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2010年 南ア開催 サッカーW杯
響く大歓声、課題は治安

2010年 南ア開催 サッカーW杯

 国際サッカー連盟(FIFA)は15日、理事会を開き、2010年ワールドカップ(W杯)の開催国に南アフリカを選んだ。
 大陸巡回方式が導入される最初の大会として、アフリカの5カ国が立候補したが、共同開催が認められず14日に立候補を取り下げたチュニジアと開催条件を満たしていなかったリビアを除く南ア、モロッコ、エジプトの3カ国について協議。理事24人による投票の末、南アに決まった。アフリカ大陸でW杯が開催されるのは初めてとなる。
 無記名による1回目の投票で、南アが過半数の14票を集め、10票のモロッコを抑えた。エジプトは得票がなかった。南アは06年大会でドイツに1票差で敗れ、2回目の立候補だった。説明会でマンデラ前大統領が演説し、民主化10年に当たる歴史的な意味合いなどを強く訴え、招致に成功した。<1面>

南アフリカ共和国

 アフリカ大陸最南端に位置し、人口約4500万人。17世紀半ばからオランダ、英国の支配を受け、人種差別のアパルトヘイト(人種隔離)制度を柱とした白人支配が続いた。60年代から黒人の反政府運動が激化。94年に初の全人種選挙実施、マンデラ氏が南ア初の黒人大統領に就いた。
 1人当たりの国民総所得は2600ドル。アフリカでは有数の経済規模だが、貧富の差は激しい。エイズの蔓延(まんえん)にも苦しむ。
 92年にFIFへの再加盟が認められ、98年のサッカーW杯に初出場、02年の日本・韓国大会にも出場した。

10年W杯 南ア開催

 2010年サッカー・ワールドカップ(W杯)の開催国は15日、南アフリカに決まった。前回、1票差で敗れた南アが悲願を果たし、マンデラ前大統領は満面の笑みを浮かべてW杯トロフィーを掲げた。アフリカ初開催を機に、W杯を各大陸で順番に開く巡回方式がスタートするが、欧州の国からは不満も漏れている。

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響く大歓声、課題は治安

 開催国が発表された瞬間、南アでは首都プレトリアなどの街頭に特設された大型スクリーンで生中継に見入っていた数千人が一斉に跳びはね、大歓声を上げた。
 チューリヒの発表会場にいた85歳のノーベル平和賞受賞者、マンデラ前大統領は目に涙をためて「15歳に戻ったような気分だ」と語った。前日のFIFA理事への最終説明会では、人種差別による27年間の獄中生活の慰めの一つが、ラジオでW杯を聞くことだったと明かした。
 南アは95年にラグビーW杯を開催した実績をバネに、04年夏季五輪に立候補した。来年7月に決まる12年の夏季五輪には立候補してないが、ラグビーW杯をはるかに上回り、五輪に次ぐ規模のサッカーW杯の開催を手にしたことで、アフリカ初の五輪の夢にさらに近づいたといえる。
 今後の課題は治安問題だ。国際刑事警察機構(インターポール)の統計によると、南アの殺人事件発生率は01年に人口10万人当たり114人。日本の1.05人、米国の5.61人と比べて際立っている。失業が40%を超えるなど広大する貧富の差や、部族対立などが背景にある。

