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1995年・第3回W杯ラグビー 南ア地元で初の世界一

史上初の100分決勝 NZ振り切る

 「伝説のラグビー王国」が復活――。ラグビーの第3回ワールドカップ(W杯)は6月24日、決勝が行われ、W杯史上初の延長にもつれ込む熱戦の末、南アフリカがニュージーランド(NZ)を15―12で破って地元で初出場初優勝を果たした。
 閉会式では、人種差別を撤廃して、黒人として初めて政権をとったネルソン・マンデラ大統領からピナール主将にエリス杯(優勝杯)が手渡された。3年前のバルセロナ五輪で初めて国際スポーツ界に復帰した南アは、自国で開催した初めての国際大会な競技会を、見事な栄冠で飾った。
 南ア・ピナール主将「厳しい戦いだった。ニュージーランドは素晴らしいラグビーをした。ただわれわれには4,000万人の南アフリカ国民の応援があった。最後まで一つになったラグビーができた」

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優勝決定戦
南アフリカ 15 ― 12 ニュージーランド
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3位決定戦
フランス 19 ― 9 イングランド
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上記以外の決勝トーナメント出場国
アイルランド、西サモア、オーストラリア、スコットランド
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背水の「全員防御」実る

 南アにとって同点は負けに等しかった。延長戦でも決着がつかなかった場合、双方ノートライのため、大会を通して退場者を出していないNZの勝ちとなる。南アはどうしても勝ち越さなければならなかった。
 延長戦前半終了間際に追いつき、振り出しに戻した後半2分だ。スクラムから出たボールをSOストランスキーが狙いすまして決勝のDGを決め、史上初の100分間決戦に決着をつけた。
 それにしてもすさまじい戦いだった。新旧の「ラグビー強国」の誇りと意地をかけ、体と体を激しくぶつけ合い、時間がたつたびに、一人二人と負傷退場者が増えていく、まさに死力を尽くした戦いだった。
 南アの勝因は一言に言って、低く、ハードなタックルを基本にした堅い守りに尽きる。戦前の予想通り、勝負の分かれ目は、スピードとパワーにあふれるNZの攻撃を、南アがいかにくい止めるかが焦点だったが、南アはそれを見事に実践した。
 FWがボールを獲得するたびに、BKに積極的に展開し、様々な攻撃を仕掛けるNZに対し、南アは集団で封じ込めを図った。WTBロームをはじめとする個々の突破を一人がタックルに行き、止めると、すかさず、二、三人が集まり、NZの連続攻撃を阻んだ。NZも最後まで果敢に攻撃を仕掛けたが、穴を見つけることができず、ついにその壁を破ることができなかった。
 ピナール主将も「とにかくタックルがよかった。全員の勝利だ」と全員攻防を勝因にあげた。NZにつなぎのラグビーをさせず、ことごとく自分たちのペースに巻き込んだ会心の勝利だった。

人種を超えた一体感

 会場はキックオフ一時間前には65,000人の観客で満員に。99%は白人だったが、今回の南ア公式応援歌となった黒人の労働歌「ショショローザ」をズールー語で大合唱。人種を超えた一体感を盛り上げた。マンデラ大統領も観戦。かつて白人ラグビーの象徴とされたスプリングボクス(南ア産カモシカ)のエンブレムの入った帽子とジャージーを身に着けた姿で会場に手を振り、大きな拍手を浴びていた。

南アフリカ

 1889年に南ア・ラグビーボードを設立。1992年、白人と黒人の組織が統合され、南ア・ラグビー協会に改組された。代表チームの愛称は「スプリングボクス(南ア産カモシカ)」。アパルトヘイト(人種隔離政策)の影響で永らく国際舞台から遠ざかっていたが、すべての国とのテストマッチに勝ち越している「幻のラグビー王国」。92年に復帰してからは、今回の地元開催のW杯に向けて急速な強化が図られてきた。

1995.6.24 読売新聞

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