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 1994年の南アフリカ 

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No.14 1994年4月 (3)

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 《今月の主な掲載内容》

 全人種参加による初の制憲議会選挙が明日に迫った。26日から3日間の日程で始まる。23日から24日にかけ、ヨハネスブルク中心部で爆弾による爆破事件が発生するなど、テロの不安要因は消えず、情勢は緊迫していた。開票は29日から始まり、早ければ30日にも大勢が判明する見通しであった。

 勝利が確実視されている最大政党「アフリカ民族会議」(ANC)は24日、これまで「インカタ自由党」(IFP)との抗争で本格的な選挙運動行えなかったナタール州のダーバンで支持集会を開き、運動を締めくくった。23日には、ヨハネスブルク郊外の旧黒人居住区、ソウェトのサッカー場で約6万人の支持者を集めて集会を開催した。ネルソン・マンデラ議長は「我々はこの選挙で絶対過半数(3分の2以上得票)をとり、必ず勝利する」と力強く宣した。

 政権党から第2党に転落すると見られて国民党は23日、ケープタウンで最後の支持集会を開いた。参加した数千人の聴衆のほとんどがカラードの人々だった。

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 私は南アフリカに滞在していた時は、新聞を事務所に届けてもらっていた。白人の友人が毎日来て、その新聞を読んでいた。ある時、友人がマンデラ大統領(当時)のニュースを読んでいたので、「マンデラ大統領をどう思う?」と聞いてみた。友人は「マンダーラ」と言い、さらに「いい男だ」と言った。
 「マンダーラ」とは、黒人言語で、部族の信頼される長老という意味だったと思う。
 友人は、アフリカーナーではなく、英国系の白人である。

 私は1994年の選挙の時は南アにいなかった。その数年後の選挙の時には南アに滞在していたことがある。
 町にはポスターが貼られていて、選挙の日は会社が休日になった。でも選挙の話題などほとんどなく、白人の知人たちは全くの無関心のようであった。

 私は、回りの人達がどのような政党を支持しているのか興味があった。

「黒人のEさんは、ズールー語を喋っているので、IFPなのだろうか? でもこれだけの収入を得て生活も安定しているので、ANCかもしれない」
「黒人のSさんは、ノーザン・ソト語を喋っているが、部屋にマンデラ議長の写真を貼っているのでANCなのだろう。でも、マンデラ議長はコーサ族のはずだ」
「アフリカーナーのGさんは、プレトリアへ行くと言っていた。選挙の関連なのだろうか? もしそうならNPではなく、右派なのかもしれない」
「アフリカーナーのHさんは、以前、軍人だったという。徴兵された軍人ではないはずだ。ならばFFかもしれない」
まわりの選挙に全く興味を示していない白人の方たちは、みんなNPなのだろうか?」

結局、彼らの支持している政党について聞いたことがなかった。勿論、アフリカーナーの彼らに、アフリカーナーについて聞くこともなかった。

ソウェトのANC集会

ウルンディでのブテレジIFP議長

(4つの写真とも新聞から)

ダーバンのANC集会

NPのデクラーク大統領

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《南アフリカのニュース》
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南ア選挙 あすから投票 テロやまず情勢緊迫

【ダーバン=24日】94.4.25読売

 南アフリカ共和国初の全人種参加による制憲議会選挙の投票が、26日から3日間の日程で始まる。主要政党は週末にかけ、有権者に最後の支持を訴えた。しかし23日から24日にかけ、ヨハネスブルク中心部で爆弾による爆破事件が発生するなど、テロの不安要因は消えず、情勢は緊迫している。開票は29日から始まり、早ければ30日にも大勢が判明する見通し。