「巡回方式」笑みと不満
欧州勢「もっと開発を」

 チューリヒ郊外に設定された記者会見場。国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長が「南アフリカ」と書かれた紙を掲げた。
 勝者のような表情には意味がある。06年W杯開催の決定で、自身が強力に推した南アフリカは1票差でドイツに惜敗した。98年の会長選挙でアフリカ諸国の支持を取り付け、「アフリカにW杯を持ってくる」と公言。初のアフリカ開催の夢が実現したからだ。
 W杯は94年に「サッカー不毛の地」の米国で開催し、02年にアジア、そしてアフリカ開催と、これでオセアニアを除いて全大陸でW杯を開くことになる。02年大会で約270万人の観客を集め、世界で288億人がテレビ観戦した巨大イベント。世界中にサッカーを普及させるFIFAの戦略はさらに前進した。
 W杯の招致は、FIFA内の激しい権力争いの場でもあった。02年大会は、当時のアベランジェ会長(ブラジル)と欧州の対立が前例のない日本と韓国の共同開催を生みだした。06年も「ブラッター会長(スイス人)対欧州」の構図だった。
 今回は静かな争いに様変わり。組織票を南アフリカに投じた南米を除き、自由投票になった。
 今後、焦点となるのは、10年大会から導入された大陸循環方式だ。6大陸で順番に回すこの方式は、06年大会でアフリカ開催の「公約」を果たせなかったブラッター会長がひねり出した妙案だ。
 過去17回のW杯は、02年のアジアを除けば欧州(9回)と北中南米(7回)が独占してきた。面白くないのが欧州だ。
 06年のドイツ大会の後に開催が巡ってくるのは24年後。経済面や施設面、サッカーレベルの高さを誇る欧州にすれば、W杯の持ち回りは不満だ。欧州連盟のヨハンソン会長「巡回は断じて受け入れることはできない。3回に1回は欧州で開催するべきだ」と牽制している。
 98年大会から出場国数を32に増やし、肥大化傾向にある。欧州以外では、開催能力を持つ国は限られる。日本も「2050年までにもう一度W杯を」の夢をもつ。
 FIFAは巡回開催先を14年大会の南米開催までしか決めていない。「FIFA内には、アフリカなどで開催した場合に観客やスポンサーが集まるのか、との不安がある。18年以降の開催大陸を決めていないのは、巡回方式を決めていないのは、巡回方式を見直す含みがあるからだろう」と、日本の小倉純二FIFA理事は指摘している。
 興奮の続く理事会記者会見で。モロッコ人の記者が巡回方式の見直しを求める質問をすると、ブラッター会長は「14年の南米まで維持される」とだけ答えた。

  開催年  開催国  出場国数  優勝国
  1930 ウルグアイ  13   ウルグアイ
  1934 イタリア   16   イタリア
  1938 フランス   15   イタリア
  1950 ブラジル   13   ウルグアイ
  1954 スイス    16   西ドイツ
  1958 スウェ−デン 16   ブラジル
  1962 チリ     16   ブラジル
  1966 イングランド 16   イングランド
  1970 メキシコ   16   ブラジル
  1974 西ドイツ   16   西ドイツ
  1978 アルゼンチン 16   アルゼンチン
  1982 スペイン   24   イタリア
  1986 メキシコ   24   アルゼンチン
  1990 イタリア   24   西ドイツ
  1994 アメリカ   24   ブラジル
  1998 フランス   32   ブラジル
  2002 日本・韓国  32   ブラジル
  2006 ドイツ    32   ?
  2010 南アフリカ  32   ?

高橋基樹・神戸大学大学院教授(アフリカ経済)
16万人 雇用創出も

 ある試算では、サッカーW杯開催による南アへの経済効果は214億ランド(約3910億円)で国内総生産(GDP)を数%押し上げる。約16万人の雇用創出も可能とされる。
 最大の効果は、人種隔離(アパルトヘイト)政府廃絶から10年の南アでの開催決定に、経済困難にあえぐサハラ以南のアフリカ諸国の人々が高い高揚感を覚えることだろう。
 サッカーは「貧者のスポーツ」といわれ、アフリカでは最も人気がある。いまや優秀なアフリカの選手が欧州のトップリーグで多数活躍し、W杯に祖国の代表として帰ってきて国民を鼓舞する。
 政府に統治能力のない国が多いアフリカで、人々が国民としての一体感を一瞬でも持つのは、サッカーの代表チームの活躍なのだ。
 世界有数の凶悪犯罪の多さは心配だ。途上国は大イベントの開催期間中だけスラム居住者らを強制排除するなど過剰な「美化」をしがちだ。民主的な南ア政府にはそんな対応をしてほしくない。指導層も試されるW杯になるだろう。

