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1995年・第3回W杯ラグビー優勝

燃える南ア

 南アフリカ共和国が24日、ラグビーの第3回ワールドカップ(W杯)で悲願の初出場初優勝に輝いたことは、南アの国際社会への復帰を加速し、国内の白人が非白人に、新生南アの積極的な一員として認められる好機となりそうだ。国内では、今回の優勝が昨年4月の全人種参加選挙後、喪失感を抱いていた白人社会の心の空白を埋め、「真の人種融和社会の起点となろう」といった肯定的な意見が多く、南アにとっては政治的にも価値のある大会だったと言える。

国際社会復帰を加速
黒人からは冷たい見方も

 南ア各紙は「最高の栄誉の日」(サンデー・タイムス紙)と、昨年のマンデラ政権誕生と同じくらいの大扱いで勝利をたたえ、白人中心の盛り上がりに対する一部の批判も、この成功に飲み込まれた格好だ。
 南ア代表チームの愛称「スプリングボクス」(南ア産のかもしか)が、白人言語のアフリカーンス語であることからもわかる通り、今回の優勝チームは一般的に黒人とは関係の悪いカラード(混血)の選手が一人だけで、後は全員白人だった。
 アパルトヘイト(人種隔離政策)による長年の国際交流禁止により、世界から排除されていた南ア白人の「国技」が、これで復権しただけでなく、一躍、世界の頂点に立ったわけで、昨年の選挙後に静まり返っていた白人社会は、今回は一夜明けても陶然とした雰囲気に包まれている。
 とはいえ、今回の勝利「白人至上主義」の復権にはつながらなかったようだ。異常な熱気で迎えた決勝戦の最中に、スタジアムや市内の観戦場では、「南ア白人がいかに偉大かを示す大会だ」と豪語し、白人支配を象徴した旧国旗を振っていた保守的な白人ファンが、周囲のリベラルな白人の冷たい視線を受けて、すごすごと旧国旗をしまいこむ場面も見られた。
 これには、代表チームの模範的な行動が大きく影響した。荒くれ男の世界である南アのラグビー界は、人種差別が最も露骨な形で噴き出す場であり、最保守層が好むスポーツだ。しかし、ピナール主将は、新国歌「ヌコシシケレ・イ・アフリカ(アフリカに祝福あれ)」の黒人言語ズールー語の歌詞をチーム全員に覚えさせ、多人種国家の代表としての自覚を植えつけた。
 かつてはラグビーを敵性競技と見なし、「必ず相手国を応援する」ことにしていたマンデラ大統領も、今大会では、南ア・フィフティーンを、「息子たち」と呼び、自身も代表ジャージを着て観戦した。
 この1か月間、地元新聞は、連日のようにW杯を一面トップに置いた。この過剰な報道や、一部の白人がW杯を白人の祭典とする傾向に対して、「黒人居住区の整備を優先すべきで、W杯は時期尚早だ」という批判も黒人知識人から出た。中には「白人が増長するから、南アは準決勝あたりで負けるべきだった」との声もなかったわけではない。
 また、決勝戦の入場券は200ランド(約5,000円)と黒人にとっては高額で、このため、観客席の99%は白人だった。黒人居住区ソウェトの住人は「最初から、オレたちに無縁の世界だと思っていた」と話す。
 それでも、選挙前から、疎外感ばかりを感じていた白人にとって、「W杯は最高の精神安定剤となった」と、社会心理学者や地元記者らは好意的にW杯を受け止めている。黒人マラソン選手としてバルセロナ五輪に参加したウィリアム・ムトロ氏も「南アのスポーツ界全体にとっての朗報。(黒人に人気のある)サッカーでも白人が南アチームを応援してくれたら、本物の人種融和だ」と、W杯効果に期待している。

1995.6.25 読売新聞

新聞記事を勝手に掲載していることをお詫び致します