「日本の要塞」由良要塞−加太・深山地区
田倉崎砲台 


'00/08/19作成)


田倉崎砲台(たくらざきほうだい)

 

所 属

:

由良要塞

起 工

:

明治35年12月

竣 工

:

明治37年4月

備 砲

:

28センチ榴弾砲 x 6門(明治39年5月備砲完了)

首 線

:

SW25°

射 界

:

270°

砲 座

:

3砲座(各2門)

除 籍

:

終戦時

備 考

:

加太砲台の東南1km、標高120m地点。
現在は「加太町少年の家」の
"家族の広場"という公園となっている。

 

 

 

 

 

 

[概 要]

田倉崎砲台は由良要塞・加太地区の砲台のうち最南端に位置する砲台で、主に 南方の紀伊水道方面の海面を制圧するために設置された。

標高120mという高所に設置された「高砲台」であり、高所から備砲の28 榴の曲射弾道により敵艦隊に砲撃を加えるための「砲戦砲台」である。

加太砲台から田倉崎砲台に至る軍道の途中、田倉崎砲台の手前約100mの高 台上に右翼の観測所が設置されており、その地下の棲息掩蔽部や観測所に登る石 段など残っているが、現在では観測所自体は撤去され展望台に姿を変えている。

砲台自体もレクリエーション施設「加太少年の家」の"家族の広場"というアスレ チック公園に姿を変えており、現在では砲床跡は花壇となったり池にされたりし ているが、砲台全体としては比較的当時の形態をとどめていると言えよう。

砲台最左翼の高台上に左翼観測所があったと思われるが、現在ではそこから砲 座面まで続く滑り台が設置されておりその形跡は何も残っていない。


[
田倉崎砲台現地調査]

平成12年5月21日()、前日の加太砲台での聞き込みによって田倉崎砲台 の位置を「加太少年の家・家族の広場」であることを確かめ、いよいよ田倉崎砲 台の遺構を探索します。(この日の午前中から昼過ぎまで友ヶ島を探索してきま した。)

 

ゼンリンの住宅地図を見てみると、加太砲台(現・和歌山市立少年の家)から 南に続く山道の先に明らかに砲台の遺構と思われる地形が描かれています。

ここが加太少年の家の家族の広場、つまり田倉崎砲台の遺構に間違いありませ
ん。

また、砲台の手前100mの位置にあったと言われる右翼観測所ですが、ちょ うど砲台の遺構から西北西に100mほどのところに怪しい分かれ道がありまし て、建物のような(のちに展望台の東屋と判明)ものがあるようです。

ここも探索の対象とします。

ゼンリン住宅地図より

 

 

前日同様、加太港脇の淡島神社の手前の道から「加太少年の家」(加太砲台跡 地)まで登り、ここに車をおいてまずは前日撮影し損なった加太砲台の遺構を撮 影します。

撮影も終わりいよいよ田倉崎砲台を目指して出発です。

加太砲台の第4砲座の位置に作られた坂道を越えると、海側に「加太少年の家 」のグランドが広がり、山側にはキャンプ施設のようなものが作られています。 ここから道は大きく左(南)にカーブして登りとなり、山の稜線に沿って続いて おります。

 

坂道をひたすら上ること約800m、そろそろ疲れてきた頃やっと下りとなり ます。

距離的にはそろそろかな?と思い周囲の森林を見渡すと、右側手前に鋭角に折
れる登り坂の先に最初の遺構を発見しました。

加太砲台跡から田倉崎砲台へ続く
軍道のあと(ハイキングコース)

 

 

10mほど登ると左手(海側)に高さ3mほどの石垣があり、手前は斜めに石 段となって土塁の上に続いています。(樹木に覆われている)そして、石垣はさ らに続き棲息掩蔽部がひとつ作られておりました。

 

坂道から手前に折れる小径が続く
この先に観測所あとの遺構あり

 

左の写真の奥から手前を撮影
石垣の向こう側に棲息掩蔽部の遺構

 

 

