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 1993年の南アフリカ 

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No.6 1993年10月

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 《今月の主な掲載内容》

1.南アフリカへの制裁が解除される
 先月、来年4月27日に初めて全人種が参加して行われる選挙の現政権と黒人組織などの共同統治機関となる「暫定執行評議会(TEC)」設置草案に合意し、一歩前進しました。
 南アフリカ共和国の民主主義への移行を評価し、アフリカ統一機構(OAU)は9月29日、国連本部で外相会議を開き、アフリカ各国に対南ア経済制裁の解除を呼び掛けた。
 欧州共同体(EC)外相理事会は4日、駐在武官の交換や軍事交流を禁止した南アフリカに対する軍事制裁を解除することに決定した。
 国連総会は8日、南アフリカに対する経済制裁を解除する決議を採択、デクラーク南ア大統領が90年に就任して以来、南ア最大の黒人開放組織「アフリカ民族会議(ANC)」とともに進めてきたアパルトヘイト(人種隔離政策)後の改革路線は正式に国際的認知を得た

2.自治求め右派勢力活発化
 今年の7月に黒人が初めて参加できる新憲法制定議会選挙の日程が決まって以来、黒人を中心に約1500人が抗争事件の犠牲者となっている、と報じられています。
 4つの「独立」ホームランド(部族別黒人居住地域)のうちのボプタツワナ、シスカイが、暫定憲法草案を作成している多党間会議から脱退を宣言しました。
 すでに一切の交渉をボイコットしている黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」、白人右派「保守党」などと「自由同盟」の創設を発表した。これらの勢力は、ANC、国民党を中心とした現在の多党間会議と別な枠組みを作ることによって、武力に訴えても、それぞれの自治権を確保しようとする動きが表面化してきました。

3.デクラーク、マンデラ氏がノーベル平和賞受賞
 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)改革推進の中心となってきたマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長と、デクラーク大統領が15日、ノーベル平和賞を受賞しました。

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選挙後の写真です
クリントン米大統領(当時)と
18年間投獄されたロビン島を訪問

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《南アフリカのニュース》
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南ア経済制裁解除訴え

【ニューヨーク9月29日】1993.10.01共同

 アフリカ統一機構(OAU)は29日、国連本部で外相会議を開き、南アフリカ共和国の民主主義への移行を評価し、アフリカ各国に対南ア経済制裁の解除を呼び掛けた。
 しかし外相会議は、石油禁輸については黒人参加の事実上の暫定政権である暫定執行評議会(TEC)が発足するまで継続すべきだとしている。また南アとの復交は、来年4月の選挙後に発足する新政権の成立後に実施するのが適当としている。

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対南ア軍事制裁解除
EC外相理事会決定

【ルクセンブルグ10月4日】1993.10.06 AP・DJ共同

 欧州共同体(EC)外相理事会は4日、駐在武官の交換や軍事交流を禁止した南アフリカに対する軍事制裁を解除することに決定した。
 核技術移転や警察・軍当局へのコンピュータなどの売却に関する制裁に関しては、制裁の解除を延期することを決めたが、EC当局者は、これらの制裁も来月には解除されるとの見通しを示した。

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黒人急進派武装組織と対話合意 南ア政府

【ヨハネスブルグ10月5日】1993.10.06共同

 5日付の南アフリカのソウェタン紙によると、南アフリカ政府と黒人急進派組織パンアフリカニスト会議(PAC)の軍事部門アザニア人民解放軍(APLA)は、反政府武装闘争の放棄問題などを話し合うため10月末に協議を開始することで合意した。
 協議には政府の治安担当閣僚やAPLA指令官らが参加。開催地としてはリビア、タンザニアなど従来から反アパルトヘイト(人種隔離)運動を支援してきた国が検討されている。
 APLAは武力による白人打倒を公然と主張、昨年末から南ア各地で発生した対白人無差別テロに関与しているとみられる。
 来年4月末には初の全人種参加選挙が予定されており、南ア政府は選挙の円滑実施のためAPLAとの対話に踏み切った。