南アW杯決定 「民主化10年」PR成功
施設面の優位も評価

 サッカーのワールドカップ史上初めてとなるアフリカ開催国は、南アフリカに決まった。15日の国際サッカー連盟(FIFA)理事会の投票結果、対抗候補のモロッコを抑えて、前回の06年大会誘致敗退の雪辱を果たした。14人の理事の支持を得たのは、初めてのアフリカ開催効果や意義を重視したからだ。
 時も味方したと言っていいだろう。アパルトへイト(人種隔離)政策が撤廃され、民主化を実現させてちょうど10年。南アは歴史的な意味づけを意識的にアピールした。ムベキ大統領は「民主化10年を祝うプレゼントになる」と語っている。
 14日にあった30分間の説明会では、アパルトヘイトにより64年にFIFAから停止処分を受け、92年に復帰する苦難の道を映像で流した。最初に登壇したのは、象徴的存在であるマンデラ前大統領。収容所でサッカーこそが自らを解放してくれたという体験談を披露して、「W杯を開催する準備が整っていることを私が保証する。W杯が南アに希望をもたらす」と24人の理事に語りかけた。
 FIFA監視委員会による事前の調査報告書には、W杯開催が、この10年間に始まった民主化と統一の推進に貢献できると記されている。集めた14票には、4年前に1票差でドイツに敗れたことへの同情票も含まれていたと見られる。
 06年ドイツ大会の成功は疑いの余地がない。10年大会は整備すべき課題が多いが、「W杯開催がいろいろなきっかけを与えるはず。チャレンジに踏み出した結果」と小倉理事は分析する。
 モロッコとの大きな違いは、招致計画にある13競技場(最終的な使用会場数は未定)のうち、すでに3つで準備が整い、5つが改築のみで対応できるという施設面の優位さだった。指摘される治安、安全面への懸念よりも、ラグビーW杯、クリケットW杯など国際競技会を成功させている実績が評価された。
 理事会では論議にならなかったが、開催時期の6〜7月が冬を迎える南半球になったことで大会の質には期待していい。気温が低い分、消耗線の要素は少なくなる。
 欧州を中心に、個性豊かな選手を供給源としてアフリカは確固たる地位を築いてきた。またビジネスに毒され尽くしていない分、プレーする喜びがアフリカの選手には共通する。マンデラ氏の言葉を待つまでもなく、南アフリカに限らず、貧困や内戦に苦しむアフリカに与える影響は小さくない。W杯の、サッカーの、スポーツの秘める力を示す格好の大会と期待できる。

W杯連続出場 治安には懸念
南アフリカとは

 南アフリカがアパルトヘイト(人種隔離)を撤廃して国際サッカー連盟(FIFA)に復帰したのは92年。96年にはアフリカ選手権に初出場し、初優勝した。98、02年にはW杯に連続して出場し、アフリカのサッカー界で存在をアピールしてきた。現在、代表監督を務めるのは、かつてJリーグの広島を優勝に導いたこともあるスチュワート・バクスター氏。
 FIFA視察委員会の調査報告の評価は最も高かった。13会場を予定し、8会場が既存だ。ヨハネスブルクのメーン会場は、約9万9千人の収容人員を予定している。
 95年にはラグビーW杯、03年にはクリケットW杯を開いた。6月のW杯開催時期は冬にあたるため、気候的にも適している。
 ただアフリカ屈指の経済力と社会的基盤を持つ一方、不安視されるのは治安の悪さだ。日本協会の関係者は「国民の貧富の差は大きく、犯罪も多く発生している。W杯を前に改善しなければならないことも多い」と指摘する。

支持してくれた人々に感謝 マンデラ前大統領

 「非常に厳しいライバル国との戦いで結果の予測が難しかった。私たちを支持してくれた人々に感謝する。南アはこの投票結果を謙虚に受けとめるべきだ。なぜなら我々人間はみな平等なのだから」

落選モロッコ 悔しさを吐露

 サッカーW杯の開催国に4度目の名乗りをあげたモロッコは、4票差で南アに敗れた。FIFA視察委員会の調査報告書では、競技場などのインフラ整備の遅れが指摘されていた。
 「ブラッター氏(FIFA会長)が投票結果を左右するために影響力を行使した」。モロッコの誘致担当者はメディアに悔しさを吐露した。
 モロッコはFIFAに対し、運営資金をスイスの銀行に預託している点を主張。財政的に運営のめどが立っていることを強調していた。FIFAから支給される資金は、アフリカ大陸全域で若者へのスポーツ教育やエイズ撲滅運動に使われると説明していた。
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 ロイター電によると、アフリカの4理事はいずれも破れたモロッコに投票したもようだ。今年初めの会議で、アフリカ連盟はモロッコ支持を決めていたという。モロッコが獲得した10票の残りは欧州の4、アジアの2だった。南アフリカは南米3、オセアニア1、北中米カリブ海3、欧州4、アジア2とブラッター会長で14票を集めたとみられる。

2004.05.17 朝日新聞(潮氏、稲垣氏、稲田氏)

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

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