南アフリカの古いニュース

「地球を読む」 H・キッシンジャー(元米国務長官)
穏健な発展を期待
新生南ア
指導者優れ、民族協力可能

前途は険しいが…

 気落ちするほど野蛮な部族的・民族的紛争の舞台となった冷戦後世界だが、その中では最も期待のもてそうな動きがこのほど見られた。アフリカで最初の本当に民主的な多民族政府の誕生である。
 もちろん南アフリカにおけるネルソン・マンデラ大統領選出と国民統合政府の創設は、長く、非常に困難なものとなりそうな旅路の、ほんの第一歩というにすぎない。民族集団間、およびそれぞれの内部での紛争、中央政府と地方当局間の権力分配、体制の能力を超えた急速な社会的・経済的発展への要求――これらはそうした希望に満ちた展望を打ち砕く潜在力を秘めている。しかし同時に、すぐに克服された挑戦は未来への一種の保証だということもできる。
 十年前、ネルソン・マンデラは終身刑で強制労働に服していたし、その組織アフリカ民族会議(ANC)は活動を禁止されていた。一方F・W・デクラークは、最もいまわしい人種隔離政策(アパルトヘイト)を主張する政府の閣僚だった。そしてマンゴスツ・ブテレジは、政府の「ホームランド(部族別黒人居住区)」創設の申し出を拒むズールー族首長だった。
 現在マンデラは国民統合政府の大統領だし、デクラークはその副大統領だ。ブテレジのインカタ自由党は遅れて選挙に参加したにもかかわらず、本拠地の州の選挙を勝ち取った。マンデラは物理的な牢獄(ろうごく)を克服したし、デクラークは心理的な牢獄を克服した。ブテレジは彼らに比べたら走破する距離はずっと短かったものの、連邦主義の旗印の下に、多民族社会にとっての主要な挑戦、すなわち中央集権と地方自治の関係という問題を提起している。
 実際、南アフリカはほとんどほかのどの国をもしのぐほど多数の民族グループを包含している。欧州人、アフリカ人、インド系人、それにケープ州の原住民ホッテントット族の子孫であるカラード(混血)たちだ。欧州人はさらに英国系、オランダ系に分かれ、今世紀初頭には互いに戦い合った仲だし、以後も政治的ライバルとしてにらみあいを続けている。アフリカ人の中では、ズールー族指導部がコーサ族中心のANCから自立を主張しており、ANC側は分離独立のさきがけ、したがって国民統合への脅威ととらえて警戒している。
 ズールー族の政党インカタは高度に組織された民兵部門を持っているし、欧州人社会の武闘派はつねに多民族的解決策を拒否してきた。さらに英国の議会政治制度になじんできた社会は、チェック・アンド・バランス(抑制・均衡)の概念を異端とみなしがちだ。マンデラでさえ、私的会話の中でだったが、選挙によらない機関が公選機関に優先されるべきでないという理由で、司法による審理の概念に当惑を表明したことがある。

驚くべき変身ぶり

 それにもかかわらず、これらの問題に取り組むのがまれに見る顔ぶれの指導者たちだったという点で、南アフリカは幸運だったということができよう。ネルソン・マンデラの半生は、精神的深みによって可能となった忍耐の具現である。早くも1964年、反逆の告発に対する自己弁護のスピーチの中で(まさしくこれは現代の最も感動的な文書の一つとなったが)、マンデラは多民族社会に対する彼の献身の念をこう表明している。
 「皮膚の色に基づく政治的区分はまったく人為的なものであり、それが消滅する時、ある色のグループによる他のグループの支配も消滅することになろう。ANCが勝利した時、われわれがこの政策を変えることはない」。マンデラはこの約束を守った。三十年間にわたる拘禁生活も、目に見える怨念(おんねん)もかげを彼に残すことはなかった。
 デクラークの変身も同様に驚くべきものだった。彼が政権の座につくまで、アパルトヘイトは半世紀にわたり制度化され、法律の中に組み込まれ、少なからぬ神学的議論により補強されて君臨していたのだ。
 ソ連共産主義の崩壊と同様、アパルトヘイトの終結は、ほんの十年前には想像もできなかったほどのスピードをもって、しかも最小限の暴力を伴っただけで実現した。哲学的理想主義と実務的明察力とが、拘禁されていた革命家とその看守の間のパートナーシップを作り出したのである。デクラークは91年ごろまでには、アフリカーナー(欧州系白人)の目標として、つい昨日までは非合法だった路線を公言できるようになっていた。「我々はすべての南アフリカ人に誇りを持ってもらいたい。我々が建設しようとする南アフリカ国家の新たなビジョンが結晶しつつある。それは正義と公正、平等、民主主義のビジョンである」

