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 1994年の南アフリカ 

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No.19 1994年5月 (4)

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 《今月の主な掲載内容》

 5月10日、プレトリアのユニオンビルデングでマンデラ大統領の就任式が行われた。
 これは、南アフリカで340年以上にも及んだ少数白人支配体制の終わりを意味しただけでなく、アフリカ最後の植民地支配の終えんを意味した。

 就任式は、南アフリカの国際社会への復帰を世界が認める歴史的な式典となった。列席した約150か国・地域の元首、代表らは、黒人として初の国家指導者となったマンデラ大統領の誕生に惜しみない拍手を送り、新生民主南アフリカの船出を祝った。

 参列国には、マンデラ氏の開放闘争に支援の声を送り続けてきた第3世界もいた。
 パレスチナの民族解放闘争を続けるアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長、アンゴラに派兵し南アフリカ軍と対決したキューバのカストロ国家評議会議長ら、解放闘争の”同士”が顔を並べた。
 米国はゴア副大統領、ヒラリー・クリントン大統領夫人を送った。
 フィリップ英殿下、台湾の李登輝総統なども参加した。

 マンデラ大統領が就任演説のため登壇すると、会場の来賓全員が立ち上がって拍手し、ユニオンビルデングの前庭を埋めつくした15万人近い一般市民も、6色の新しい南ア国旗を振り、大歓声をあげて祝福の渦に加わった。
 マンデラ大統領の宣誓に続き、ヒンドゥー、ユダヤ、イスラム、キリスト教の指導者がそれぞれコーランや聖書を引用して「平和の祈り」を行い、白人、黒人、カラード(混血)、インド系と全人種の融和だけでなく、宗教でもまさに共存を図る南アフリカを出席者に訴えた。

 マンデラ大統領は演説の冒頭、アパルトヘイトの過去を「あまりにも長く続いた異常な人災」「人種差別と人種抑圧の邪悪な思想と実践」などと表現した。しかし、「人々の胸に希望を植えつける闘争に勝利した」と述べ、「すべての人間が誇りを持てる国を造らなければならない」と訴えた。

 <マンデラ大統領の就任演説要旨>

 1.今日、我々は新たに生まれた自由に、栄光と希望を与える。あまりに長く続いた人類への災厄から、すべての人が誇りをもてる社会が生まれなければならない。

 1.恐ろしい抗争に我々の郷土は涙した。また、世界的に人種差別が有害とされるイデオロギーになったため我々の国は世界の人々から軽蔑され、孤立してきた。

 1.我々は、比較的平和のうちに、自由への最後のステップを踏み出すことに成功した。我々は多くの国民の胸に希望を植えつけるべく努力し勝利を収めた。黒人、白人を始めすべての南アフリカ国民が胸を張って歩ける社会を、世界とともに築く段階に入った。

 1.国家刷新のあかしとして、新政府・国民統合政府は、様々な因人に対し、恩赦を発表する。

 1.この日を、この国のすべての英雄と、様々な形で生命をかけてくれた世界の人々にささげる。

 1.すべての国民に、正義と平和、さらに職、パン、飲料水、塩が行き渡るようにしよう。

 1.一部国民が他の国民を抑圧することや、世界の嫌われ者となる不名誉を、この美しい国で決して繰り返しはならない。

 1.これだけの輝かしい偉業を前に、決して日は沈むことはない。アフリカに神の祝福あれ。

マンデラ大統領就任演説

(新聞から)

デクラーク第2副大統領と

(雑誌から)

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《南アフリカのニュース》
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「民主南ア」世界にアピール 大統領就任式
列席150か国の代表祝福

(プレトリア10日)94.5.11読売

 10日プレトリアで行われたマンデラ大統領の就任式は、南アの国際社会への復帰を世界が認める歴史的な式典となった。列席した約150か国・地域の元首、代表らは、黒人として初の国家指導者となったマンデラ大統領の誕生に惜しみない拍手を送り、新生民主南アの船出を祝った。

