南アフリカの古いニュース

この記事は1991.7.4の'Newsweek'を利用させて頂いています
記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

「白い大都会」は変わった
かつて白人の牙城だった南ア経済の中心地ヨハネスブルク。
今では白人は郊外へ移り、黒人が職と家を求めて流入したことで、
街は「褐色」に塗り替えられた。
アパルトヘイト後の将来像がここにある。

(4)

A Showcase of Racial Change
人種統合の模範地区メイフェア
金さえあれば非白人も中流住宅地に住める

 モハメド・ドリー(50)の一家は昨年、ヨハネスブルク郊外のメフェア・ウエストに引っ越した。だが、これは犯罪行為だ。アパルトヘイトの柱の1つ、集団居住地域法違反である。
 ドリーが3万6000ドルで4LDKの家を購入したメフェア・ウエストは白人居住区とされ、インド系のドリー夫妻を含め非白人の居住は禁じられていた。
 ドリー一家は、すぐに手荒い歓迎を受けた。家の壁にペンキが投げつけられ、隣人のアフリカーナー(オランダ系白人)は酔った勢いでドリーの息子を「日雇い人夫」呼ばわりし、むちを振りまわした。
 警察が来て、お前たちはこの家を不法に占拠していると告げた。敬虔なイスラム教徒であるドリー一家にとって、ショッキングな嫌がらせもあった。門柱に豚の首が突き刺してあったのだ。
 それから1年。集団居住地法は廃止され、ドリー一家にとってメイフェア・ウエストは安住の地となった。あのアフリカーナーも、今ではよき隣人だ。
 ドリーの後を追うようにインド系住民がメイフェアに移り住み、町は急激に変化している。オランダ系改革派教会は閉鎖され、10月にはヒンズー教寺院になる。
 近隣のホームステッド・パークにあった白人専用高校も今では全人種に解放され、ANCの指導者ウォルター・シスルの孫もここに通っている。

不動産価格は2.6倍になった
 「自分が生きているうちにこんなに変わるとは思わなかった」と、ドリーは言う。「50年かかって、やっと白人は私を受け入れた」
 メイフェア・ウエストやホームステッド・パーク、あるいはメイフェアを外国の要人が見たいといえば、デクラーク大統領も歓迎するだろう。街路樹とこぎれいな住宅が立ち並ぶメイフェアは、デクラークが描く「新しい南アフリカ」のビジョンそのものだ。
 かつてこれらの地区は、典型的なアフリカーナー労働者の町だった。そこに、上昇志向の強いインド系や、数は少ないが中産階級の黒人やカラード(白人と非白人の混血)がやって来た。すると、不動産価格は下がるどころか160%も上昇した。
 今やこれらの地区では、インド系住民が多数を占める。すでに80年代にはヨハネスブルク市内のヒルブラウやジューバード・パークが「白」から「灰色」に変わっていたが、これらの地区もその仲間入りをしたのだ。
 彼らを引きつけた理由の1つは、通勤の便だ。ヨハネスブルクでインド系住民地区と「定め」られていたレネージアは、金融・商業の中心地区から遠く離れている。
 犯罪が少ないことも魅力だった。カラードのスラム街に住んでいたある夫婦は、2カ月で4回も家と車を荒らされた。2人は昨年メイフェア・ウエストに3万7000ドルで3LDKの家を購入した。ダウンタウンに住むより、安心していられるという。
 だがメイフェアのような地区でさえ、依然として他人種を受け入れたがらない白人がいる。
 おもにインド系の子どもたちが学ぶヨハネスブルク中学の教職員は、校舎移転の知らせに喜んだ。手狭なフォーズバーグの校舎から、ホームステッド・パークにある白人専用のウェスタン高校に移ることになったのだ。

ほとんどの非白人には高根の花
 だが移転してみると、喜びは怒りに変わった。ウェスタン高校の白人職員が、机や椅子、コンピュータ、コピー機、理科室の実験器具を持ち去っていたのだ。
 1986年からメイフェアで不動産業を営むイスマイル・ガトゥーは、変化の裏には経済的理由があると言う。「アフリカーナーが非白人に家を売ったのは、相場より高く売れたからだ」
 彼のオフィスの壁には「金がものをいう」と書かれている。だが3100万人いる非白人の大部分は、その金に困っている。彼らにとって、メイフェアでの暮らしは依然として高根の花だ。
 「法律はいくらでも変えられる」とガトゥーは言う。だが「ある場所に家を買いたくても、金がなければそれまでだ」。
 デクラーク大統領がめざすアパルトヘイト後の社会では、非白人も高級住宅地に住める。ただし、金があればの話だが……。

1991.7.4 Newsweek日本版