窓は片側だけの小規模な棲息掩蔽部で奥行きもそれ程ありません。

棲息掩蔽部のさらに先に石段が設けられ、2mほど登ったあたりでL字型に右
に折れて土塁上に出られるようになっているようです。

この石段は後回しにしてそのまま石垣に沿って進むと、石垣は左にカーブして 続き、そのまま小高い広場に出たのです。

広場は展望台になっており東屋が2ヶ所作られ、ここから友ヶ島と中ノ瀬戸( 友ヶ島〜地島の間)、そして遠く淡路島まで見渡せます。

ここが田倉崎砲台の観測所の跡地のようです。

 

 

遺構は先ほど見つけたもの以外には特になく、石段を降りて坂道に戻り、砲台 を目指してさらに前進することにしました。

観測所跡(?)から道に戻る石段

 

 

 

 

ここから山道はゆるい下りとなり、200mほど下ると道は大きく右に曲がっ ています。

この曲がり角から石垣が作られており、ここが砲台右翼側の入口なのでした。


石垣に沿って右に曲がると最右翼の棲息掩蔽部の遺構があります。

ここは「家族の広場」というアスレチックの運動公園となっているので、安全 のため子供が入らないよう全ての棲息掩蔽部の入口は塞がれてしまっています。

アスレチックの吊り橋の下をくぐり田倉崎砲台の内庭に入りましょう。

すぐ右手に第1砲座が、1砲座に2門ずつ、それぞれ28榴の直径3.5mの 砲床跡が2つ残されています。

 

最右翼の第1砲座跡 画面向こう側が胸檣(首線方向)
2つの砲床跡は植え込みになっている

田倉崎砲台では、1砲座に2門ずつ28榴が設置され、砲台周囲は高い胸檣と 横檣(背後は開放)に囲まれた半すり鉢式の砲座となっている。
また、砲座の左側の横檣塁壁にそって緩やかな階段状の斜路が設けられ、それ
ぞれ前面の胸檣上へ登れるようになっており、砲座間の横檣下と最右翼の第1砲 座右側の胸檣下にそれぞれ棲息掩蔽部が計3箇所構築されています。。

第1砲座の砲床は植え込みに作り替えられており、また、第3砲座の砲床は池 に改造されていました。

各砲座の周囲は石積みの塁壁でかこまれ、それぞれ14個の砲側弾丸置き場の くぼみが作られています。
また、砲座の右翼側の横檣に沿って緩い傾斜の段付斜路がつくられ、正面側の 胸檣上に登れるようになっています。
さらに胸檣は1段高くなっており、砲座の中心位置に設置された小階段でその 上まで登れるようになっています。(現在はアスレチック施設の一部となってい る様子。)

 

第2砲座は遊戯施設が設置
されている

 

各砲座の右側横檣に沿って
築かれた階段状の斜路(第3砲座)

 

 

第3砲座の左翼には大きな滑り台が設置されていて、最左翼の高台から砲座面 まで滑り降りるようになっていますが、この高台が左翼観測所の位置なのではな いでしょうか。

現在では滑り台のスタート位置まで登るための階段となっていますが、長い石
段が続いているのは当時観測所に登るための石段だったと思います。

第3砲座右側の横檣上から砲座を撮影
砲台最左翼の左翼観測所跡(?)から降りてくる

滑り台が見える(右側が首線方向)
拙い合成ですいません

 

 

 

 

第3砲座の左翼横檣はそのまま後方へと続き、そのふもとに井戸と貯水槽の遺 構がありました。

貯水槽にはコンクリートの屋根がかぶせられており、他ではあまり見たことの
ない形状でした。

第3砲座後方の広場から撮影
暗くて見にくいが画面中央に

井戸と貯水槽があります

 

 

その他見るべき遺構もなく、田倉崎砲台の探索はこれにて終了です。

[
後 評]
田倉崎砲台はアスレチック公園に変貌してその姿を今に残しております。

このため、棲息掩蔽部の内部に入れなかったり砲座も公園のようにいじられて はおりますが、深い砲座や規模の大きな横檣など、明治期の典型的な28榴砲台 の例として今後も少なくても今の状態のままで保存されることを期待します。

おわり

( 以 上 )


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