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 1993年の南アフリカ 

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No.3 1993年7月

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複数政党間制憲交渉会議は、これまで、白人与党「国民党(NP)」と最大の黒人勢力「アフリカ民族会議(ANC)」の2党間交渉との他勢力からの批判がありました。

複数政党間制憲交渉会議は、今月2日、26政党・団体参加の交渉フォーラムを開催し、全人種参加制憲議会選挙の来年4月27日実施を決定しました。

しかし、アパルトヘイト(人種隔離政策)復活を求めてきた白人右派政党「保守党」は17日、アフリカーナー(オランダ系南ア白人)の”民族自決権”を最優先課題とする同党の主張が軽視されていることを脱退理由として掲げ、今後、同会議で起草される暫定憲法に、同党の意思が反映されない限り、会議に参加しないと言明しました。

さらに、南東部ナタール州での支配権保持を目指す黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」も、最大勢力ANCに対抗して、25日、ヨハネスブルグで、現在の民主化路線反対の大規模デモを展開し、脱退を表明しました。

保守党など白人極右派はIFPと共闘し、闘争は黒人対白人ではなく、双方の穏健派対過激派という図式になり、無差別テロの様相を呈してきました。

当時のインカタ自由党デモ?

南アの新聞から

《今月の主な掲載内容》

1.デクラーク大統領(当時)とマンデラANC議長(当時)のプロフィール
 この選挙の内容を理解しやすくするため、デクラーク大統領(当時)とマンデラANC議長のプロフィールを掲載しました。

2.無差別テロ様相
 ケープタウンで、黒人武装集団が教会を襲撃、礼拝中の白人12人を殺害。これに対し、ヨハネスブルグではタクシーを待っていた黒人女性7人のグループを、車で通り掛かった白人3人組が報復銃撃。
 ヨハネスブルグ郊外のタウンシップ(旧黒人居住区)で黒人抗争事件が起き29人が死亡。今月に入ってから死者はすでに100人近く。黒人同士の政治暴力事件の死者は、過去8年間で約1万5千人にも上る。

3.複数政党間制憲交渉会議から右派政党離脱
 白人右派政党「保守党」は会議に意思が反映されないなら参加しないと言明。「インカタ自由党(IFP)」も、最大勢力「アフリカ民族会議(ANC)」に対抗して脱退を表明。
 デクラーク大統領は、IFPのマンゴスツ・ブテレジ議長と会談後、同党不在のまま会議を続行すべきではないとの見解を明らかにした。これに対してANCは、デクラーク大統領の姿勢に反発。

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《南アフリカのニュース》
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  フレデリック・ウィレム・デクラーク氏の略歴

   1936年3月、ヨハネスブルグ生まれ。父親も政治家。ポチェフ
  ストルーム大卒。
   弁護士を経て72年、国会議員に初当選。78年、郵政相就任。以
  降、鉱山相などの閣僚を歴任。85年、国民教育相兼白人閣僚評議会
  議長。89年2月、国民党党首。同年9月、大統領就任。
   就任直後の90年2月、それまで30年間、非合法組織だったAN
  Cを合法化、マンデラ氏など多くの政治犯を釈放。91年、「人口登
  録法」、「土地法」、「集団地域法」など一連のアパルトヘイト根幹
  法の撤廃に踏み切り、92年3月、改革路線を問う白人信任投票の結
  果、改革に信任を取りつけた。
   現実的な政治手法で、一連の改革も、国際社会への復帰なしに南ア
  の将来は無いとの認識に立つ。現在の改革では、ANCと強調路線を
  取るが、白人の権益保護も忘れていない。

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  ネルソン・ロリフラフラ・マンデラ氏の略歴

   1918年7月、南ア・トランスカイで、コーサ人の名門に生まれ
  る。
  フォートヘア・カレッジ、ウィッツウォーターズランド大学で文学、
  法学を専攻。
   44年、ANC青年同盟創設に参加、52年、非白人として初めて
  法律相談所をヨハネスブルグに開き、反アパルトヘイト闘争を始める。
   61年、ANCの武装組織「ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の
  槍=やり)」創設の中心となる。
   62年8月に逮捕され、懲役5年の刑、さらに64年、反テロ法、
  反逆罪で終身刑を宣告された。
   90年2月に釈放されたが、服役期間は27年半に及んだ。
   釈放直後、ANC副議長に就任。91年7月から現職。ANCを束
  ねることが出来るのはマンデラ氏だけと言われ、黒人解放運動の「象
  徴」とも言える存在となっている。