新国旗に市民歓喜

 この日、参列したアフリカ、アラブ、アジアなど各国代表の色とりどりの民族衣装が、抜けるような青い空に映え、新時代を迎えた南アを、欧米諸国だけでなく、マンデラ氏の開放闘争に支援の声を送り続けてきた第3世界も歓迎していることを印象づけた。会場にはパレスチナの民族解放闘争を続けるアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長、アンゴラに派兵し南ア軍と対決したキューバのカストロ国家評議会議長ら、解放闘争の”同士”が顔を並べた。
 正午過ぎ、マンデラ大統領が就任演説のため登壇すると、会場の来賓全員が立ち上がって拍手。前庭を埋めつくした15万人近い一般市民も、6色の新しい南ア国旗を振り、大歓声をあげて祝福の渦に加わった。
 宣誓に続き、ヒンドゥー、ユダヤ、イスラム、キリスト教の指導者がそれぞれコーランや聖書を引用して「平和の祈り」を行い、白人、黒人、カラード(混血)、インド系と全人種の融和だけでなく、宗教でもまさに共存を図る南アを出席者に訴えた。

経済関係強化の動き

 アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、国連などの国際機関による制裁解除が相次いでいる。現在、顕著なのは、米国を中心に模索されている先進国と南アの経済関係強化の動きだ。
 ブラウン米商務長官は、南アの新貿易・産業大臣に就任が決まっていたアフリカ民族会議(ANC)のトレバー・マヌエル氏を、ワルシャワで先週末開かれた先進7か国(G7)の貿易・経済担当会議に招き、各国にANCの経済政策を説明する機会を設けたほど。ブラウン長官は、南ア入りの際、マヌエル氏とともに空港で記者会見するなど急接近を印象づけた。

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「深い溝埋める時」
マンデラ南ア大統領就任

(プレトリア10日)94.5.11読売

 南アフリカ共和国の全人種選挙で第1党となったアフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラ議長(75)は10日、首都プレトリアの大統領府「ユニオン・ビルディング」で、黒人として初めて、同国大統領に正式就任した。就任式にはブトロス・ガリ国連事務総長や、各国元首など150か国、5千人の来賓が出席。
 新大統領は宣言後、「(過去の)傷をいやす時が来た。国民を分断してきた深い溝を埋める時が来た」と述べ、「暗やみの谷」から南アを導き出すと約束した。また、黒人解放闘争の英雄たちの「夢が実現した」と強調した。さらに、黒人解放闘争を支援してきた国際社会に感謝するとともに、アパルトヘイト(人種隔離政策)の過去を克服、国民和解を目指す決意を表明した。この日の就任式で新政府が正式に発足した。
 「世界最大級」(南ア政府)となった式典に米国が、ゴア副大統領、ヒラリー・クリントン大統領夫人を送ったほか、アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長、フィリップ英殿下、キューバのカストロ国家評議会議長、台湾の李登輝総統などが参加した。
 マンデラ新大統領は演説の冒頭、アパルトヘイトの過去を「あまりにも長く続いた異常な人災」「人種差別と人種抑圧の邪悪な思想と実践」などと表現した。しかし、「人々の胸に希望を植えつける闘争に勝利した」と述べ、すべての人間が誇りを持てる国を造らなければならない、と訴えた。
 マンデラ大統領の就任は、南アで340年以上にも及んだ少数白人支配体制の終わりを意味するだけでなく、アフリカ最後の植民地支配の終えんを意味する。しかし、60年代から始まった他のブラック・アフリカ諸国の独立では、白人支配を追放し、また多くの国が社会主義体制に移行したのに対し、南アには、欧州に帰りを持たない白人が300万人以上もいる。これらが持つ資本、技術無しに、南アの生来は無い、と黒人指導者が認識している点で、他の国の独立とは決定的に異なる。

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 マンデラ新大統領の就任演説 (要旨)
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(ヨハネスブルク10日)94.5.11読売

 南アのマンデラ新大統領が10日行った就任演説の趣旨は次ぎの通り。

 1.今日、我々は新たに生まれた自由に、栄光と希望を与える。あまりに長く続いた人類への災厄から、すべての人が誇りをもてる社会が生まれなければならない。
 1.恐ろしい抗争に我々の郷土は涙した。また、世界的に人種差別が有害とされるイデオロギーになったため我々の国は世界の人々から軽蔑され、孤立してきた。
 1.我々は、比較的平和のうちに、自由への最後のステップを踏み出すことに成功した。我々は多くの国民の胸に希望を植えつけるべく努力し勝利を収めた。黒人、白人を始めすべての南ア国民が胸を張って歩ける社会を、世界とともに築く段階に入った。
 1.国家刷新のあかしとして、新政府・国民統合政府は、様々な因人に対し、恩赦を発表する。
 1.この日を、この国のすべての英雄と、様々な形で生命をかけてくらた世界の人々にささげる。
 1.すべての国民に、正義と平和、さらに職、パン、飲料水、塩が行き渡るようにしよう。
 1.一部国民が他の国民を抑圧することや、世界の嫌われ者となる不名誉を、この美しい国で決して繰り返しはならない。
 1.これだけの輝かしい偉業を前に、決して日は沈むことはない。アフリカに神の祝福あれ。

