南アフリカの古いニュース

南アフリカ特集
資源大国 南ア 国際社会に復帰

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 アフリカ大陸最南端の南アフリカに、いま、世界の目が集まっている。永年続けていたアパルトヘイト(人種隔離)政策を全廃しし、国際社会復帰の道を歩み始めたからだ。欧米各国に続き、日本政府も10月22日、対南ア経済制裁の解除を決めた。黒人参政権という最終目標の実現までにはさまざまな困難が待ち受けているだろう。だが、大陸随一の工業力や豊富な鉱産・農産資源を背景に、南アがアフリカ大陸の盟主になる日は、案外近いかもしれない。
(商品部:吉村、ロンドン:影井)

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国のあらまし

    ▽国名…………………南アフリカ共和国
    ▽政体…………………共和制
    ▽元首…………………デクラーク大統領
    ▽議会…………………人種別3院制
    ▽面積…………………約122万1042平方キロメートル
    ▽人口…………………344900万人
    ▽通貨…………………ランド (1ランド=約43円)
    ▽GNP………………975億ドル(90年)
    ▽実質成長率…………0.9%減(90年)
    ▽消費者物価上昇率………14.3%(90年)
    ▽失業率………………13.5%(推定)

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黒人参政権に向けて

年内にも新憲法協議
政権帰属や部族対立難問

 南アフリカ政府は今年6月、最後まで残っていたアパルトヘイト3法を全廃した。少なくとも制度上は欧米諸国並に改善したわけだ。しかし、まだ実現していない最後の大きな一歩が残っている。つまり黒人参政権だ。
 現在南アでは、白人はもちろんカラード(混血)、インド人らも参政権を持つ。閣僚はすべて白人であるが、議会は白人会議、カラード議会、インド人議会の3院制を取り、黒人以外の世論は政治に反映する仕組みになっている。
 デクラーク政権は黒人参政権を規定した新憲法づくりに動き始めている。アフリカ民族会議(ANC)、インカタ自由党といった黒人運動勢力や主要宗教団体は政府の呼び掛けに応じる意向で、早ければ今年内にも主要勢力がすべて参加する制憲交渉が始まる。
 ただ、交渉を持つこと自体は合意しているが、新しい国家制度についての両者の主張はまだ懸け離れている。
 ANCは「最大勢力が政権を握るべきだ」と主張する。51%の議席を握る勢力が全政治権力を握る、という考え方だ。自分たちは最大の黒人運動組織だという自信がうかがえる。
 これに対し、政府・国民党は「パワーシェアリング(権力の分担)」を唱える。2割の議席を確保すれば2割の発言権を得る、という内容。全人口の13%しか占めない白人勢力としてがぎりぎりの妥協である。
 政府とANCの意見調整とともに、黒人勢力同士の意見調整も課題になる。
 ANCとインカタ自由党は累計で数千人に達する死者を出す抗争を続けている。インカタがズールー族、ANCが主にコサ族を基盤としており、アフリカ独特の部族対立の色彩が濃いだけに、問題の根は深い。
 デクラーク大統領は92、93年で何とか意見をまとめ上げたい意向だ。
 89年9月に就任以来わずか約2年で、国際社会から孤立していた南アを大きく変えた同大統領の手腕が再び問われている。

