南アフリカの歴史
ダイヤモンドと金でボーア戦争が起きる

<この資料は、同朋社出版の「中部・南部アフリカ」を参考にさせて頂きました>

1488年にポルトガルのバーソロミュー・ディアスが南端の岬「嵐の岬」を発見し、のちに「喜望峰」と改名された。1497年、バスコ・ダ・ガマはナタールを発見した。

1652年にオランダは、現在のケープタウンにオランダ東インド会社の給水基地を設営したヤン・ファン・リーベックの指導で要塞を建設し、奴隷を労働力とし、農業経営を行った。

1795年、フランスの進出を恐れたイギリスが喜望峰を制圧した。その後、1803年から1814年の間はオランダに返還されたが、結局イギリスの植民地となった。

1834年に奴隷制度が廃止されると、労働力を失い大勢の農民が破産した。

1836年、内陸で新天地開拓を決心した何千人ものボーア人(オランダ人)が北の内陸へと向かい、アフリカの部族と衝突が起こった。

1838年、ボーア人の幌馬車隊は、強大な黒人リーダー、ディンカーンに率いられたズールー族と対決し、血の川の闘いで打ち負かした。
やがてボーア人はナタールに居住地を設立し、のちにオレンジ自由国やトランスバール自由国を興した。

1843年にイギリスはナタールを併合した。

1870年、イギリスはキンバリーでダイヤモンドが発見されるとその地域を併合した。

1877年、イギリスはトランスバールを併合した。

1879年、イギリスはセテワヨ率いるズールー王国を攻撃したが、ナタールのイサンドルワナの戦いで敗北を喫した。

1880−1881年、トランスバールのボーア人はズールー族の善戦に勢いを得、第1次ボーア戦争でイギリスを排斥した。

1886年、イギリスのケープ州の首相、セシル・ローズは、ヨハネスブルクそばのウィットワーテルスランドで金が発見されると、一帯の併合を企てた。ローズの友人、リアンダー・ジェームスがトランスバールへ奇襲攻撃をしたが、ポール・クルーガーの率いるボーア人によってつぶされた。

1899―1902年、トランスバール自由国とオレンジ自由国はイギリスに宣戦布告し、第2次ボーア戦争は激戦の末、イギリスが勝利した。

1906―1907年、イギリスはどちらの州にもボーア人の自治権を与えた。

1910年、4つの州が集まり南アフリカ連邦を形成した。連邦政権のもとで白人は圧倒的な優位を確保した。

第1次世界大戦中、南アフリカは同盟国につき、1916年にドイツ領ナミビアを獲得した。第2次世界大戦でも同盟国側で戦った。

(ここまで書いてきたが、読み返してみると、分かりにくい表現が多い。特に、イギリスとボーア人の関係の説明が不足している。参考にしている本がイギリス発行だからだろうか? 南アフリカが第1次大戦で同盟国側についた理由は……イギリス統治下だったから? もし反同盟国側についていたらどうなったのだろうか?)

メモ:南アフリカに進出したイギリスは国家。ボーア人のオランダはオランダ東インド会社で国家ではなかった。