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南ア第2副大統領に選出された フレデリク・ウィレム・デクラーク氏

東欧崩れ改革決意 被害者意識強い白人救えるか

(ヨハネスブルク)94.5.11読売

 「信念を持って、大統領権限を渡す。これは、主権が国民、憲法とともにあるからだ」「マンデラ氏は全国民の祝辞、希望と祈りに値する人物だ」
 デクラーク氏は2日、首都プレトリアの党本部で、アフリカ民族会議(ANC)の勝利をたたえ、1948年以来の与党だった国民党の敗北内外に認める歴史的な演説を行った。
 演説を終えると、目をうるませ、傍らで夫を勇気づけるマリケ夫人の姿とともに、支持者の胸を打った。「偉大なる改革者」「真の勇気を持つ男」とも称賛された。
 50−60年代にアパルトへイト(人種隔離政策)体制を築いた南アでは、低賃金の黒人労働力により、白人は一時、「欧米以上」とも言われる生活水準を維持した。デクラーク氏は1936年、ヨハネスブルグで曾父母の代から政治家という家に生まれ、この「黄金期」を見て育った。
 父親は元上院議長。高校時代から白人政党、国民党の青年部に入り政治家を志した。78年以来、大臣職を歴任し、89年2月、国民党党首に就任。同年9月、大統領となり、白人が権力を独占する南アで、既成のエリートコースをまい進してきた。
 しかし、ホームランド(部族別黒人居住区)政策の失敗による都市への黒人流入、国際的な南ア制裁などで少数支配体制にも陰りが生じ、大統領就任時には、体制崩壊の兆しすら、少しずつ見え始めていた。
 デクラーク氏は改革に着手した後、「(89年の)東欧社会主義の崩壊を見て、それまで考えていた改革を決断した」と、述懐している。南部アフリカの牙城(がじょう)だった南アで、南ア共産党と密接な関係を持ってきたANCに、後ろ盾がなくなるとの現実的な判断だったようだ。大統領就任後、マンデラ氏釈放(90年2月)、アパルトヘイト法案の撤廃に踏み切った。
 アパルトへイトは、黒人だれでなく、アフリカーナー(欧州系白人)をも、世界情勢から遠ざけた。知識階級以外の多くの南ア白人は、いまだにデクラーク氏を「売国奴」「史上最低の白人大統領」と呼び、憎悪すら抱いている。
 こうした現状の下、副大統領となった同氏は、これまでの現実的な政策運営を新政権にも反映させ、被害妄想に悩む白人を救済できるか、という重い責務を負っている。58歳。

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南ア第1副大統領に選出された ターボ・ムビュエルワ・ムベキ氏

ANCの緻密な交渉役

(プレトリア)94.5.11読売

 「第1党・アフリカ民族会議(ANC)の外交局長を務めた「国際部門の顔」。タンザニア、ナイジェリアなどブラック・アフリカ主要国の駐在。国内で非合法組織だったANCを海外から支援する体制を組織してきた。
 ソフトな物腰と軽妙な語り口。国境、党派を超えた交際の広さには定評がある。全人種の和解と共存を至上命題とする「国民統合政府」には不可欠な存在だ。
 マンデラ新大統領と同じトランスカイの出身。父、ガバン・ムベキ氏もANCの活動家。14歳からANC青年同盟に参加する一方、英才教育を受け、英国サセックス大学に留学、経済学修士号を取得した。
 91年12月、政府やANCなど主要政治勢力19団体が参加して開いた「民主的南アを目指す大会」では、ANCの交渉代表として、本格的な制憲交渉に先べんをつけた。当時の交渉相手だった国民党の担当者は、ムベキ氏について「表の陽気さにだまされると大変。頭の中は非常に緻密(ちみつ)で、言葉もよく計算されている」と評する。
 ANCと対立する黒人右派「インカタ自由党」の選挙参加を求める交渉では、ANC交渉チームの代表のラマポーサ事務局長(41)を前面に立てて参謀役に徹し、マンデラ氏と緊密に連絡を取って交渉の道筋をつけた。マンデラ氏がナンバー2に抜てきした背景には、緊急時でも国政を任せられる人物との判断があったようだ。51歳。

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南アを地域安定・発展の柱に

(東京)94.5.11読売?

