「日本の要塞」由良要塞−友ヶ島地区
友ヶ島第4砲台 


'00/07/31作成)


友ヶ島第4砲台(ともがしまだいよんほうだい)

 

所 属

:

由良要塞

起 工

:

明治23年11月

竣 工

:

明治25年5月

備 砲

:

28cm榴弾砲 x 6門(明治32年12月備砲完了)

廃 止

:

要塞整理期

首 線

:

SE40°

射 界

:

360°

砲 座

:

3砲座(各2門)

備 考

:

北垂水の東方200m、第3砲台の東北1km、標高85mの山上。

 

 

 

 

 

 

[概 要]

友ヶ島第4砲台は、対岸の加太・深山地区の砲台群と協同し、主に友ヶ島南方 の海面と、中ノ瀬戸、加太の瀬戸一帯の海面を制圧するための砲台である。
また、360°という全周射界を活かし、友ヶ島の周囲全ての海面と、紀淡海 峡もしくは中ノ瀬戸・加太の瀬戸を突破して大阪湾内に侵入した敵艦に対しても その28cmの巨弾を浴びせることができる「砲戦砲台」である。

位置的にも85mという高地に設置された「高砲台」であり、すり鉢状の砲座 により備砲は海上から望見することが出来ないようになっており、敵艦対に対し て非常に有利だといえる。

友ヶ島最大の砲台は28榴を8門もつ第3砲台であるが、この第4砲台も第3 砲台の構造に準じて(備砲は2門少ない計6門)構築されており、地下2層式の 大規模な砲台であった。

なお、友ヶ島の砲台のうち第4砲台だけは大正期の要塞整理計画で廃止となっ ており、第4砲台はそれ以来放棄された。


[
友ヶ島第4砲台調査]

第3砲台から坂道をひたすら下ること約1km、友ヶ島の南東岸にある南垂水 のキャンプ場に出てきました。
この位置で友ヶ島の幅は約300m、振り返ると北垂水の大阪湾側の海が見え ます。

友ヶ島第4砲台と虎島堡塁はここから北垂水を抜け、島の北西岸に沿って北上 した先です。第4砲台に至るには途中で右手に入る山道を進み、虎島堡塁はその まま海岸に沿って進んだ先のようです。
坂道にはいると、目の前に立て看板があり、「虎島は落石のため立入禁止」と のこと。(詳しくは「虎島堡塁」のページをご参照下さい)

 

北垂水から100mほど緩やかに坂を上ったところ、右手前に鋭角に曲がって 山に登る坂道がありました。

ここが友ヶ島第4砲台へつづく坂道の入口です。

第4砲座へ続く山道の入口

 

 

 

 

前回の5月21日の探索では深い藪に阻まれた友ヶ島第4砲台の探索ですが、 今回こそ必ずや、と強い決意で山中に突入です。

友ヶ島第4砲台は大正期の要塞整理計画時に廃止されたため、それ以来80年
近く放棄されたままのはずです。

このため、前回突破を断念した山道も、80年間樹木が繁殖し続けた結果なの でしょう。
とても道とは思えない状況です。藪をかき分け木々の下をくぐり進んでいきま す。

進めば進むほど樹木の繁殖がひどくなってきます。
と、ガサガサッ、と音がするのでそっちの方を見ると、野生の鹿が林の中に消 えていくのが見えました。

さすがに自然の島、友ヶ島です。そういえばあちこちに黒い粒粒が落ちていた のは木の実ではなく鹿の糞だったのです。

道は樹木の繁殖に埋もれている

 

 

 

 

山道の入口から100mほど、前回私の行く手を阻んだツタ状の樹木が茂る位 置までなんとか到着、今回は固い決意で突破を計ります。

崖側からからみつく木々をなんとかくぐり抜け反対側に抜けますが、抜けた先
もまだまだ道は続きます。
どれくらい進んだでしょうか? 

