南アの新聞に掲載されたマンデラ前大統領の写真です

 

2002年7月
マンデラ前大統領、84歳の誕生日

1994年5月の制憲選挙で、南ア初の黒人大統領就任が
確定的になった時、新聞に掲載された記事です

寛容訴える「本物の紳士」 ナルソン・マンデラ氏 (75)

 出会った人はだれもが「本物の紳士」とか「温かい人柄」と評する。政治姿勢が「頑固」「古風」の風評はあっても、その人柄の悪評は耳にしたことがない。
 1918年、南ア・トランスカイに生まれた。世界の大半の指導者との違いは、同年配の人々が第一線から引退する高齢で、全く新しい国家を基礎から作り直す重責を担ったことだろう。
 コーサ族の名家の出身で、52年、故オリバー・タンボ前アフリカ民族会議(ANC)議長と一緒に、南アで初めての黒人弁護士事務所を開設した。南アは当時、アフリカーナー(欧州大陸系白人)の国民党が、黒人をアパルトヘイト(人種隔離政策)の奴隷制度に組み込みつつある時代だった。
 1912年に発足したアフリカ最古の解放組織ANCとの出会いは、44年のANC青年同盟の結成参加だった。カリマス的指導力を不服従運動などに発揮、頭角を現すのに時間はかからなかった。
 60年代に入って、ANC非合法化など南アの閉塞(へいそく)的現実に直面したANCは長年の平和路線を放棄、武装闘争路線の選択を余儀なくされた。この路線変更でも決定的役回りを演じ、61年、武闘部門の「民族の槍(やり)」(MK)を創設、最高司令官になった。
 逮捕、投獄、国外脱出などを経て、62年、再逮捕され、最終的に反逆罪などで終身刑を受ける。「肌の色にとらわれない南アを築く理想のためには、一命をささげる覚悟がある」と、静まり返った法廷で述べた氏の感動的弁論は今に語りつがれている。
 90年2月デクラーク現大統領のアパルトヘイト撤廃方針の一環で、自由の身となる。釈放後の第一声で、熱狂的に出迎えた孫の世代に当たる黒人の若者らに、武闘路線ではなく、寛容の精神、人種融和の大切さを訴えた。91年7月、朋友タンボ氏の死去に伴い、ANCの議長を継承した。
 長身、スリムなスタイル。今も毎朝4時に起床、体をほぐすのが日課。記憶力が抜群で、数日前に説明を受けた細かな数字を正確に反復できる。
 ウィニー夫人(59)は獄中生活の心の支えだったが、夫人の殺人事件関与疑惑から92年半ばから別居した。

(ヨハネスブルク)94.5.2読売