各党、最後の訴え 30日にも大勢判明

 勝利が確実視されている最大政党ANCは24日、これまで「インカタ自由党」(IFP)との抗争で本格的な選挙運動行えなかったナタール州のダーバンで支持集会を開き、運動を締めくくった。23日には、ヨハネスブルク郊外の旧黒人居住区、ソウェトのサッカー場で約6万人の支持者を集めて集会を開催。ネルソン・マンデラ議長は「我々はこの選挙で絶対過半数(3分の2以上得票)をとり、必ず勝利する」と力強く宣した。
 同議長はまた、18歳以上の有権者2,200万人中、白人350万人、カラード(混血)200万人、インド系60万人を除く残りが黒人という人口構成を指摘、「たとえ、黒人の一部がデクラーク大統領の国民党に投票しても、我々が第1党となる」と皮算用を披露した。
 これに対し、政権党から第2党に転落する、と見られて国民党は23日、ケープタウンで最後の支持集会を開いた。参加した数千人の聴衆のほとんどがカラードの人々。
 デクラーク大統領は一連の改革策を打ち出してきた実績を誇示し、「この選挙は我々が長い間待ち望んできた新生南アの真の誕生の最終局面である」と強調。また、カラード社会で黒人主力のANCに対する不信感が根強く、特に西ケープ州では国民党が第1党になる可能性もささやかれているだけに、国民党だけが南アを安定と繁栄に導く、と訴えた。
 土壇場で選挙参加を決めたIFPは24日、敵対するANCの地盤、ソウェトで集会を開催、気勢をあげた。
 IFPの選挙参加で政治的暴力事件の減少が期待されたが、23、24の両日、ヨハネスブルクのANC事務所の近くで爆弾が爆発するなど、不穏な空気は消えていない。
 一方、選挙ボイコットの極右アフリカーナー(欧州大陸系白人)組織「アフリカーナー抵抗運動」(AWB)は妨害工作の激化を示唆するなど、こちらも不気味さを漂わせている。

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南ア共存への出発(1)迫る全人種参加選挙
[アフリカ民族会議]
大統領へ最有力 
獄中闘争27年で神格化

 南アフリカ共和国の全人種が初めて参加する制憲議会選挙が、今月27、28の両日(一部有権者は26日)に行われる。選挙は、アパルトヘイト(人種隔離政策)に代表される、340年にわたって白人少数支配体制に終止符を打ち、多数派黒人主導による多人種共存の新国家を生み出す出発点となる。投票を1週間後に控えた主要政治勢力の動向、支持者の表情を報告する。

マンデラ氏 白人の支持も

【ヨハネスブルク】94.4.19読売

 白人右翼に暗殺されたアフリカ民族会議(ANC)幹部の一周年追悼集会が、今月10日、ヨハネスブルク郊外の教会で開かれた。出席したネルソン・マンデラ議長(75)が「勝利はわれわれに」と演説すると、教会に集まった支持者2,000人は歓喜して踊った。かつての黒人解放勢力ANCは今や南ア最大の政党となった。
 指導者マンデラ議長は黒人だけでなく、一部白人の間でも神格化されている。「(新生南アの)大統領は、マンデラ以外にない」。支持者たちは、踊りながら叫んだ。
 1961年、マンデラ氏は半世紀にも及んだ南ア・アパルトヘイト政府に対する平和的抵抗運動に見切りをつけ、ANCの軍事部門「民族の槍(やり)」を結成して、その中の中心人物となった。国家反逆罪で逮捕された議長は、64年終身刑を宣告された。服役は27年間にも及んだ。議長はこの間、ケープタウン沖の監獄島、ロベン島から世界に向け「信念のために死ぬ覚悟はある」との言葉を送った。議長の半生は、南ア黒人にとっては既に神話化してもいる。
 ANC黒人スポークスマンのロナルド・マムエパ氏(33)が、初めてマンデラ議長に会ったのも、ロベン島だった。当時19歳、議長の獄舎のペンキ塗り係だった。
 議長は、学校に通わず解放闘争に加わった若きマムエパ氏に教育の重要性を説いた。90年議長が釈放された時、その5年前に釈放されたマムエパ氏は、議長の資金援助で基礎教育を終え、「民族の槍」中堅幹部となって、恩人を迎えた。「あれほど自己の規律に厳しい人を知らない」。ロベン島時代に受けた議長の印象は今も強烈だ。
 ANC指導部はマムエパ氏のように反アパルトヘイト闘争過程で議長に心酔した者で構成されている。
 ANC幹部に対する議長のこのカリスマ的指導力があって初めて、白人各派との政治交渉で妥協を重ねながら選挙実施にこぎつけることが出来た。
 南アの白人を含めリベラルな知識層がANCを好意的に見るのも、議長の資質に負うところが大きい。名門ウイットウォータースランド大学のトム・ロッジ政治学部教授(白人)は「マンデラ議長は、自己の権威主義的な部分は克服しようとするまれな政治家だ」と評価する。
 マンデラ議長を選挙戦の前面に押し立てたANCは、南ア人口の約17%を占める議長出身部族コーサ族を中心に、黒人有権者の幅広い支持を得ている。事前の各種世論調査では、60%以上もの得票が予測される。
 しかし、南ア最大の”英雄”、マンデラ議長ですら、「5年間で住宅100万戸を建設」「公共事業により250万人に雇用を」「全国民に10年間の義務教育を」といった耳ざわりのよい選挙公約を繰り返さなくてはならなかった。
 総人口約4,000万のうち、失業者700万人、ホームレス300万人の多くが黒人という現状があるからだ。ANCの選挙勝利で新生南アの大統領就任が確実視される議長だが、その肩には、アパルトヘイトが残した”負の遺産”解決の課題が重くのしかかっている。