まったく距離感はありませんが、しばらく登ったところで道は左側に折れ、つ づら折りとなってさらに山上へと続いております。

進路を阻むツタの藪

 

 

 

ここからももの凄い樹木です。 さらに数十メートル進んだ地点で、ふたたび 道は藪に閉ざされてしまいました。すでに服はひっかき傷だらけ、腕も赤くミミ ズ腫れに。しかしこれ以上進むことができません。

むりやり突破すればなんとかなりそうな感じもしますが、どうせ抜けてもこん
な状態がずっと続くのならキリがありません。
えい! こうなったらつづら折りをショートカットして崖を真っ直ぐ登ってや る! こう思い、ついに道を進むことをあきらめ、山肌の急斜面を木々に掴まり ながら登り始めました。

すると、意外にも10mほど登ったところで目の前の斜面が消え、ぽっかりと 空き地のようなところに出たのでした。
気づくと土手の上のようなところに立っています。ふと見下ろすと、そこに最 初の遺構がありました。

第4砲台の井戸・貯水槽跡でした。
土手をえぐるように石垣が組まれており、その中にコンクリートの貯水槽があ りました。ついに第4砲台の発見です。

右手は高い土手となっており、土手のふもとに沿って通路のように空き地が続 いています。
そして、その向こう側に建物が見えました。行ってみましょう。

 

建物はレンガと木で造られており、友ヶ島第3砲台の看守衛舎と似ています。

廃屋となっていますが外観は当時の姿をよく保っているようです。


建物の右手はそのまま坂道を下って奥に続いており(第3砲台と似ている)、 また手前の土手のふもとには地下に下りる階段状の壕と、その狭い壕内には土手 下に続くトンネルの入口が開いています。

奥の壕に続く斜路

 

 

 

 

 

門柱と看守衛舎

 

第1〜第2砲台間の
トンネル入口

 

左の画像と同一地点
反対側から撮影


このあたりは第3砲台と同様の構造のようです。(資料によると、第4砲台は 第3砲台の構造と似ているが小規模である、となっています。)

振り返るとそこに砲台入口の門柱が、そして、なんとその先にきれいな坂道が 続いているではないですか。
私が先ほど苦労して登ってきた坂道の他に、もう1本整備された坂道があった のです。
これには本当にガックリ来ました。

地図などで綿密な下調べをしていたのですが、地図には1本しか道が出ていな かったので、手前側にあった坂道が「それ」だと思いこみ、そこから登ってきた のですが、さすがにあの道は廃止扱いで地図に載っていなかったのでしょう。
地図に出ていたのはもう1本の整備された方の道でした。

さて、気を取り直して砲台の調査を開始します。

第4砲台は28榴x6門の砲台です。
すりばち状の砲座が3箇所、先ほどふもとを通ってきた土手の上に築かれてお り、1砲座に各2門ずつ砲床が設けられています。

第3砲台では砲座の前後に胸檣上へ登る石段が設けられていましたが、第4砲 台では背面側に1箇所だけ石段がありました。

 

1.砲座は右翼から第1〜第3の3箇所

2.観測所位置については未確認


3.砲台長位置については階段のみ確認
  (胸檣上は未確認)

4.下の断面図はそれぞれA−B、C−D

  の位置での断面図。

5.胸檣上を地表面とすると
 1)砲座は半地下
 2)砲座間のトンネルが地下1階
 3)右翼・左翼のトンネルと弾薬庫が
   地下2階
  という地下2層式の構造。

6.門柱に通じるつづら折りの坂道が
  正規の軍道。こっちから登りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最左翼の第3砲座
樹木に覆われ立入不能

 

中央の第2砲座
第3砲座よりはましな状態

 

同じく第2砲座
胸檣の構造は第3砲台と同様


中央の第2砲座と左翼の第3砲座を調査しましたが、第3砲座は完全に藪に覆 われており立ち入り不能、第2砲座の方の藪も凄かったですがなんとか入ること が出来ました。この辺りの構造は第3砲台と全く同じです。(以下で述べますが 地下構造なども基本的に第3砲台の設計を踏襲しています。)

