平成12年春より「予告編」として公開しておりました当Home Pageですが、
このたび「由良」、「佐世保」の既調査分レポートを一部公開いたします。現在は調査活動を停止中ですが、
いままで制作した原稿がだいぶ貯まっておりましたので、折角なのでこのほど部分的に公開させていただいた次第です。
皆様のご参考になれば幸いです。 ただし、一部未完成ですので、ご了承ください。
(平成137月 制作者)

由良要塞 ・ 佐世保要塞 ・ 

  

    

   

由良要塞・友ヶ島第1砲台

 

由良要塞・友ヶ島第4砲台

 

佐世保要塞・石原岳堡塁

 

[ は じ め に ]
1868年の明治維新後、世界の帝国主義の動きへ参入した日本は、西欧列強と肩を並べるために諸外国から様々な技術を導入、国内の近代化を進めていき、軍備の面でも欧米列強に並ぶべく陸海軍の整備が始まりました。
そのなかで、陸軍は日本本土を外敵から守るため、ヨーロッパの列強陸軍から学んだ近代築城学に基づいた近代的な要塞(砲台、堡塁、海堡)を本土の沿岸各地に築造していきました。
まだ航空機の脅威の無かった明治時代では日本各地の要塞群は敵国の艦隊に対する脅威としてその存在価値を大いに発揮したのですが、その後、大正、昭和と時代は移り変わり、これらの要塞施設も次第に時代遅れとなり実戦に使われることのないまま昭和20年の終戦を迎え、日本の近代築城はその歴史の幕を閉じたのです。
しかしその堅固な要塞施設の遺構は、戦後完全に消滅してしまったものもありますが、あるものは自治体の手により公園となり、またあるものは未だに山中に埋もれたままの姿で、またあるものは自衛隊の施設として、今なお各地にその姿を見ることができます。
このページは、こうした旧陸軍の要塞跡の現状を調査しレポートしたもので、興味のある方の参考になれば、と思い作成いたしました。
なお、このページでは歴史解釈や政治的・思想的な解釈などに触れる意図はありませんので、あくまでも要塞の遺構に対する「考古学的興味」の目でご一度頂ければ幸いです。

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