サンタニェーゼ・フォリ・レ・ムーラ教会 1


ローマの北東のピア門を出てノメンターナ街道を2キロほど行ったところ、サンタ・コスタンツァ聖堂のすぐ隣りにサンタニェーゼ・フォリ・レ・ムーラ教会があります。

3世紀末、キリスト教を信仰していた聖アニェーゼはこの教会の場所に住んでいましたが、13歳のときに異教徒の執政官の息子からの求婚を断ったために、現在ナヴォーナ広場となっている競技場近くの売春宿で裸で働くことを命じられました。
しかし奇跡が起こって彼女の長い髪が全身を覆い隠したのです。今度は執政官は火あぶりの刑にしようとしましたが、再び奇跡が起こり炎が分かれてしまったので、結局首を切られて殉教しました。
彼女の殉教した地には現在サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会が建っており、遺体は聖アニェーゼの家のカタコンベに葬られました。そして4世紀にコンスタンティヌス大帝の娘コスタンティーナによって、聖アニェーゼの墓の上に建てられたのが、この「城壁外の聖アニェーゼ教会」なのです。

教会そのものは6世紀、7世紀、その後何度かの改修を経て、現在に至っています。17世紀に地下のカタコンベから聖アニェーゼの遺骸が見つかり、遺骨を祭壇の下に祀りました。

   

教会内部は三廊式で、天井は17世紀初頭に造られた金色に彩色された木製の格天井です。
両側の側廊の上、7世紀の列柱に支えられた部分はマトロネオというビザンチン様式の教会に見られる婦人用のギャラリーになっていて、ローマでも珍しいものです。
   
コリント式の列柱の上のアーチの部分には教皇が描かれたメダリオンがあります。

これはマニアの方には言わずと知れた16世紀初頭のユリウス2世ですが、この教会と何か関係があるのでしょうか?

   

後陣のモザイク「栄光のサンタニェーゼ」も7世紀のものです。

中央にはビザンチンの皇女のような豪華な衣装を着て殉教の火を足下に敷いた聖アニェーゼが描かれており、その両脇には教皇シリチウスとホノリウス1世が控えています。
ホノリウス1世が教会の模型を手にしているのは、この教皇が7世紀に教会を修復したからです。

背景は目もくらむばかりの黄金で、ローマにおけるこの時代のもっとも素晴らしいモザイクの1つと言えます。

   

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