下記は毎日新聞に掲載された「ノーベル文学賞作家 ナディン・ゴーディマさん」のインタビュー記事です。何度となく読んでみましたが、大変興味がある記事ですのでここに紹介したいと思います。(2000.05.19 Yeboo)

人びと 民族 地球    毎日新聞 2000.1.31
人と世界 ---- 21世紀に向けて
ノーベル文学賞作家 ナディン・ゴーディマさん

1923年、ヨハネスブルグ東部の鉱山町生まれ。母は英国、父は東欧出身のユダヤ人で、病弱な幼年期から読書に没頭した。9歳から書き始め16歳から4年に1冊のペースで小説を発表した。アフリカの土地所有をテーマにした「保護管理人」(74年)で英ブッカー賞を、91年にはノーベル文学賞を受けた。アパルトヘイトを背景にした「バーガーの娘」(79年)など邦訳も多い。無宗教。「京都で早朝、寺巡りをしたのが人生ただ1度の宗教的体験」。日本の親友は大江健三郎氏。

全民族に同じ権利と機会を

 

 「地球市民」という言葉を最近よく耳にする。人種や民族、国籍を意識しない時代がいずれ来るという願いが込められているように思える。しかし、実際のところ、人種や民族の垣根はどの程度低くなったのか。つい10年前まで肌の色の違いで国民を分け隔てるアパルトヘイト(人種隔離)政策が横行していた南アフリカ。植民地主義の最後の姿をとどめてきた国は今、「多人種共存」という実験を試みている。罪深き国家の下で生きなければならない個人の閉塞感、良心の葛藤などを描いてきたノーベル賞作家、ナディン・ゴーディマさん(76)に、人種問題について聞いた。

[ヨハネスブルグ・藤原]

南アフリカ 多人種共存の試み

成長につれて偏見

---南アフリカには黒人が7割、白人が1割強、混血はケープタウンに集中し1割程度です。混血が圧倒的に多い中南米などに比べると、人種間の緊張が強い気がします。混血は進むのでしょうか。

 ◆そうは思いません。人々は食べ物から何から何まで自分の文化、習慣にしがみつくものです。南アの白人の間でもアフリカーンス語系(17世紀以降入植)と英語系(18世紀以降入植)の混血は大して進みません。経済や教育レベルを維持するには同じ言語、文化の人同士がくっついた方が効率が良いのです。
 芸術家や作家、ジャーナリスト、政治運動家らあえて出自を気にしない人はよく交わり、夫婦の結束も強いのが常ですが、普通の人はそうはいきません。

---南アの小学生などを見ていると子供には人種偏見がないように感じますが、大人になるにつれて人種間の隔たりが増すようです。

 ◆ええ。実際、ウイッツ大学(ヨハネスブルグの国立大学)をのぞいても、インド人、白人、黒人、皆同胞同士で固まります。中国人や日本人が他民族と手をつないでいる姿もほとんど見かけません。アパルトヘイトの下で教育を受けたから、彼らは特殊なのかもしれませんが。
 では、今の6〜10歳あたりの子はどうか。将来は自然な形で混血が進むかもしれませんが、さほど増えないと思います。大事なのは混ざることではなく、全民族に同じ人種、公民権、機会が与えられる社会を築くことです。そうなれば混血が政治的な目で見られることもなくなります。でも、残念ながら南アはまだ皆が同じ機会を与えられているとは言えません。

---米国の黒人は4世紀を経ても、白人との混血率は、新参者のメキシコ系、中国系より低いそうです。

 ◆米国のレイシズム(人種主義)は直しようのない悲劇です。多人種なので米国と南アはよく比較されますが、南ア黒人に比べると米国の黒人は絶望的です。比較になりません。彼らの悲劇は自分たちを米国人と思えない所です。代わりにアフリカ人主張する事もありますが、アフリカに来ればそれが誤りだとすぐにさとる。むしろアフリカ人が人種にあまりこだわらず、くつろいでいるのを見て反発を感じるそうです。

母語は故郷

---米国の黒人は米国にいるため、自意識や劣等感が強まったということですか。

 ◆やはり言語、母語の喪失が大きいと思います。母語は故郷だと私は思います。母語を維持していればどこへども故郷を持ち歩ける。でも米国黒人は母語から無理に切り離され、自分たちが何者だったのか、何者なのかを自分たちの言葉で考えることができません。これは悲劇です。

---南ア黒人は母語を守ってきたから良いと。

 ◆はい。奴隷制、強制移住などひどい目に遭っても、ヨハネスブルグのような工業都市に暮らしても、自分たちの文化、習慣を貫いてきました。キリスト教に感化されても原始宗教を守っている。それは彼らに言語という土台があるからです。それに南アは彼らの国です。南ア人は、人種犯罪が悪化する一方の米国よりも上手に、人種犯罪を処理できるはずです。

---南ア白人の人種差別意識は変わりましたか。

 ◆いわゆる本当のレイシストたちの意識はしぼんできたと思います。今、アフリカーナ白人の農村の若者たちは、そちらの方が格好がいいと、黒人ばかりの開拓村の繁華街のディスコやサッカー場に行きたがるそうです。以前は考えられないことでした。今は世代を経て人種差別が消えるのを待つ段階です。でも、この5年間で南アは本当に変わりました。人種問題がこれほど落ち着くと誰が予想したでしょう。

---アフリカの田舎には金銭を使わないでもそれなりに満足して暮らしている人々がまだいます。それも情報社会の波の中で消える運命なのでしょうか。

 ◆そういう社会は孤立していくでしょう。ロマンチックな考えは捨てなくてはならない時代になりました。芸術社会ではアフリカの伝統社会に目を引くものがありますが、住民はもう家電製品や携帯電話なしでは暮らせない。質素を善とするマハトマ・ガンジー(インド独立の指導者)のスタイルでは無理なのです。アフリカも末端ながら世界の競争に参加しなければならないでしょう。

---アジアは権威主義的ながら地域性のある民主主義を定着させ、中南米は米国の押しつけが功を奏し、大方、民主化を果たしました。でも、アフリカはまだ表面的です。民主主義は定着するのでしょうか。

 ◆今のアフリカには、米国のように内政に介入してくるおせっかいな国がいません。米やフランスは石油、ダイヤモンドの利権にからんでくる程度です。民主選挙をしても負けた方は「不正だ」といって結果を受け入れない。部族主義も根強く結果に反映されます。政権を握ると、指導者たちは援助の金でスイスの豪邸やヨットを買ったり。
 タボ・ムベキ(南ア大統領)が立派なのは、こういうアフリカの悪政を批判している点です。南アが見本になれば追従する国もあると思うのですが、なかなかまだうまくいきません。

分配の秩序創造

---情報通信の急速な発達で、個人が入手できる情報量は、米国とアフリカの場合、雲泥の差です。世界の貧富の差はどんどん広がっているようです。

 ◆20世紀には2つの大きな失敗がありました。1つは共産主義の失敗です。もう1つは資本主義です。確かに資本主義は一部の人々には成功だったかもしれません。でも少数の金持ちと大多数の貧困層という結果を生みました。
 資本主義は世界の資源を管理する方法をもたらしましたが、その資源を分配する方法を持ち得ませんでした。その結果、今、世界は新たな秩序を作らねばならない危機を迎えつつあります。
 では、どのような新秩序をどうやってつくるのか。いくら考えても、私の洞察を超えたものと言うしかありません。本当に残念です。