南アフリカの古いニュース

白人との所得格差拡大
黒人政権10年 南アのいま

南アフリカ 10年の歩み

 1994年 4月 初の全人種参加選挙。黒人主体の政権が誕生
     5月 マンデラ氏が南ア初の黒人大統領に就任、
ムベキ氏
       を第1副大統領、
デクラーク前大統領を第2副大統
       領に任命。
マンデラ大統領は1期で大統領を辞任す
       ることを表明

 1995年   アパルトヘイト撤廃後の国民和解を目指す「真実和
       解委員会」を設立。旧体制下で行われた政治目的の
       殺人などについて同委に罪を告白すれば、訴追免除
       の道を開く
 1996年 5月 全人種平等などを柱とする新憲法案採択。あらゆる
       差別が禁止される
     6月 政府が新しい経済政策「成長雇用再分配計画」(G
       EAR)を発表。金融、貿易の自由化、財政赤字の
       削減、企業の民営化などを打ち出す
 1997年 2月 新憲法が発効
     8月 デクラーク氏が国民党党首を辞任、政界引退。
デク
       ラーク氏が第2副大統領を辞任し第2副大統領職は
       空席

    12月 マンデラ大統領がANC議長を退任。後任にムベキ
       氏就任。
ムベキ副大統領が外交等の一部大統領職務
       を代行

 1998年10月 真実和解委員会が最終報告書でアパルトヘイトを
       「人類の罪」と断罪。民間企業に職員の一定比率を
       黒人にすることなどを義務づける雇用均等法を施行
 1999年 6月 2回目の全人種参加選挙。ムベキ氏が新大統領に就
       任。マンデラ氏が政界引退
 2000年
 2001年 3月 国民の9人に1人にあたる470万人がエイズに感
       染していると政府発表
 2002年 7月 アフリカ大陸53カ国、約8億人の国家連合を目指
       すアフリカ連合(AU)が発足、初代議長国に
 2003年11月 エイズ治療薬の無料配布を決定
 2004年 1月 南ア経済への黒人参加を促す「黒人経済強化法」施
       行

 灰色の文字は加筆致しました。

ANC政権の公約と実績 (南ア政府統計資料から)

     94年総選挙時の公約   94〜02年の実績

      250万戸   電力供給   380万戸
      100万戸   住宅建設   146万戸
    
(水道、水洗トイレ付)    (水道、水洗トイレのない家も含む)
     700万人分   土地分配   180万人分
     10年間無償で   教育    20.4%(01年)
    すべての子どもに         
(高卒資格者の割合)
     義務教育を提供
      26.8%  雇用(失業率) 42.1%

 南アフリカは今月下旬、多数派の黒人が初めて投票できる全人種参加選挙が行われてから10年を迎える。人種隔離(アパルトヘイト)政策の下、少数の白人が政治と経済をした旧体制が終わり、選挙で黒人主体の政権が誕生した。それから10年。14日には3回目の総選挙が迫る。何が変わり、現状はどうなっているのか。

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成功者、与党とコネ

 南アの最大都市ヨハネスブルクの郊外にある旧黒人居住区ソウェト。一隅の広大なゴミ集積場には毎日、数百人がプラスチックや鉄くず、木材などを拾いに来る。リサイクル会社に売って小銭を稼ぐためだ。
 近くの段ボールづくりの「家」に住むホツェワネさん(43)はその一人だ。プラスチックゴミ1キロが1ランド(16円)、牛乳パック1キロが70セント(11円)古新聞1キロが30セントで売れる。
 高校を卒業後、自動車整備学校で学んだが、職はなかった。「夜もゴミをあさって毎週350ランド稼ぐが。ヨハネスでまともに暮らすには1000ランドは必要だ」
 97年に南ア有数の金採掘会社を創設したモツェペさん(42)は昨年10月、黒人で史上初めて南ア商工会議所の会頭に選ばれた。弁護士出身で、父が持っていた金鉱山の採掘権を元手に鉱業界に進出。資産総額は4億ランド(約420億円)以上と言われる。
 98年に開業した南ア有数のダイヤ採掘会社社長セクワレさん(51)も、成功者の一人だ。
 だが、こうした黒人経営者は政権与党のアフリカ民族会議(ANC)とコネを持っている。モツェペさんの妹は現政権の閣僚と結婚。セクワレさんは自身が政治犯として13年間の投獄を経験した元ANCの幹部だ。
 南ア経済紙ビジネスデーは昨年、約70%の人が「貧富の格差拡大」を感じているとのアンケート結果を報じた。
 政府統計によると、黒人世帯の平均年収は95〜00年に19%減って2万6000ランドになったが、白人世帯の年収は逆に16%増えて15万8000ランドになった。所得格差は4倍から6倍へと開いた。