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南ア 黒人抗争が激化
無差別テロの様相呈す

”民族自決権”軽視に不満

【ナイロビ7月6日】1993.07.07読売

 全人種参加の制憲議会選挙日程を決めるなど大詰めを迎えている南アフリカ共和国の民主化プロセスが、黒人2大勢力の抗争でゆらいでいる。南アからの報道によると、同国の警察当局は6日、ヨハネスブルグ郊外の2つのタウンシップ(旧黒人居住区)で5日夜、黒人抗争事件が起き、少なくとも29人が死亡したと発表した。最大の黒人解放勢力「アフリカ民族会議(ANC)」と、対立する黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」双方の支持者の間の抗争で、両地区内の支配権争いとみられる。これで今月に入ってから死者はすでに100人近くとなり、異常なペースで犠牲者が出ている。
 一連の事件では、射殺、刺殺以外の焼き殺す残酷な手口も見られ、通勤客を乗せたミニ・バス襲撃など、武器を携帯しない市民をも巻き込んで無差別テロの様相を呈している。警察、軍は両地区への増派を決定、各地区も対応に乗り出したが、緊張は依然高い。
 両党の対立は、コーサ人のANCとズールー人のIFPとの民族対立とも言われるが、ANC支持のズールー人も多く数多く、実際には、南東部ナタール州での支配権保持を目指すIFPと、独立志向に反発するANC支持者の政治抗争による。この黒人同士の政治暴力事件の死者は、過去8年間で約1万5千人にも上る。

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南ア制憲会議 白人右派政党が脱退
”民族自決権”軽視に不満

【ナイロビ7月18日】1993.07.19読売

 南アフリカからの報道によると、アパルトヘイト(人種隔離政策)復活を求めてきた白人右派政党「保守党」は17日、複数政党間制憲交渉会議からの脱退を表明、さらに黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)も、保守党と連携して脱退を示唆した。南アでは今月2日、26政党・団体参加の同会議で、全人種参加制憲議会選挙の来年4月27日実施を決定したばかり。
 保守党のハルツェンベルク党首は、アフリカーナー(オランダ系南ア白人)の”民族自決権”を最優先課題とする同党の主張が軽視されていることを脱退理由として掲げ、今後、同会議で起草される暫定憲法に、同党の意思が反映されない限り、会議に参加しないと言明した。

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南ア 黒人武装集団の教会襲撃
民主化プロセスに妨げ
「黒人対白人」全土に

【ナイロビ7月26日】1993.07.27読売

 南アフリカ共和国ケープタウンで25日夜、黒人武装集団が教会を襲撃、礼拝中の白人12人を殺害し、約50人にけがを負わせた事件は、同国で最もリベラルな同市の白人居住区が初めて無差別テロの対象となった意味で、これまで一部地域に限られていた黒人同士、あるいは黒人対白人の政治暴力事件の全土拡大を示唆するものだ。
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 デクラーク大統領は26日、極右、極左両翼の犯罪に対して、黒人、白人双方の穏健派団結するよう演説で呼びかけたが、事件が民主化プロセスの進展を妨げることは必至。
 この事件のほかにも、ヨハネスブルグ郊外で25日夜、黒人間の抗争で8人が死亡。7月中の政治暴力事件の犠牲者は200人を超えるなど緊張感は高まる一方で、黒人、白人とも様々な主張に基づく勢力に分かれるモザイク国家、南アでの民主化の難しさを露呈している。
 教会襲撃という衝撃的事件は、黒人解放勢力、アフリカ民族会議(ANC)と、白人与党国民党中心の民主化路線に反発する黒人急進改革派、「パンアフリカニスト会議(PAC)」による犯行との見方も強いが、現時点では確証は全く無い。
 ただ複数政党参加の制憲交渉会議は26日、交渉促進派主導の暫定憲法草案の審議を開始したが、これに合わせた政治的な犯行であることが明らかだ。
 民主化プロセスの遅延、破綻を望むのは、白人に対する武力闘争継続を宣言するPACだけではない。最大勢力ANCに対抗して権力保持を図る黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」も25日、ヨハネスブルグで、現在の民主化路線反対の大規模デモを展開したばかり。「白人自治」を目指し、連邦制導入という共通の目的を持つ保守党など、白人極右はIFPと共闘している。闘争は黒人対白人ではなく、双方の穏健派対過激派という図式になっている。
 複数政党制憲交渉会議は今月2日、全人種参加の制憲議会選挙の日程を来年4月27と正式決定したが、IFP、保守党などは連邦制導入が保証されない限り、会議不参加の姿勢を続けており、一触即発の状態が続くことになりそうだ。

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南ア 白人が黒人女性射殺

【ヨハネスブルグ7月29日】1993.07.30読売

 南アフリカの警察によると、29日未明(日本時間同日午前)、ヨハネスブルグ南部の路上でタクシーを待っていた黒人女性7人のグループを、車で通り掛かった白人の3人組が突然銃撃、女性1人が即死した。
 白人が公然と黒人を射殺する例は少なく、警察は人種間無差別テロ事件と見て捜査している。25日に南ア第2の都市ケープタウンで黒人5人が教会を襲撃、白人12人を殺害する事件が発生しており、29日の事件はその報復の可能性もある。

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南ア 制憲会議続行に疑問表明
デクラーク大統領

【ナイロビ7月30日】1993.07.31読売

 南アフリカ共和国からの報道によると、デクラーク大統領は29日夜、黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」などがボイコットしたままの状態で現在進められている複数政党間制憲会議について、同党不在のまま会議を続行すべきではないとの見解を明らかにした。これは、同大統領が同日、南東部ダーバンでIFPのマンゴスツ・ブテレジ議長と会談後、語ったもの。
 これに対して最大の黒人解放勢力「アフリカ民族会議(ANC)」は、デクラーク大統領とIFPの姿勢に反発した。

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1994年選挙後の写真

デクラーク副大統領とマンデラ大統領

南アの雑誌から