2013年12月 msn産経


マンデラ氏死去 恩讐を超えた精神に学べ



 巨星墜(お)つ、とはこのことを言うのだろう。

 南アフリカをアパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃へ導いたネルソン・マンデラ元同国大統領が95歳の生涯を閉じた。

 マンデラ氏は、27年間に及ぶ獄中生活を経て、少数の白人支配から全人種参加への移行という一国の政治・社会体制の大変革を流血を見ず穏やかに成し遂げた点で傑出している。

 歴史の節目でつまずく国が多い昨今、氏の足跡に、逆境下でも理想を曲げなかった不屈の意志と転換期の指導者像を学びたい。

 氏は国家反逆罪で投獄され、監獄島の石切り場での重労働、目の障害や結核などにも耐え抜いて反アパルトヘイト運動の先頭に立ってきた。「マンデラを解放せよ」はいつしか運動の旗印となる。

 獄中から釈放され、1994年の全人種選挙で南ア初の黒人大統領に就いて力量を発揮した。

 人種間融和、国民和解を掲げ、自らを長く苦しめてきた白人も政権に取り込み、白人に占められていた資本や専門技術、知識の海外逃避を防いだ。政治と経済を安定させ、人種対立による流血という事態も食い止めたのである。

 象徴的な光景がある。95年のラグビーワールドカップ南ア開催で、白人の球技だったラグビーのジャージー姿で登場し、融和と和解を広く印象付けた。

 特筆すべきは、受けた仕打ちへの怒り、恩讐(おんしゅう)を超えた精神の高さである。国をどこへ率いるか構想があったから、妥協への批判も厭(いと)わなかった。万事に楽観的でもあった。国難期の指導者の資質を備えていたといえる。1期5年で退任し、引き際も見事だった。

 翻って後任のムベキ氏は、広がるエイズの存在を否定するなど現実感覚を失い、現職のズマ氏はマンデラ氏と対照的な豪奢(ごうしゃ)な生活、腐敗が批判される。氏を範とすべきはまず南ア指導層だろう。

 同時代に燃え盛った旧ユーゴスラビア民族紛争では、発火と延焼を止める責任感と分別を持った指導者がいなかった。そして今、エジプトなど「アラブの春」が兆した国々では、平和的な体制変換や事態の軟着陸に失敗している。

 南アとでは、問題の性質や政治・社会の熟度に違いがあるとはいえ、もし「マンデラ」がいたら、と想像してみたくなる。
 世界はマンデラ氏の遺産を引き継がなければならない。

(msn産経 2013年12月)

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

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