各砲座の間隔は約30m、砲座間は半地下式のトンネルで結ばれており、その トンネルの中央には地下2階の地下弾薬庫へ通じる揚弾井(直径1m)が口を開 けています。

 

 

 

第2〜第3砲座間の地下1階
左手前が地下2階に下りる階段

その向こうが砲台長位置へ登る階段入口

 

左の画像の中央部床面に開いている
地下2階弾薬庫に通じる揚弾井

 

 


第3砲台では危険のため揚弾井が封鎖されていましたが、第4砲台では観光客 が来ることを考えていないのか、深い地下へ続く揚弾井がぽっかりと開いたまま で少々危険です。(蓋があることはありますが横にずれて半分開いていました。
ここでも揚弾井の上の天井にレールが設けられており、ここに吊したチェーン ブロックで地下から重い弾薬をつり上げていたようです。

第2〜第3砲座間のトンネルからは、さらに胸檣上へ続く狭い階段が造られて おりましたが、これは第3砲台と同様に、胸檣上の砲台長位置へ登るための階段 だと思います。砲台長位置については見てきませんでしたが、構造的には第3砲 台のものと全く同じだと推測しております。(第1〜第2砲座間にはないはずで す。)

 

トンネルの中央部から、地下2階に下りる階段があります。
ここを下りたところに弾薬庫入口がありますが、この構造は第3砲台の「第1
〜第2砲座間」と「第2砲座〜第3砲座間」の2箇所のトンネルとまったく同じ 構造です。

左の画像は地下1階から地下2階に続く階段を見下ろしたところです。

 

 

 

地下2階のトンネルの先が出口となっています。
左翼側のトンネル(第2〜第3砲座間)は、ちょうど先ほど看守衛舎の右側に
見えた坂道の先の壕内へ出ることが出来ます。

 

 

 

左翼側トンネルから出口方向
を撮影したところ

出口の向こうに棲息掩蔽部

 

右翼側トンネルの入口から
奥の方向を撮影

 

 


また、右翼側のトンネル(第1〜第2砲座間)は第3砲台の地下入口のように 、地上から階段を下りた狭い壕から入るようになっています。
これが先ほど看守衛舎前の空き地の脇にあった地下入口の壕です。

看守衛舎の右側の坂道を下るとそのまま真っ直ぐ壕がつづき、この右手の壁面 に左翼側トンネルの入口が、また左側は棲息掩蔽部が3連並んでいました。

 

 

看守衛舎の奥にある斜路
壕底から撮影したもの

 

壕内の右側に地下2階への入口
左側に3連の棲息掩蔽部

 

棲息掩蔽部


観測所については砲台周囲の藪が深く、右翼第1砲座とともに今回は探索を断 念しましたが、藪の深かった第3砲座の左翼側と、第1砲座の右翼側に観測所の 遺構が残っているはずです。

下りはあとから発見したもう一本の整備された坂道を通って下りました。
最初からこっちから登ってくれば良かった・・・。

こんなに整備された道があったのでした
ちゃんと「第4砲台」の看板まで・・・


[
後 評]

友ヶ島第4砲台は、構造的には第3砲台とほぼ同様ですが、規模としては第3 砲台より小規模なので、よっぽど行ってみたい方以外は第3砲台を見ておけばい いかと思います。(第3砲台は地下2階のトンネルが3本、砲座は4砲座の大規 模なものです。)

ただ、地下2層式の明治期の砲台としては現在見ることの出来る数少ない砲台 遺構のひとつであり、できることなら第3砲台ともあわせて、もう少し整備(樹 木を伐採するとか)したうえで、内部に照明くらい設置して誰でも簡単に見学で きるようにしては如何かと思います。(現状では友ヶ島の砲台遺構のどれもが照 明なしなので、見学される方は懐中電灯必須です。)


おわり

( 以 上 )


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