南アフリカの古いニュース

人種を超えて 南ア スポーツの現状
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はだしのランナー
自由への走りはやめない
波乱の競技人生 12年目の「幸せ」

 「今の選手たちには大きな将来がある。自分にはそれがなかった」。陸上距離界の”はだしの天才ランナー”、ゾーラ・バッド・ピータース(29)は、ぽつりと漏らした。衝撃的なデビューから12年。南ア生まれと天才であるがゆえ、彼女ほど国際政治とスポーツの波にもまれ、波乱の競技人生を送ってきた選手はいない。
 17歳の時、女子5000メートルで驚異的な世界記録をマークし、すい星のごとくデビューした。様々な非難を浴びながらも英国籍を取得して出場したロス五輪では、進路妨害疑惑で惨敗。その後は、ことあるごとに反アパルトヘイト運動の格好の標的となり、世界の舞台からも姿を消し、失意のうちに帰国した。その後も父親が射殺されるなど、「はだしの」はいつしか「非運の」に置き換えられるようになった。
 そんなバッドも、今は故郷ブルームフォンテーンで、夫と2人だけの穏やかな暮らしを送っている。10月に初出産を控え、おなかはややふくらんでいたが、あのカモシカのような肢体は健在。出産後はマラソンでの復帰を目指し、毎日1時間程度の水泳トレーニングが欠かさないという。
 「今はリラックスできてとても幸せ。このまま夫と幸せに暮らすのが最高」。若くして様々な苦難に出合ったせいか、あのロス五輪の女の戦いで見せた激しい闘志や強気な一面は全く見えない。逆に無表情で、どこかかげりを感じさせる話しぶりに、アパルトヘイトが与えた試練と時の重さを実感させる。
 それは、自分の競技人生を振り返りながら語った「得たものは経験、失ったものは家族と友達」という答えにも反映されている。子供には陸上はやらせず、チーム競技やらせたいという。「陸上はきびしき、わがままにならなければならない。いい人でいたくてもいられない」という理由からだ。
 しかし、本人はまだアスリートの道を進む。「まわりの環境がどうなろうと、自由を求める自分の意思は、今も変わらない。走りたいという意志を持っている限り、走り続ける」。アパルトヘイトの最大の被害者の一人とも言えるバッド。閉ざされた将来と自由を求め、天才の「はだしのレース」はまだ続く。

1995.7.1 読売新聞