2013年12月 ウォール・ストリート・ジャーナル


マンデラ氏の妻たち、夫の死後は助け合い



 5日に死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の遺体が14日、故郷である東ケープ州クヌに空輸された際、空港の滑走路上で2人の女性が肩を寄せてひっそり話をしていた。多くの分裂にあえぐ南アで、逆に団結の姿をみせたのは、マンデラ氏の妻(未亡人)と前妻だった。

 マンデラ氏は95年の生涯で3度結婚した。最初の妻はエベリンさんで、マンデラ氏の子供6人のうち4人を産んだが、1958年に離婚し、2004年に死去した。しかし2番目の妻ウィニー・マンデラさん(77)と現在の妻グラサ・マシェルさん(68)は存命だ。いずれの女性も、マンデラ氏の葬儀で顕著な役割を演じている。それはマンデラ氏の生前の人格形成で彼女たちが演じたのと同様だ。

 過去1週間のマンデラ氏に対する献辞や弔辞で、2人は「マンデラ家のMama(母)」のタイトルを与えられた。一人だけ呼ばれ、他の一人が呼ばれないということは稀だった。

 14日、故マンデラ氏の遺体の到着を待っていたウィニーさんとマシェルさんは黒ずくめの衣装で、頭を覆っていた。ウィニーさんはマシェルさんの隣に座り、腕を彼女の肩にかけていた。15日の葬儀では、南アのズマ大統領が2人の間に座る栄誉に浴した。

 マンデラ氏の生涯では、2人の女性は極めて異なる位置を占めていた。

 ウィニーさんはマンデラ氏が指揮して与党という権力の座についたアフリカ民族会議(ANC)のメンバーだった。マンデラ氏が27年間、監獄で服役中だったのに対し、彼女は外で白人のアパルトヘイト(人種隔離)体制と戦った。彼女は自ら逮捕され、殴打され、迫害されたが、それに耐えた。

 彼女はその後、さまざまな政争の的になった。2003年、「アフリカ民族会議女性同盟(ANWC)」の議長だった際、一連の詐欺罪や窃盗罪で有罪判決を受けた。彼女は罪を認めなかった。南アの国家訴追局は最近、黒人貧民区ソウェトで発生した若い活動家たちが行方不明となったり死亡したりしたアパルトヘイト時代の事件に関し、ウィニーさんが関与した暴力があったかどうか再捜査した。しかし彼女は無実を主張した。

 マンデラ氏は1990年、釈放から間もなくウィニーさんと離婚したが、彼女はマンデラ家で中心的な人物であり続けた。

 一方、マシェルさんがマンデラ氏と結婚したのはずっと後年で、夫だったモザンビークのサモラ・マシェル大統領が飛行機墜落事故で死亡した後だった。彼女は年老いたマンデラ氏の横に座る一方で、女性や子供の権利など人道的な大義のために活動した。

 2人の女性のスポークスマンはコメントの求めに応じなかった。

 マラウイのバンダ大統領はマンデラ氏の葬儀で、2人の女性に哀悼の意を表した。同大統領はとりわけマシェルさんに触れ、夫を愛し、そしてその死を悲しむ妻としてのアフリカのモデルだと述べた。

 ズマ大統領は2人の女性への称賛を惜しまなかった。

 同大統領は15日、ウィニーさんについて、「ANCが非合法だった時代、彼女は沈黙を拒否した。彼女がこの国の解放闘争に果たした貢献をわれわれは誇りにしている」と述べた。

 その後マシェルさんにも謝意を表し、「彼(マンデラ氏)は最後の瞬間まであなたの心遣いと慰めを確実なものにした」と述べた。

 マンデラ一族のメンバーや関係者たちは、マシェルさんは「まとめ役」で、多くの一族メンバーに耳を傾ける人物だと述べている。同時に、彼女は自分が一族とANCからの嫌悪の対象になるかもしれないことに敏感だった、と彼女を知る人たちは言う。

 マンデラ一族と長時間にわたってインタビューしたことのある「After Mandela(マンデラ以後)」の著者ダグラス・フォスター氏は「結婚が発表された時、マシェルさんがマンデラ氏を連れ去るのではないかと内輪でひそひそ話がされていた」と述べた。

 マンデラ氏が死去した今、2人の女性にはマンデラ一族を監視する役目が残された。内輪もめで分裂した一族、しかし同時に、人種的な緊張と階級の不平等激化にあえぐ南アという国と同じように、初代大統領の死を悼むためにまとまろうとしている一族を監視する役目が残されたのだ。

(WSJ 2013年12月)

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

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