南アフリカの古いニュース

この記事は1991.7.4の'Newsweek'を利用させて頂いています
記事を勝手に掲載していることをお詫び致します

「白い大都会」は変わった
かつて白人の牙城だった南ア経済の中心地ヨハネスブルク。
今では白人は郊外へ移り、黒人が職と家を求めて流入したことで、
街は「褐色」に塗り替えられた。
アパルトヘイト後の将来像がここにある。

(5)

Life in a Squatter Camp
不法居住キャンプのも希望の灯
強制立ち退きの恐怖は消え、政府も改善を検討

 カランヨニ・ホステルの無残な焼け跡は、咋夏、不法居住キャンプ「ポーラパーク」で起きた武力抗争の激しさを物語っている。
 黒人居住区のトコザに隣接するキャンプの住民と、付近のホステルに住むズールー族の移住労働者が最初に衝突したのは、昨年8月。このとき、150人以上が命を落とし、9月には80人以上が死んだ。さらに12月には3回目の衝突が起こり、警察発表で124人の犠牲が出た。
 8月の抗争は4日に及び、キャンプ住民の勝利に終わった。ホステルは焼き払われ、ズールー族は追い出された。それ以降も、ヨハネスブルク近郊の黒人居住区では黒人同士の武力衝突が後をたたない。ただし口火を切ったポーラパークだけは、不気味なほど平穏だ。

35万の黒人がキャンプに住む
 掘っ立て小屋の立ち並ぶポーラパークは4年前、トコザ議会が所有する土地に開設された。それ以来、キャンプ住民は立ち退き命令に怯えながら暮らしてきた。ほんの1年半前も、最高裁判事が土壇場で中止命令を出さなければ、危うくブルドーザーの下敷きになるところだった。
 もっともこうした話は、デクラーク大統領がネルソン・マンデラを釈放し、改革計画に着手する以前の話だ。今では、キャンプ内の道の舗装や、下水の整備を政府自身が検討している。
 「政府状況が変わったおかげで、こうしたキャンプの住民が抵抗できるようになった」と、弁護士のジェフ・バドレンダーは言う。「政府側も、交渉せざるをえない立場に追いこまれている」
 1986年に、パス法(黒人の大都会への流入を規制するために身分証明書の所持を義務づけた)が廃止されてからというもの、都市部へ地方の黒人が大量に流入するようになった。
 現在、全国の不法居住キャンプに住む黒人は約350万。都市部に住む黒人を収容するには、あと120万戸の住宅が必要だとされるだけに、こうしたキャンプはますます増える。
 デクラーク政権は、一部地域で生活環境の改善策を模索している。「都市周辺に簡易住宅を設置することになるだろう」と、クリール計画・地方相は言う。当局は現在、「基本施設の整った居住可能な土地」を探しているところだ。
 土地を買収しキャンプ生活を改善する予算として、すでに2億6000万ドルが計上されている。ヨハネスブルク周辺の9大キャンプのうち、ポーラパークは最初に恩恵にあずかるキャンプの1つかもしれない。

舗装された道路も夢ではない
 ポーラパークの住民は、1000万ドルの補助金を望んでいる。もちろん、改善につながることならどんなことでも大歓迎。なにしろ初期のころは、トイレ1つないキャンプすらあったのだ。
 2万6000の住民に対して、共同の蛇口がたった7つ。電気や下水もなく、真冬には石炭ストーブから立ちのぼる煙がキャンプを覆うというありさまである。
 放置されたゴミの山が悪臭を放ち、雨が降ると泥道は濁った水たまりに変わる。子どもたちはしゅっちゅう下痢に悩まされている。
 それでも住民は、ポーラパークを離れるつもりはない。交通の便がいいし、近くに公立病院もある。工業地区オルロード・サウスの工場にも通いやすい。
 「どこに移れと言うの?」と、4年間キャンプに住んでいるクリスティン・セべゾは聞く。「とても便利のいい所だし、仲間はこの土地に命をかけてきた」
 今のところ、ここで命を落とす心配はなさそうだ。しかもこの4年で初めて、住民は下水や舗装道路を夢見ることができるようになった。

1991.7.4 Newsweek日本版