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国連、南ア制裁解除へ
総会議席復活の可能性も

【ニューヨーク10月8日】1993.10.09読売

 国連総会は8日午前(日本時間同日深夜)、アパルトヘイト(人種差別隔離政策)を理由とした南アフリカとの貿易、投資、渡航禁止など一連の経済制裁を解除する決議案を採択する。全会一致で採択される見通し。同決議案は、石油および石油製品の供給、石油産業への投資禁止に関しては「暫定執行評議会(TEC)が設置された日に解除する」として、年末にも発足予定のTECにあわせ、対南アフリカ制裁の前面解除をうたっている。
 総会決議は先月末、アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラ議長が、反アパルトヘイト特別委員会で経済政策解除を要請、これに応じてナイジェリアなどがまとめたもの。制裁解除は、8日に発効する。
 国連は、南アフリカが長年にわたり実施してきたアパルトヘイトが国連憲章に違反しているとして放棄を要求する一方、74年には国連総会が反アパルトヘイト特別委員会を設置したほか、安全保障理事会も77年に武器禁輸制裁処置を決議、さらに85年には、南アフリカに対する新規投資やクルーガーランド金貨の販売禁止、スポーツ文化交流の禁止などの制裁処置を各国に促す会議を採択していた。
 南アフリカは、1974年の国連総会以来、総会から締め出されているが、今総会期間中に、総会議席復活の可能性もある。武器禁輸の解除は来年の選挙終了まで持ち越される。

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国連制裁解除の南ア
制憲議会選へまだ難問山積
自治求め右派勢力活発化

【ナイロビ10月9日】1993.10.10読売

 国連総会は8日、南アフリカに対する経済制裁を解除する決議を採択、デクラーク南ア大統領が90年に就任して以来、南ア最大の黒人開放組織「アフリカ民族会議(ANC)」とともに進めてきたアパルトヘイト(人種隔離政策)後の改革路線は正式に国際的認知を得た。これで、全人種が参加する来年4月の新憲法制定議会選挙実現までに南アに残されたのは、暫定憲法の作成だけになったが、最終関門通過までには、まだ難問が山積している。
 南アでは、7月に黒人が初めて参加できる新憲法制定議会選挙の日程が決まって以来、黒人を中心に約1500人が抗争事件の犠牲者となっている。ANCのラマポーサ事務局長は「(白人与党)国民党による統治の時代よりも、多くの人々が(改革が始まってから)生命を奪われた」と語り、南ア東部のナタール州など一部地域では、もはや「内戦状態」と言えるほどだ。
 これは、デクラーク大統領率いる国民党とANCが主導する制憲交渉が大詰めを迎えるにつれ、白人、黒人双方にある反対勢力の動きがますます強まっているからだ。
 7日には、4つの「独立」ホームランド(部族別黒人居住地域)のうちのボプタツワナ、シスカイが、暫定憲法草案を作成している多党間会議から脱退を宣言。すでに一切の交渉をボイコットしている黒人右派勢力「インカタ自由党(IFP)」、白人右派「保守党」などと「自由同盟」の創設を発表した。これらの勢力は、ANC、国民党を中心とした現在の多党間会議と別な枠組みを作ることによって、武力に訴えても、それぞれの自治権を確保しようとしている。
 この自由同盟に加わった団体の中には、将来の白人自治州の獲得を目指して、今年5月に誕生した白人極右、保守派の連合体、アフリカーナー人民戦線(AVF)」がある。
 これまで与党国民党を支持してきたオランダ系移民の子孫、アフリカーナーの間では、急激な国民党離れの現象がおきているが、これは、「黒人多数派政権」誕生を懸念する支持者がAVFに流れているためだ。AVFのコンスタン・フィリューン議長は、南ア陸軍幹部などを歴任し、アンゴラ内戦では、同国政権を支持していた旧ソ連、キューバ軍との戦闘を指揮した軍事戦略家。ネオ・ナチと見られる「アフリカーナー抵抗運動(AWB)」と異なり、フィリューン議長の軍部への影響力はいまだに大きく、アフリカーナーの若者に武装部隊への参加を呼び掛けている。
 同議長の呼び掛けに応じるアフリカーナーにとって、デクラーク大統領は、黒人に国家を売ろうとする「裏切り者」になっている。
 黒人に大きな影響力を持つIFPも、自らのホームランドをナタール州に、暫定政府に対する拒否権を持つ強力な自治をANCなどが認めない限り、選挙もボイコットする構えだ。
 暫定憲法は、11月上旬に開会予定の国会で可決される見通しだが、国内の政治勢力がANC、国民党陣営と、AVF、IFP陣営の2つに分かれれば、一層大規模な衝突につながり、交渉はストップ、制憲議会選挙も延期を余儀なくされる事態は十分ある。

