「日本の要塞」由良要塞−加太・深山地区
深山第1砲台 


'00/08/18作成)


深山第1砲台(みやまだいいちほうだい)

 

所 属

:

由良要塞

起 工

:

明治25年7月

竣 工

:

明治30年9月

備 砲

:

28cm榴弾砲 x 6門(明治31年9月備砲完了)

首 線

:

NW30°

射 界

:

270°

砲 座

:

28榴:3砲座(各2門)

備 考

:

加太町の北方2.2km、海抜122mの山上。

 

 

 

 

 

 

[概 要]
由良要塞、加太・深山地区の砲台のうち紀淡海峡内側の大阪湾内方向を射撃す るために設置されたのが「深山第1砲台」であった。
首線は大阪湾方向とはいえ射界は270°もあり、友ヶ島を越えた紀淡海峡と
加太〜地島間の加太の瀬戸まで充分にその射程内に収めていた。

分類としては、敵艦隊と砲戦を交わすための「砲戦砲台」であり、敵艦の甲板 上に砲弾を降らすことができるよう、また、敵艦からの砲撃に対して安全とする ために標高の高い地点に設けられている「高砲台」である。

備砲の28榴は、1砲座に各2門ずつ計6門が設置され、各砲座の間にはレン ガ式アーチのトンネルが設けられている。

トンネル内には地下設備が設けられ、それぞれ2つの棲息掩蔽部(弾丸庫と装 薬庫)があり、棲息掩蔽部から横に伸びるトンネルより砲座後方の揚弾井に弾丸 が送られ、砲座のクレーンにて地上に引き揚げるようになっていたという。

なお、砲列の右端から東北に約80m、標高140mの山上に観測所が設置され ていた。

昭和20年の終戦で砲台は放棄され、それ以降大蔵省の管理のもと荒廃してい たが、近年、付近に作られた国民休暇村(深山第2砲台跡地)の観光客のために 展望台の公園として整備され、備砲その他備品は全て撤去されているが、現在も 当時の様子を彷彿とさせる立派な遺構が保存されている。

また、砲座前面の胸檣上にのぼると中央に展望台が作られており、晴れた日に はその場所からの大阪湾の眺めは最高である。


[
深山第1砲台現地調査]

平成12年5月20日()午後、由良要塞の探索のために加太の地にやってき ました。
大阪より南海電車にて和歌山市へ、和歌山市図書館で詳細地図を手に各砲台の 場所を特定した私は再び南海電車に、今度は加太に向かう支線"加太線"です。

今晩加太の町に宿を取っていたので、迎えに来てもらうため加太駅から民宿に 電話すると5分ほどで民宿「しおじ」のご主人が車で迎えに来てくれました。
ご主人が「一体こんな所まで何しにきたん?」(当日の私は出張帰りで背広だ ったため)と聞かれるので、「実はこうこう・・・」と要塞跡を見に来た旨を伝 えると、「そうですかぁ、それならその辺りにいくつかありますよ。行ってみま すか?」と。渡りに船とは正にこのこと、足の無かった私はレンタカーを借りる か自転車を借りるか、今晩遅くに合流する友人の車を待つか、どうやって午後一 杯を過ごすかと困っていたのでした。

即座に「お願いします。」というわけで、まずは加太町から約2kmの国民休 暇村(付近には深山第1、第2、男良谷砲台の遺構があるはず)を目指して出発 したのでした。

 

加太の町を北方に抜け県道65号岬加太線を海岸線沿いに北上、途中で今晩泊ま る民宿「しおじ」を通過、城ヶ崎の切り通しを通り抜け深山の部落に入ります。

道路の脇にテニスコートとグランドがあり、ここは国民休暇村紀州加太遊園地
です。ご主人曰く「ここに深山重砲兵の連隊があった。」で、石碑や建物の跡が あるとのこと。

ここは帰りに見ることにして、そこから左(西)に登る山道に入り、ぐんぐん 坂を上って行きました。
400mほど上った地点に駐車場があり、まずはここから探索開始です。(国 民休暇村の宿泊設備はさらにこの先100mほど上です。)

県道65号から国民休暇村に登る坂道

 

 

入口には「砲台探索コース」と書かれており、公園として整備されている様子 です。

 

 



山道は当時の軍道の跡で、レンガ敷きの舗装がなされており、前日降った雨の せいか濡れた落ち葉とレンガに生えたコケのせいで滑りやすく、なかなかの急坂 と言うこともあり上るのにも一苦労。

道は山肌に沿ってつづら折りになっていて、周囲はうっそうとした樹林に囲ま れた自然な姿。

深山第1砲台に至る「砲台探索コース」入口

 

レンガ敷きの坂道
当時の軍道

 

 

 

 

 