精妙な暫定的制度

 本来部族指導者であるブテレジの場合は、それほど立場を変更する必要はなかった。自治とある種の連邦的解決策を求める彼の主張は、変わることなく続いてきた。ブテレジの戦術はしばしば頑固で、人をいらだたせるものだったが、南アフリカ民主主義にとって決定的重要性を持つ挑戦を提起したのは彼の功績といえる。すなわち多数派の統治と民族的少数派の権利をどう両立させるかの問題である。というのも、投票結果が主として民族的・部族的ラインに従って表れてくる限り、少数派はいつまでたっても多数派になれる見込みがないからだ。一方ANCとしては、もし民族的区分が聖なるものとして尊重されることになった場合、国民統合は手の届かぬものとなることを懸念しなければならない。これは特にアフリカにおいては、多くの新興諸国にとって永遠の悪夢なのだ。
 こうした問題に対処するに当たって、南アフリカには指導者個人を超越する利点がある。多くの途上国では、国家創設は独立のあとに続いた。その結果、あまりにもしばしば、政治的反対は反逆と同一視されることになった。ところが南アフリカの場合、国家の正統性はすでに確立されており、現存する諸グループは、より大きな政治的枠組みの中での相互の付き合いにかなりの経験を積んでいる。マンデラ、デクラークが生み出した精妙な暫定的制度(投票の一定比率を獲得した党は、それに応じて内閣での代表権も獲得する)は、初期段階での相互協力実践にとって有益な枠組を作り出している。
 南アフリカほど、穏健な情勢進化によって得るところの多い国はあるまい。この国は膨大な資源、よくできたインフラ(社会基盤)、しっかりした製造業基盤、そして近隣国のいずれよりも高レベルの教育体制を持っており、しかもマンデラは、さらにこのレベルを急速に向上させると約束している。諸民族グループの多様性自体も、内戦に対する一定の保険の役割を果たしそうだ。いったんパンドラの箱が開かれたら、結果は予測できないものになることが目に見えているからである。
 こうした穏健さを促す構造的誘因が私にはっきり感じられたのは、選挙の前月、ピーター・キャリントン卿(元英外相)と私、それに五か国からの専門家たちに対し、マンデラとブテレジが五か年間の暫定政権に関して、ANCとインカタ自由党(ズールー族)の間の憲法上の争点を調停してほしいと要請した時だった。我々は暫定期間に関する憲法上の争点は、かなり早急な解決が可能だろうと考えた。我々にとって解決不能と思えたのは、インカタの選挙参加の問題だった。ブテレジは選挙延期を要求し、マンデラは延期を拒否していた。我々は、部外者には人民解放の期日を決める権利などないという理由で、この問題に取り組むことを拒否した。
 ところが調停団が現地を離れたあと、内戦の展望が思いがけない解決策を生み出した。ブテレジが、選挙不参加は彼から政治基盤を奪う結果を招くことに気付いて、既存の投票用紙の下部にステッカーを張るという便法により投票に参加することに同意したのだ。一方ANCも対決が招く不透明状態よりも妥協の道を選んだ。その結果、暫定憲法にかかわる諸問題は、調停団が各当事者と個別に討議した路線に沿って解決をみた。ただし連邦主義は、最終憲法起草の際に間違いなく主要論争点として再浮上することになろう。

先進国は干渉慎め

 選挙結果も、穏健さへの潮流を確認したように見える。あらかじめ何らかの取り決めがあったのか、それとも初めて投票に参加した有権者たちの良識を反映したものかはともかくとして、開票結果は和解にはほぼ理想的なものとなった。ANCは圧倒的多数の票を集めたものの、暫定憲法を一方的に書き換えるのに必要な三分の二には数ポイントだけ及ばなかった。インカタは10%の票を獲得し、(驚いたことに)ナタール州では過半数を取って、中央内閣での三つのポストと政治的基盤を確保した。そしてマンデラは、おおむね穏健と包括性の色合いの濃い内閣を作り出すのに一役果たした。
 もちろんこれらすべては、始まりにというにすぎない。各政治グループ内で予見される急進派、穏健派間の権力闘争の結果はどうなるのか。あまりにも多くがかかっているマンデラ後継問題はどうなるのか。避けられない社会的、経済的身分の改変に対する欧州人社会の反応はどうか。これまで公権を奪われていた住民は、国の能力をどの程度超えた経済的権利を主張するのだろうか。
 多くの世界の他の地域と違って、ここには希望を抱くべき理由、そして最大限の精神的、物質的援助をすべき理由があるということである。先進工業諸国としては、政治間援助よりも民間投資を奨励することが最も良い援助の形となろう。それに自国の経験を、ずっと複雑な状況を持つ南アフリカに対し押しつけたりしないように注意しなければならない。南アフリカは、急進左翼や急進右翼が彼らの教義を試してみる場所ではない。その穏健の進化は、アフリカ全体、さらに歴史の生んだ怨念から地域の一体性を救出しようと善意の人々が苦闘しているあらゆる他の地域に対する希望を与えるものなのだ。

民間投資進めたい

1994.6.20 読売新聞

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します