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南ア共存への出発(2)迫る全人種参加選挙
[国民党]
全人種政党を標榜 
白人候補者半数割れも

【ヨハネスブルク】94.4.20読売

 今回の全人種参加制憲議会で重大な転換を迎えているのが与党「国民党」だ。1948年以来政権を独占してきた同党は、欧州系白人のアフリカーナーを中心とする政治運営を目指して結成された完全な白人政党だった。アパルトヘイト(人種隔離政策)を確立したのも同党だったが、いまや「全人種政党」を標榜(ひょうぼう)している。
 「私の選挙は圧勝だと思う。選挙民の国民党への期待は膨れ上がっている」
 喜望峰で有名なケープタウンを中心とする西ケープ州の地方区国会議員候補、パトリック・マッケンジー氏(41)は、こう豪語する。同氏は、カラード(混血)だ。
 90年、改革途上の国民党党首、デクラーク現大統領(58)に直接、「価値観を共有するなら入らないか」と誘われ、所属党から国民党に移った。以来、「最も現実的」な政治家として、大統領を尊敬している。
 西ケープ州は、300年前から白人入植者の玄関口。以来オランダ系移民と黒人の間の混血が、数多いことでも知られる。カラードは、南アフリカ共和国の総人口の1割に満たないが、同州では黒人総数を上回る。このため、与党国民党が全国9州のうち、ただ1つだけ、「アフリカ民族会議(ANC)」を抑えることが予測される。
 カラードの間では、もともと国民党支持が圧倒的に多い。カラードは、黒人同様に差別されたが、国民党政権が、白人に近いカラードには早くから参政権を与え、融和政策を取ったことで、多くのカラードの意識は、黒人よりも白人に近い。一般的に黒人よりも裕福なカラードにとって、社会の激変は好ましいものではない。
 国民党の選挙キャンペーンでは、マッケンジー候補などのカラードや、インド系、さらに黒人の候補も演壇に並び、中央のデクラーク大統領がこれら非白人候補と並んで、互いの肩をたたき合ったりと、白人主体の政党でないことを印象付けようと懸命だ。
 同党は、「新生・国民党にとって、候補者の人種は重要ではない」(スポークスマン)として、制憲議会選挙の各候補者の人種を公にしないが、半数以上が非白人のようだ。大統領、現政府の主要閣僚など著名人は、全国区から国会入りを目指すが、同じ200人を国会に送り込むことができる地方区では、非白人候補多数を並べ、「アフリカ民族会議(ANC)」の票を崩す構えだ。
 ある地方区では、国会議員候補の9割が、カラードと黒人となっている。
 これに対し、「選挙民の目を、肌の色、血を最重視して非白人の自由を奪った国民党の過去から遠ざけようとする姑息(こそく)な試みだ」と、吐き捨てるように言うANC幹部もいる。
 国民党は、事前調査では、ANCに次ぐ第2党となる可能性が高いと見られ、マンデラ新大統領、デクラーク副大統領の「国民統合政府」誕生の見方もある。
 しかし、多くの黒人は、今回選挙をアパルトヘイトの過去を審判する選挙ととらえる。「全人種政党」を突如唱え、さらに白人とカラードという少数派同士の同盟策を打ち出した国民党を見る黒人の目は冷ややかだ。

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南ア共存への出発(3)迫る全人種参加選挙
[自由戦線]
埋没恐れ自治要求人 
アフリカーナー新党