ときおり目の前にぶら下がっている蓑虫に驚かされながら上ること約250m 、最初の遺構が見えてきました。

見慣れた門柱、まさに砲台入口に間違いありません。

深山第1砲台入口
道は内部で左に折れる

 

入口の内側広場
画像の左端が入口部分

右手に背檣に登る石段が見える

 

 


入口を入ると右側と正面に石垣があり道は左方向にまがり、門を入った左側は 井戸の跡でしょうか、四角くくぼんだ石垣の壁があり、その先に土塁に上る石段 がありました。

どうやらこの石段は砲台背面の背檣上にのぼるための石段のようです。

 


いったん左に折れた道はすぐに右方向に曲がり、その先に地下式の棲息掩蔽部 が4連構築されていました。

棲息掩蔽部は地上から約2.5mほど低い位置にあり、4連ある棲息掩蔽部の 両端から地上に上る石段が作られております。

また、4連のうち手前の1連の先で微妙に左方向に屈折しており、その方向の 先に砲座跡がありました。

地下式の棲息掩蔽部
地上から壕内を見下ろす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1砲座に2門ずつ、砲は流石にありませんが直径3.5mの見慣れた28榴の 砲床跡が見えます。
砲座の回りは低い石垣でかこまれ、その壁面には弾丸を一時的に収納する砲側 弾丸置き場の凹みが設けられていました。
石垣の上部はそのまま積み土の横檣、前面は胸檣となり砲座は胸檣の上端より 約7〜8mの深さとなります。

 

 

最右翼の第1砲座跡

 

第1砲座の横檣塁壁に残る伝声管
地下弾丸装薬庫に続いている

 

砲台中央の第2砲座
右手前に四角い揚弾井の跡がある


左右の砲床の中央後方、地面に1辺が約1mほどの四角い穴があり、内部は土 で埋められていましたが、これはあとで知ることになりますが地下の弾薬庫から 重い弾丸と装薬を地上に揚げるための揚弾井とのこと。

 

 

砲座は手前から第1砲座、第2砲座、第3砲座と全部で3個所、一番最奥の第 3砲座の2番砲(第6砲床)だけは横檣が崩壊して埋もれていました。

砲座間の横檣に沿って石段が設置されており、ここから背檣上に登れるように
なっています。

最左翼の第3砲座
奥の方で横檣が崩れている

 

背檣に登るために石段

 

 


各砲座の前面中央から胸檣上へ登る石段が築かれており、それを上ると見晴ら しの良い砲台の頂斜面上にでることができます。
この辺りは展望の良い公園として整備されており、ほぼ中央のあたりに東屋が つくられ、丁度家族連れが景色を楽しんでいるところでした。

 

 

左の写真は胸檣上の展望台からの紀淡海峡の眺めです。向かって右側が大阪湾 、左側が太平洋側。

手前の島が地島、左手真中が友ヶ島、そして最奥が淡路島、手前側の海面が深
山第1砲台の射程距離内です。(28榴:射程7900m)

胸檣上は展望台となっている
左手が紀淡海峡、右下が砲座

 

胸檣上からの紀淡海峡の展望

 

 

 

 

胸檣上の最左翼より南方向へ下る山道がありましたが、これはどうやら男良谷 砲台へ続く軍道跡だと思われましたが、私が訪問したときは運悪く工事中で通行 禁止となっており、行くことができませんでした。(平成12年7月1日に再訪 した際には工事が終了しており通行可能でした。男良谷砲台も探索済みです。)


胸檣から石段を下りて再び砲座面へ戻ります。
3個所ある各砲座の間は横檣で区切られておりますが、砲座後方の交通路は各 横檣を貫いてトンネルとなっています。トンネルはレンガ積みの立派なつくりで 、幅も8mほどあり、トンネル内の地上面から地下へ降りる階段がありました。

 

 

第1〜第2砲座間の横檣とトンネル
柵内に地下へ降りる階段と壕がある

 

第2〜第3砲座間の横檣とトンネル
同様の構造

 

地下へ降りたところ
地下に2連 棲息掩蔽部あり

 

 

階段を下りると横檣下の地下に弾丸庫と装薬庫の2つの棲息掩蔽部が作られて いました。一つは弾丸を収納していた弾丸庫、もう一つは装薬を収納していた装 薬庫です。先ほど見えた伝声管は横檣のなかを通ってここまで通じています。

地下棲息掩蔽部のレンガ積み塁壁

 

 

ここまで確かめたところで深山第1砲台の探索は打ち切り、上ってきた道を引 き返して車に戻り、次の深山第2砲台跡の探索にかかることにしました。


[後 評]
付近に国民休暇村が作られたこともあり、公園として整備され立派に保存され ています。
明治中期に構築された初期の砲台の貴重な遺構の一つとして、今後もこのまま 保護され残されることを期待しましょう。


おわり

( 以 上 )


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