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マンデラ、デクラーク氏にノーベル平和賞

【ナイロビ10月15日】1993.10.16読売

南ア、政治抗争は激化
人種から改革方法へ 
対立図式に変化

 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)改革推進の中心となってきたマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長と、デクラーク大統領が15日、ノーベル平和賞を受賞した。「世界で最も醜悪な支配体制」と言われたアパルトヘイト撤廃の功績が評価されたものだが、南アでは現在、改革の進展とともに政治暴力が吹き荒れ、南アの主役となりつつある。

今後が正念場

 アパルトヘイトは40年以上にわたって南アの代名詞となっていたが、デクラーク大統領就任、同大統領によるマンデラ現議長の釈放(90年)以降、この支配体制を支えてきた集団地域法、雑婚法、人口登録法など約5千もの法、条例が廃止され、残るは、政治面での差別撤廃である黒人の政治参加を実現する「1人1票制」での国政選挙だけとなっている。
 これは、両者が、それまでの武力解放闘争を続けてきた黒人と、支配体制維持を図った白人との前面衝突を避けながら、改革を推進してきた成果だ。
 しかし、改革が本格化してから現在までの3年半の間、黒人対白人、または黒人間の政治抗争事件は激増する一方で、ANC系の調査機関、人権評議会によると、この間の政治暴力による死者は1万1千人以上に上る。
 受賞が発表されたこの日にも、ヨハネスブルグ郊外の旧黒人居住区で、殺された黒人6人の遺体が発見された。頻発する無差別テロによる死者はこの1か月間で600人にも上り、白人、黒人を問わず穏健派の住民は、テロの影に脅え、市民生活にも支障が出ている。
 この状況下で、南アの多党間会議は現在、来年4月27日に予定されている史上初の全人種参加による新憲法制定議会選挙に向けて、暫定憲法草案を作成しており、マンデラ氏のANCと、デクラーク氏を党首とする白人与党「国民党」がこの中心であり、南アの今後は二人の指導力にかかっている。
 これに対して、黒人右派「インカタ自由党(IFP)」、「白人右派連合体「アフリカーナー人民戦線(AVF)」など5団体は、最近になって、「自由同盟」を結成、同選挙の実施にあくまで反対し、武力闘争も辞さない決意を見せている。
 白人対黒人から、黒人、白人双方の穏健派対過激派の対立に変った南アでは、穏健な交渉路線を目指す勢力、特にデクラーク大統領に対する風当たりが強い。政権議会選挙は来年4月から予定されており、これからが受賞者二人の正念場といえる。

ネルソン・ロリフラフラ・マンデラ氏の略歴
 1918年7月、南ア・トランスカイで、コーサ人の名門に生まれる。フォートヘア・カレッジ、ウィッツウォーターズランド大学で文学、法学を専攻。
 44年、ANC青年同盟創設に参加、52年、非白人として初めて法律相談所をヨハネスブルグに開き、反アパルトヘイト闘争を始める。61年、ANCの武装組織「ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍=やり)」創設の中心となる。
 62年8月に逮捕され、懲役5年の刑、さらに64年、反テロ法、反逆罪で終身刑を宣告された。
 90年2月に釈放されたが、服役期間は27年半に及んだ。
 釈放直後、ANC副議長に就任。91年7月から現職。ANCを束ねることが出来るのはマンデラ氏だけと言われ、黒人解放運動の「象徴」とも言える存在となっている。

フレデリック・ウィレム・デクラーク氏の略歴
 1936年3月、ヨハネスブルグ生まれ。父親も政治家。ポチェフストルーム大卒。
 弁護士を経て72年、国会議員に初当選。78年、郵政相就任。以降、鉱山相などの閣僚を歴任。85年、国民教育相兼白人閣僚評議会議長。89年2月、国民党党首。同年9月、大統領就任。
 就任直後の90年2月、それまで30年間、非合法組織だったANCを合法化、マンデラ氏など多くの政治犯を釈放。91年、「人口登録法」、「土地法」、「集団地域法」のど一連のアパルトヘイト根幹法の撤廃に踏み切り、92年3月、改革路線を問う白人信任投票の結果、改革に信任を取りつけた。
 現実的な政治手法で、一連の改革も、国際社会への復帰なしに南アの将来は無いとの認識に立つ。現在の改革では、ANCと強調路線を取るが、白人の権益保護も忘れていない。

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1994年選挙前の写真

マンデラ氏、ロビン島から釈放後の写真かもしれません
左はウイニー・マンデラ