【ヨハネスブルク】94.4.21読売

 「ねえ、私たちのこと、どう思っているの。アパルトヘイト(人種隔離政策)にしがみつくクレージー集団かしら」
 首都プレトリアの「自由戦線(FF)」本部で、ボランティアの秘書カリーン・ネフト夫人(39)が、気さくに話しかけてきた。
 FFは、南ア国軍元軍参謀総長のコンスタン・フュリューン氏(60)が先日中旬、選挙ボイコットの白人右派連合組織「アフリカーナー人民戦線(AVF)」から独立、選挙参加のために結成した新党だ。同氏は「有能で高潔」と南ア軍人の尊敬を集める。
 FFの最終目標は、欧州大陸系中心の白人、アフリカーナーの「民族国家(フォルクスタット)」を、正当な憲法上の手続きを経て、新生南ア内で実現すること。国家とはいうものの、目指すのは連邦制下の自治政体で、外交、財政、国防権は求めない。アフリカーンス語を話すアフリカーナーが住民の主体となるが、肌の色による差別はしないという。
 これに対し、黒人や英国系白人は、「多人種、民族を実質的に拒否する姿勢は、アパルトヘイトと変わらない」と、反発する。
 アパルトヘイト下、国家社会の枢要ポストを独占してきたアフリカーナーだが、選挙後に樹立が確実視される最大黒人政党「アフリカ民族会議(ANC)」中心の新政権下では、特権を持たない少数派となる。民族国家追求のFF支持者を突き動かしているのは、「このままでは黒人の中に埋没してしまう」というアフリカーナーの強烈な危機意識だ。
 「熟練した経営手腕のある黒人はほとんどいない。彼らが管理職になったら経済はどうなる」。証券会社部長で、FF支援の管理職ビジネスマンでつくる「行動する管理職委員会」のヨハン・ウェストホイズン会長(39)は、黒人を積極採用するANCの「人種別優遇雇用政策」に反対する。
 ネフト夫人が最も心配するのは犯罪の増加だ。先日、庭に止めておいたマイカーから、ラジオが外され盗まれた。友人の近所では家にいた白人女性が、侵入した黒人男性に暴行された。「有刺鉄線や警報装置をつけても、ダメなの。これでは安心して住めないわ」
 確かに、ANCが合法化され、非常事態宣言が解除された90年以来、治安が悪化している。民間団体「人権委員会」によると、政治暴力による死者は14,000人のも上る。
 ネフト夫人には、ANC合法化と社会不安は軌を一にするように見えて仕方がない。ANCに引きずられた国民党も、アフリカーナーの将来像を真剣に考えているようには見えない。
 アフリカーナー内に支持者を広げるFFのスティーブン・マニンガー広報官(27)は「民族自決は世界の趨勢(すうせい)。300年以上ここに住むアフリカーナーは、固有の言語、文化を守る権利がある」と強調する。
 民族国家樹立が、新生南アフリカのANC主力政権から拒否された場合、フュリューン党首は「暴力に訴えることになる」と、武装蜂起(ほうき)の意思をはっきり表明している。FFにはアンゴラ内戦に参戦した元職業軍人も多い。新生南アの大きな懸念だ。

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南ア共存への出発(4)迫る全人種参加選挙
[パンアフリカニスト会議]
土地返還を強く主張 
怒る黒人、急進策を支持

【ヨハネスブルク】94.4.22読売

 「アパルトヘイト(人種隔離政策)の白人政権は絶対に許せない」。プレトリア郊外に住む黒人女子学生、テボゴ・ボディバさん(21)は3年前を思い出し、声を震わせた。
 南ア政府に追われている政治犯らの国外脱出を助けていた叔父が1981年に逮捕され、10年間拘留された。接見は60日に1回しか許されなかった。釈放された時は、拷問などで弱りきっていた。叔父は釈放後まもなく、体調を回復しないまま衰弱死した。30歳だった。
 新政権の中心となることが確実な黒人最大政党「アフリカ民族会議(ANC)」は、多人種共存を掲げ、白人との融和を訴える。だが、ボディバさんのように白人政権への怒りを忘れられない黒人の中には、急進的な黒人改革派組織「パンアフリカニスト会議(PAC)」の支持者が少なくない。
 PACは、「アフリカ人による民族主義」に基づいた闘争を唱え、白人と共産主義者の影響の排除を訴えたロバート・ソブウェクらが59年、ANCを離脱して結成した。土地は基本的に先住民のものだとして、その返還を強く主張する。
 アパルトヘイトの下では、政府の一方的な決定で、多数の黒人が数十年、数百年間住み慣れた土地を追い立てられた。PACは、その住民がその土地に帰り農業を営みたいと希望すれば、現地主への何らかの補償を払う必要なく、土地は返還されるべきだ、と主張する。
 ANCもこうした人たちへの土地返還を主張している。しかし、遊休国有地の解放が主眼。また、私有地の返還には「地権裁判所」の慎重な審理が必要とし、現地主への相当な補償といった条件をつける考えだ。
 ヨハネスブルク近郊で工場見習いとして働く黒人のフランシス・トコディバリ君(23)の祖父も、故郷を追われた一人だった。先祖を含め140年間住んでいた現在のボプタツワナから強制的に立ち退かされた。数か月かけてたどり着いた現在の土地では、自給用野菜の栽培した認められず、市場に出荷して現金を稼ぐことは許されなかった。
 トコディバリ君は、「子供を学校にやるため、おやじはなけなしの土地、150平方メートルを20年前に売った。おかげで字は読めるようになったけど、食事は友人などにめぐんでもらうしかなく、週2食なら良い方だった」と話し、「返還される土地の補償費なんて言われても、そんな金、どこにもない」と、”無料方式”のPACを断固支持する。
 ゲリラのテロで白人社会を震え上がらせたPACは今年2月、制憲議会選挙への参加を決め、武装闘争停止を発表した。さらに、クラレンス・マクウェツPAC議長は最近、デクラーク大統領と会談し、国外にいるPAC軍事部門「アザニア人民解放軍(APLA)」兵士の新南ア軍への編入を協議した。
 今月上旬の世論調査だとPACは2、3%の得票にとどまると予想されている。しかし、「(投票箱強奪や白人極右による有権者殺害など)自由で公正な選挙が疎外された場合は、武装闘争の再開もありうる」(フィリップ・マツエベ政治教育部長)と、強硬姿勢を打ち出すなど、PACは依然不気味な存在だ。

