺構(崩壊した第1砲座)

山上に友ヶ島灯台(友ヶ島第1砲台の位置)

 

 

 

 

友ヶ島第2砲台は終戦後に爆破破壊されたとのことで、遠くに見える遺構も傾 いているように見えます。

また、付近の海岸には大小のレンガの破片が散らばっており、爆破の際の威力
が相当なものだったことが想像できます。

第2砲台手前の海岸に散乱するレンガ片

 

 



旅館富士屋をすぎて松林を抜けたところに砲台背面の背檣啓開部(入口)が見 えてきました。
背檣は高さ1mほどと低く、そこから入るとすぐ目の前にレンガの塁壁がそび え立っております。

 

 

砲座背面の啓開部(砲台入口)

 

最左翼の第4砲座
正面の胸檣は爆破され崩壊している

 

同じく第4砲座
砲座の左右は背の高い横檣

真っ正面が第3砲座、やや左手に第4砲座、そして右手は第2砲座と第1砲座 ですが、第2砲座から右側はほとんど崩壊しており、また健在な第4,第3砲座 も前面の胸檣が大きく崩れて砲台内部は危険のため立入禁止となっています。

 

第3砲座を背後から撮影
正面の胸檣は爆破され崩壊している

 

第3砲座背後から左翼第4砲座を望む

砲座の後方は深さ5mほどの幅の狭い壕となっており、砲座間の横檣の位置に それぞれ橋が架かっており壕を渡っています。
砲座は横檣からさらに1mほど高くなっており、横檣背面の両側の石段を通っ て砲座面に登れるような構造となっております。

 

 


横檣の内部はそれぞれ棲息掩蔽部となっており、さらにその下部は地下の弾薬 庫があり2段式です。

地下の棲息掩蔽部(弾薬庫)の入口はそれぞれ橋の下にあるようです。

第4砲座から右翼方向を望む
砲座の手前が壕になっている

 

第2砲座と手前の壕
爆破され完全に崩壊している

 

 

最左翼、第4砲座の奥は半地下式の棲息掩蔽部となっており、ここでもさらに 地下の弾薬庫と通じた2段式です。
内部に入ってみましたが、天井には地下の弾薬庫から重い弾丸と装薬を持ち上 げるためのチェーンブロックを吊していたレール状の金具が残っており、その下 部の床面には直径1mほどの大穴が開いていて、この穴(揚弾井)をつかって地 下から上段の棲息掩蔽部まで弾薬を持ち上げていたようです。

 

 

第4砲座左側横檣下の棲息掩蔽部内部
砲側弾薬庫か?

 

同左内部の天井に残るレール
地下弾薬庫から弾丸を揚げる為の

チェーンブロックを掛けていた

 

左写真の下部床面に開いている揚弾井
地下の弾薬庫に通じている

砲台最左翼をまわって前面に出ます。
砲台前面は整地され芝生の広場になっていて、すぐ向こう側はテトラポットの 護岸です。

 

整地される前はおそらく爆破の際に土砂が吹き飛んだままの荒れ地だったはず で、各砲座前面のコンクリートの巨大な胸檣が手前側に傾いて崩壊しているのが よくわかります。

爆破される前はおそらく胸檣面までなだらかに整地されていたはずです。

第4砲座の前面
胸檣が前方に傾斜して崩壊している

 

 

 

 

第3〜第4砲座間
土砂は完全に流出してしまっている

 

第3砲座前面の崩壊状況

また、砲座間の横檣の正面側の土砂も完全に流出しており、なかなか見ること のできない砲台の地下構造が露出しています。
地下の弾薬庫の天井部と思われる部分がおおきく露出していますが、その天井 部はコンクリートでさらに厚く補強されており、敵弾に対する防御が考慮されて いるのが分かります。当時はさらにこのうえに土砂がかぶせられ完全に地下施設 であったのでしょう。

広場は第2砲座の辺りで完全に切れており、おそらく第2砲座から第1砲座の 前面にかけての地盤も爆破の際に完全に亡失してしまったようで、その向こう側 に裸となった第2砲座のコンクリート面(中央に砲座のボルトが残っています) が半ば崩壊しており、さらにその向こう側は完全に崩れてしまった第1砲座のあ とです。

 

 

第2砲座は砲床を残して
完全に崩壊している

 

第2砲座の砲床
備砲を取付けていたボルトが残っている

 

完全に崩壊している最右翼の第1砲座


砲台に辿り着く前の海岸で見たレンガ片はおそらくこの辺りから飛び散った破 片なのでしょう。


[後 評]

第1〜第2砲座の部分が完全に破壊されているとはいえ、第3〜第4砲座にか けての遺構は比較的その形を残しており、低地に設けられた砲戦砲台として、分 厚いコンクリート胸檣や2段式の弾薬庫、その厚い天井部分などの他の砲台とは 違う工夫がなされているのがみてとれます。

できることなら崩壊部分の補強を行い、地下の弾薬庫、左翼側の砲側弾薬庫の 内部を自由に見学できるようにしてもらいたいものです。



おわり

( 以 上 )


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