 340年の白人支配に終止符を打った南アフリカで10日、アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラ議長が大統領に正式就任した。多数派黒人、少数派白人、混血など多人種が融和し、共存する民主主義社会を、南アが確立できるかどうか。新大統領の指導力に期待したい。
 世界は、肌の色で支配と従属の関係が決まる制度が公然と維持される不幸な時代を経験してきた。南アの白人支配体制の終わりで、人間社会は、このゆがんだ歴史を過去に追いやったことになる。
 先々週の全人種参加の選挙で、ANCは大勝したものの、単独で憲法を修正できる3分の2の議席は獲得できなかった。白人政権の与党だった国民党は予想以上の得票で善戦し、また遅れて選挙に参加したインカタ自由党(IFP)も健闘した。
 南ア暫定憲法は、選挙後の政府を、各政党が国会議席数に比例した閣僚を送り込む国民統合政府にすることを定めている。選挙結果は、新政権運営におけるANCの独断専行を懸念していた白人層などをひとまず安堵(ど)させるものとなった。
 マンデラ大統領は、第1副大統領にANC内穏健派で、白人層にも受けのよいムベキ氏を登用したほか(第2大統領には白人のデクラーク国民党党首)、ANCに割り当てられる閣僚ポストの相当数にインド系など非黒人を起用する。人種間の融和を重視したものと評価できよう。
 また白人政権時代の蔵相の留任も含め、経済閣僚ポストの多くを国民党に任せる。かつてANCが掲げていた国有化などの社会主義的な考えはやめ、市場経済の維持をめざすものとして、南ア白人経済界や、南ア進出を考えている外国企業から好感されている。これも、マンデラ新政権の穏健で現実的姿勢を示すものだろう。
 ただ、国防や治安担当閣僚をANCがしっかり押さえたことは、白人層の不安心理を刺激するかもしれない。
 新生南アが、混乱なき再建の道を歩むには、今みなぎっている和解精神を今後も堅持してゆけるかにかかっている。人種間、あるいは黒人勢力間の対立・抗争が生じた場合、マンデラ大統領が、国民への説得力を十分に発揮できるかがカギとばろう。
 経済が落ち込んでいるとは言え、南アの国民総生産(GNP)は年間1000億ドルで、南部アフリカ地域(南アを含め11か国)全体のGNPの4分の3を占める。
 南部アフリカ地域は、希少金属などの鉱山資源が豊かで、潜在的な経済発展能力は大きい。経済基盤の比較的整っている南アには、そのリード役が期待できる。南部アフリカ地域が経済成長路線に乗り、政治的に安定化してゆけば、国際社会が受ける利益は政治的にも経済的にも大きい。
 マンデラ新政権は、南アの再生のための意欲的な計画を掲げているが、まず低コストの住宅建設など黒人の生活向上が緊急の課題だ。日本を含む国際社会は、南部アフリカ地域全体の発展を促すという狙いからも、南アが新国家形成の軌道を着実に歩めるよう支援体制を整えるべきだ。

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豪が経済援助発表

(シドニー10日)94.5.11読売

 オーストラリアのビルニー開発協力相は10日、南アフリカの新政権の経済計画・運営を支援するために今後3年間で3千万オーストラリアドル(約22億6千万円)の援助を提供すると発表した。

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英連邦に再加盟へ 南ア

(ヨハネスブルク11日)94.5.12読売

 南アフリカ共和国のマンデラ大統領は11日、プレトリアでニュージーランドのホボルジャー首相と会談後、英連邦への再加盟する意向を表明した。マンデラ大統領とボルジャー首相はともに、数週間以内に加盟が達成されるとの見通しを示した。ニュージーランドは、英国とその旧植民地諸国でつくる英連邦の有力加盟国で、来年後半から2年間、英連邦首脳会議の議長国となる。
 南アは、アパルトヘイト(人種隔離政策)に対する国際的な非難が高まる中、1961年に英連邦を脱退した。