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南ア共存への出発(5)迫る全人種参加選挙
[インカタ自由党]
「ズールー独立国」ならず 
「多人種共存」方針に屈服

【ヨハネスブルク】94.4.24読売

 マンゴスツ・ブテレジ議長(65)が1975年に創設した「インカタ自由党(IFP)」は、南ア最大民族(850万人)のズールー人が圧倒的多数を占めるホームランド(部族別黒人居住地域)、クワズールを、地盤としている。
 クワズールは、慣習法、独特の分化を持つ「ズールー王国」という部族的世界で、同議長の甥(おい)、ズウェリテニ王を象徴的中心とする。
 この閉鎖的な王国の中で、IFPは、警察力、徴税権を持つ絶対的な権力を握っていた。同時に、民主的闘争を弾圧したため、白人政権にとっては、強硬派の旧黒人解放勢力「アフリカ民族会議(ANC)」より都合の良い黒人穏健勢力ともなった。
 このズールー人保守派による「民族」政党は、白人政権が本格的改革に向った91年以降、従来の権益を守ろうと改革プロセスの妨害を始めた。特に、制憲議会選挙が迫ってからは、強い自治権を持つ「準独立国」の地位を要求。これを認めないANCの勝利が確実な制憲議会選挙を阻むため、「内戦も辞さない」(ブテレジ議長)姿勢をとり、最近の南アの「台風の目」なった。
 しかし、選挙のわずか1週間前の19日、ブテレジ議長は一転して、選挙参加に合意した。「変身」の理由として、議長の2年来の友人でケニア人無任所大使の「友情を基盤とした努力が実った」(交渉関係者)とも指摘される。
 しかし、政府、ANCとIFPとの選挙参加の共同声明は、多少の問題を選挙後交渉に委(ゆだ)ねる余地を残したものの、議長自身が「全面譲歩」を余儀なくされたことを明白に示した。
 議長は、選挙参加と引き換えに、「ズールー王国」の役割、権限を暫定憲法に明記してもらうことになった。しかし、これまで強硬に要求してきた、選挙延期と、地盤クワズールの地方政府の強大な行政権を永久に保証するという2点は、どこにも得られなかった。
 南アの暫定憲法の枠内で、ズールー人固有の文化を保つことは可能だが、これまでの警察力など「独裁国」の基盤は失って、選挙に引きずり出されたわけだ。
 ANC最高幹部で、交渉に当たったシリル・ラマポーサ事務局長(41)は合意の翌日、外国人記者団に対し、即席のたとえ話を笑いながら披露した。
 「目的地に向って砂漠を突っ走る商隊(キャラバン)に、ほえかける犬がいた。商隊が無視していると次第に弱ってきた。やがて犬がおとなしくなったので、商隊は『仕方が無い』と、この犬も連れていってやることにした」。
 多人種共存という目的地を目指すが、民族、部族の勝手な独立を決して認めないとする揺るぎない姿勢を示したもので、ANCの力を背景にした交渉に、ブテレジ議長もついに屈服した、というのが真相だ。
 ケープタウン大学のロバート・シュライアー教授は、IFP一部強硬派が「やはり内戦に持ち込むべきだ」と、逆に議長の譲渡に反発していることに懸念を示す」一方で、「主要な政治家としてブテレジ議長は、もう終わりだろう」と分析している。

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