南アフリカの古いニュース

この記事は1991.7.4の'Newsweek'を利用させて頂いています
記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

「白い大都会」は変わった
かつて白人の牙城だった南ア経済の中心地ヨハネスブルク。
今では白人は郊外へ移り、黒人が職と家を求めて流入したことで、
街は「褐色」に塗り替えられた。
アパルトヘイト後の将来像がここにある。

(1)

After Apartheid
「世紀の悪法」は消えた
各国政府も制裁解除に動き出したが、
南アフリカが真に変わるには時間がかかる

 ケープタウンにある威厳に満ちた雰囲気の国会議事堂はデクラーク大統領の政治的勝利の舞台であった。
 1990年2月、議会の冒頭演説に臨んだデクラークは、アフリカ民族会議(ANC)の合法化とその指導者ネルソン・マンデラの早期釈放を表明した。91年2月、デクラークは、残るアパルトヘイト基幹法を今会期中に全廃するという方針を打ち出した。
 そして先週、白人・インド系・カラード(白人と非白人の混血)で構成される人種別3院制議会の合同委員会で、ついにアパルトヘイト(人種隔離政策)の集結が決まり、デクラークはこう宣言した。「すべての国民が[差別から]解放された。[アパルトヘイト]は過去のものとなった」
 法制上は確かにそうだ。だが、社会が一夜にして変わるわけではない。
 つい先日、ヨーロッパと北米の外交官がヨハネスブルク郊外のタウンシップ(黒人居住区)、アレクサンドラの高校を視察した。窓ガラスの割れた教室に、定員をはるかに上回る学生がひしめき、教科書は3人に1冊しかない。それに引き換え、わずか5キロ離れた白人専用小学校は生徒不足で閉鎖されたままだ。
 政府が白人の子ども1人に費やす教育予算は年間1100ドル弱(約15万円)。黒人の子どものおよそ4倍である。教育費のみならず、国民生活の隅々に人種差別は依然はびこっている。真に差別のない南アフリカを実現するには数10年の歳月が必要だ。

人種差別的な法律がまだ13も残っている

 この1年間でデクラークが推進してきた包括的な改革の意義は大きい。集団地域法と土地法の廃止が6月初めに決まったのに続いて、議会は先週、最後に残った人口登録法の撤廃を採択した。加えて、ヨハネスブルクなどの都市が、人種別行政府を統合するのを認める法案も承認された。
 デクラーク政権の改革は手ぬるいという声もある。だが急激な改革は、白人保守派の反撃を招くおそれもあり、デクラークは慎重にならざるを得ない。昨年、ANC指導者と新憲法制定のための予備交渉を始めたときも、話し合いの過程で何らかの具体案が出たときは、必ず白人有権者の賛否を問うと約束している。
 政府はこの約束に拘束され、黒人の生活水準を改善しようにも動きがとれない状況だ。
 アパルトヘイトが制度的に終わっても、2800万人の黒人にとって大した違いはない。アパルトヘイトの名残りもまだある。たとえば、黒人参政権は、新憲法制定交渉の合意を待たねばならないと、デクラークは明言している。そうなると、黒人が平等な投票権をもつのは遅ければ3年後になるという向きもある。
 白人優遇を定めた1973年の年金法など、差別的な法律が少なくとも13法も残っている。
 人種別の居住・営業地域を指定した集団地域法により、過去40年間に、ざっと350万の非白人が強制退去の憂き目にあった。彼らが、資産の返却、賠償を請求する権利はまだ認められていない。
 それでも各国政府はデクラークの改革を評価し、南アに対する制裁を解除する動きを見せはじめた。EC(欧州共同体)は昨年末、イギリスの希望を入れ、南アへの新規投資の自主規制を中止、さらにこの2月には、南アの鉄鋼製品やクルーガーランド金貨の輸入禁止処置も撤廃した。
 日本政府は先週、「人的交流」を再開すると表明した。ケニアもスポーツ交流を再開している。

制裁が解除されれば改革ペースが落ちる

 ブッシュ大統領も、早ければ来月には経済制裁を解除することになろうとほのめかした。米議会が制裁解除の条件とした5項目のうち、すでに4項目が満たされている。ANCその他の「民主的な諸政党」の合法化、86年に発令された非常事態宣言の解除、黒人代表との交渉、集団地域法と人口登録法の撤廃だ。
 残る1項目は政治犯の釈放だが、南ア政府は「政治犯」と呼ばれる者の中には普通の刑事犯も交じっていると釈明している。
 アメリカが経済制裁を解除したとしても、それはむしろ象徴的なものにすぎず、実際的な効果はあまるないかもしれない。南アへ進出した米企業は、80年代に国内で集中砲火を浴びた。それだけにほとんどの企業は、少なくとも黒人居住区で頻発する暴動が収まるまで、投資再開を見合わせるだろう。
 「暴動が収まり、投資に関する法律が整えば、外国資本が安定的に流入してくる可能性は十分にある。いくら制裁が解除されても、投資環境が整わなければだめだ」と南アにあるアメリカ商業会議所のウェイン・ミッチェルは言う。
 ANC指導部をはじめ、抜本的な差別撤廃を求める人々は、各国の制裁が解除されれば、デクラークは改革のベースを落すだろうと警告している。それが事実になるかどうかは、近いうちに明らかになるだろう。
 今年末もでには、融資や貿易など重要な制裁の多くが解除される見込みだ。来年はバルセロナで、南アの選手が32年ぶりにオリンピック参加の夢を果たす可能性も高い。
 南アが晴れて国際社会に復帰する日は間近い。そのときデクラークが、新憲法制定を含め、非白人の経済・社会的地位向上にさらに努力を惜しまなければ、その改革が制裁解除目当てのポーズではなかったことが照明されるだろう。

1991.7.4 Newsweek日本版