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新政権正式発足へ
南ア 閣僚ポスト調整進む

(ヨハネスブルク11日)94.5.12読売

 南アフリカのマンデラ新大統領は11日、27人の新閣僚を正式発表した。
 閣僚の人選については第1政党となったアフリカ民族会議(ANC)が7日、ANCの閣僚のみの17名の名簿を発表したが、事前に相談を受けなかったと第2党の国民党、第3党のインカタ自由党(IFP)が猛反発。人種融和政権を目指すマンデラ大統領が再考を発表した経緯があり、水面下で3党間の閣僚ポスト争奪戦が展開されてきた。
 新政権はマンデラ大統領、ムベキ第1副大統領、デクラーク第2副大統領の3首脳が10日の就任式で承認されて確定。閣僚人事についてはこれまでANCが17人、国民党が6人の名簿を発表した。
 国民党はボタ外相の留任と国防相か司法相の治安ポストのうち1つを強く要求し、ANCと対立が続いている。

11日に発足した南アフリカ共和国の主な閣僚
◆外相:アルフレッド・ンゾ(ANC) ◆内相:マンゴスツ・ブテレジ(IFP) ◆蔵相:デレク・キース(NP) ◆憲法開発相、地方問題相:ルルフ・メイヤー(NP) ◆農相:クラーイ・ファンニーケルク(NP) ◆通商産業観光相:トレバー・マニュエル(ANC) ◆国防相:ジョハネス・モディセ(ANC) ◆司法相:ドゥラー・オマール(ANC) ◆安全治安相:シドニー・ムファマディ(ANC) ◆矯正相:シポ・ムジメラ(IFP) ◆土地問題相:デレク・ハネコム(ANC) ◆工業、エネルギー相:ロフ・ボタ(NP) ◆教育相:シブシソ・ベング(ANC) ◆芸術文化、科学技術相:ベン・ングバニ(IFP) ◆労働相:ティト・ムボウェニ(ANC) ◆運輸相:マック・マハラジ(ANC) ◆厚生・人口開発相:エイブ・ウィリアムズ(NP) ◆公共サービス、行政相:ゾラ・スクウェイーヤ(ANC) ◆住宅事業相:ジョー・スロボ(ANC)

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南ア、27閣僚決まる 国民統合政府正式発足
内相にインカタ議長

(ヨハネスブルク11日)94.5.13読売

 南アフリカ共和国のマンデラ大統領は11日、就任後の初仕事として27閣僚を任命、連立政権「国民統合政府」が正式発足した。当初、閣僚入りを拒否、動向が最も注目されていた黒人右派政党、インカタ自由党のブテレジ議長(65)は内相ポストを受け、さらに矯正(刑務所担当)相など同党から計3人が入閣した。アフリカ民族会議(ANC)は、司法相など、いわゆる治安4相の独占を図ったが、国民党の反発などに配慮、矯正相ポストをIFPに譲った。
 27閣僚のうち、最大政党ANCは計18人を占め、第2党の前与党は6人となった。
 この結果、新政府はこれら3政党で構成されることになり、ほぼすべての主要勢力が連立政権に参加したことから、南アの安定化が期待される。

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別居中の夫人を芸術次官に任命 マンデラ大統領

(ヨハネスブルク12日)94.5.13読売

 11日発表された南アフリカ共和国の国民統合政府の閣僚名簿の中に、マンデラ大統領の別居中のウィニー夫人(59)が芸術・科学技術次官として含まれていたことから、地元各テレビ局や朝刊紙は、一斉に「驚くべき任命」などと伝え、驚きを持って受け止められている。
 ウィニー夫人は1958年、マンデラ氏と結婚。同氏が獄中にいる間、同氏のメッセージを伝えるなど、黒人解放闘争の象徴の1人だった。だが、89年、護衛らが若者4人を誘拐、うち1人が殺害された事件を起こし、91年、彼女自身も誘拐などの罪で有罪判決を受けた。懲役は免れたが、92年4月、マンデラ氏は夫人と別居を発表した。
 今回の次官任命は、彼女自身が、マンデラ大統領とまったく別の政治家としてANC内で力を蓄え、無視できない存在になったことを端的に示したものと言えそうだ。