進まぬ農地分配に不満

 「この10年で良くなったことなんて何もない。政府が約束した土地も家も水洗トイレも手に入らなかった」
 ソウェト南郊の村で、無職の女性マビンベラさん(64)は訴えた。首に「ランドレス・ピープルズ・ムーブメント(LPM=土地を持たぬ人々の運動)」と書かれたカードをぶら下げている。
 LPMは01年に数百人で発足した。政府への抗議行動として、違憲を承知で白人農場に侵入し、警察と衝突を繰り返している。ANCは94年、10年間で全農地の25%を黒人に分配すると約束したが、まだ13%にとどまっている。
 隣国のジンバブエでは、政府が白人農地を強制収用し、土地を持たない黒人たちに分配している。今年に入り、ナミビア政府も白人農地の収用を始める意向を表明した。
 人種間の和解を掲げる南ア政府は慎重だ。経済力と技術力を持つ白人がジンバブエのように国外に脱出を始めれば、南ア経済が崩壊しかねないという危機感もある。

土地買い集め 人種選ぶ「街」

 ダイヤの産出で有名なキンバリーから南に車で約1時間。アパルトヘイト体制を作り上げたオランダ系白人アフリカーナーばかり約600人が住む町オラニアがある。
 94年の黒人政権誕生を前に「国を失う」と危機感を深めた白人たちが、500ヘクタールの宅地と2500ヘクタールの農地を確保した。
 町のスポークスマンのストリドムさん(48)は「全国土の3分の1近くを占める北ケープ州の土地の12〜15%を確保したい。独立国家ができる時、オラニアを首都としたい」と夢を語った。
 町の私立学校2校では計80人の子供たちに、アフリカーナー固有の言語アフリカーンスを英語より優先して教えている。
 元大学教授ヨーストさん(82)は率直に語った。「私たちと黒人とでは生活環境があまりにも違いすぎる」
 周辺に住む黒人たちの視線は厳しい。ポルティアさん(16)は「彼らは我々黒人が町に入ろうとすると、白人だけの地域だと言って拒絶する。彼らは乱暴で非礼だ」と話す。

マンデラ氏 今も「奮闘」

 ヨハネスブルク北方の高級住宅街サントンのショッピングセンターで3付き31日、マンデラ前大統領のブロンズ像の除幕式が行われた。
 27年間の投獄から解放された直後の姿を再現したと言われる。像が立つ場所は「マンデラ広場」と改称された。ヨハネスブルク駅付近に最近できた立体交差は「マンデラ派橋」と命名された。
 1日夜、ヨハネス郊外の人気ナイトクラブ「キリマンジャロ」に突然姿を現した。南アの人気歌手レディ・スミス・ブラック・マンバーゾらとステージに上がり、エイズ撲滅への協力を訴えた。85歳とは思えない力強い声だったという。
 5年前に政界を引退した後、反アパルトヘイトの闘士は「人生最後の闘い」をエイズ撲滅に向けた。南アには世界最多の500万人近いエイズ感染者がいる。自身も孫を失った。
 外交でも鋭い舌鋒は健在だ。イラク戦争の開戦前にはブッシュ米大統領を名指しし、「全世界が反対している中、虐殺を始めようというのか」と非難した。

2004.04.13 朝日新聞(大崎氏)

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します