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対応遅れた日本の政策

大使館置かず 情報も少ない

 日本は10月22日、南アフリカに対する経済制裁の解除を正式に決定した。文化・スポーツ交流は、米国などとほぼ横並びで、7月以降順次再開していたが、経済制裁の解除は先進国のなかではデンマークを除き最も遅かった。
 「南ア政府が一部政党に秘密資金を供与していた」というのが、7月以降も制裁を継続していた公式説明である。だが、本当の理由は、10月16日に国連安保理事会の非常任理事国選挙があったことだといわれる。アフリカ票の離反を恐れた政府が、解除を先延ばしにしたのだ。
 制裁の解除は3カ月遅れ。だが、日本の対南ア政策の遅れはそれ以上だと言えるかもしれない。
 南ア最強硬派であるデンマークを含め、大半の西側諸国は南アに大使館を置き、日常的に意見交換してきた。日本は大使館を置いておらず、総領事館レベルで対応している。すでに欧米諸国の訪問を済ませているデクラーク大統領の訪日は、これから日程調整する段階だ。
 地理的にも歴史的にも遠く離れた日本に届く南ア情報は少ない。
 東京勤務の経験がある南ア外務省幹部は「日本人が持つ南ア情報は少ないだけでない。古い」と言い切る。「何年も前の南アしか知らない人が、どうして南アについて語れるのか」とも。南アは日々、変化している。

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経済不振で姿勢軟化加速
欧州企業、投資に意欲

 初めて南アフリカに降り立った人は、草原、野獣といった旧来のアフリカのイメージとは懸け離れた欧米の先進国を思わせる風景を前にして驚きを隠し切れないはずだ。
 主要都市を結ぶ高速道路は米国、カナダに次世界3位の総延長を誇る。通信設備も西欧なみに充実しており、他のアフリカ諸国やソ連・東欧で強いられる「電話が通じない」といった経験はまずしない。通信の質が高いため金融システムも完備、大都市には現金支払機(CD)がいたるところに置かれている。電力は近隣諸国に輸出するほど豊富だ。
 これらの充実したインフラストラクチャー(社会基盤)に支えられ、南アの国民総生産(GNP)約975億ドル(90年実績)、1人当たりGNPは約2500ドル(同)に達する。欧米先進国並みとは言えないものの、経済の底力はアフリカ随一だ。
 にもかかわらず、現在の南アはこの力を出し切れないでいる。90年に続き91年もマイナス成長になる見通しだ。インフレ率は年率15%台。失業率は統計がないものの10数パーセント、黒人に限れば3、4割と言われている。「景気の底にある」(南ア金融当局者)ことは間違いない。
 経済不振はアパルトヘイト(人種隔離)政策の弊害が出た結果、との指摘もある。1948年に確立された同制度の下では、白人、黒人、カラード(混血)、インド人といった人種別に公共施設や行政組織設置・維持する必要があった。このコストは決して小さくなかった。
 さらに86年ごろから本格化した諸外国の経済制裁によって、海外からの資金流入がぴたりと途絶えてしまった。南ア外務省高官は「第3国経由で兵器以外はほぼ何でも輸入できたので、貿易制裁の影響はほとんどなかった。でも投資禁止は厳しかった」と証言する。
 世界経済の減速や、それにともなう金価格の長期低落も、外貨収入の減少につながった。
 南ア政府は今年6月にアパルトヘイト法を全廃、国際社会との関係改善をめざすと表明した。デクラーク大統領は「やるべきことをしたまでだ」と言うが、経済不振がアパルトヘイト見直しの契機になった側面も否定できない。
 これを受け、アフリカ諸国を含む世界各国は文化・スポーツ交流を相次いで復活するとともに、欧州共同体(EC)各国や米国は経済制裁の解除に動き出した。日本も欧米に追随してこのほど解除した。
 南アと歴史的につながりの深い欧州企業は早くも南ア投資に積極姿勢を見せている。南アに自社工場を持つドイツの高級車メーカー、メルセデス・ベンツやBMWは設備拡大を検討し始めた。ドイツやスイスの銀行は南ア証券市場への投資を始めている。
 「各国は積極的な南ア投資を」という南ア政府の呼び掛けは、決して白人の利害だけを考えているのではない。投資拡大によって南ア経済が浮上し、それが経済的弱者の黒人の経済生活を改善する、というシナリオだ。
 もちろん、そのシナリオを完成させるには黒人同士の武力衝突に代表される国内情勢の不安要因を取り除くことがまず必要だ。
 これまでのように諸外国の政府、民間団体からの圧力で対応するのではなく、南ア市民自身が自らの力で解決する時がきたようだ。

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1991.11.08 日経新聞

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します