スワジランド王国 レソト王国
なぜ南アフリカの中に2つの王国があるのか?

私は南アフリカ滞在時、なぜ南アフリカの中にスワジランド王国とレソト王国があるのか、疑問に思っていました。
南アフリカで白人の友人に聞きましたが、「知らない」ということでした。その友人は父親がドイツの方で、母親がインドの方だそうで、アフリカーナーではないため南アフリカの歴史をあまり知らなかったのです。
最近、「世界地図の楽しい読み方」という本を読んでいましたら、この2つの王国について書かれていましたので、ここに掲載しました。
因みに、私はスワジランドへは行ったことがあります。レソトも予定にしていたのですが、暴動が起きたため行くことが出来ませんでした。

南アフリカ共和国の中には、全く別の国が2つも存在します。
かって悪評高かった人種隔離政策(アパルトヘイト)時代には、南アフリカ国内にも、黒人の方だけを住まわせたホームランドと呼ばれる、世界が認めなかった国がいくつか存在していて複雑怪奇でした。そのホームランドは、1992年の全人種による初めての選挙で、姿を消しました。
私は、この2つの王国が、南アフリカから独立した国でないことは、うすうす知っていたのですが、なぜ南アフリカの中に存在するのか知りたかったのです。

<レソト王国>

南アフリカの中央東よりところで、四方を完全に南アフリカに囲まれているのが、レソト王国である。
人口のほとんどはバスト族で、1820年代に、ズールー族の王シャカの軍隊に追われてこの山岳地帯に逃げ込んできた。当時、この一帯を支配していた王モシュシュは、このバスト族を保護した。
そのため、さらにさまざまな部族の避難民がここに集まり、ズールーの戦士やボーア人(オランダ系の白人開拓者)の脅威から身を守るために、1867年にイギリスに保護を求めた。
モシュシュが死亡すると、イギリスは彼らをケープ植民地(イギリス領)に組み入れようとしたが失敗した。そしてこの領土は、バストランドとしてイギリスの保護領となり、白人の土地所有をいっさい禁じた。
周囲がケープ植民地の白人支配の州として集まり自治領となり、南アフリカ共和国として独立していく歴史の中で、バストランドはかたくなにイギリスの保護領であることを守りつづけた。
モシュシュの曾孫にあたるモトロセリ・モシュシュ2世が国王となり、1966年にレソト王国として完全に独立した。

<スワジランド王国>

国土の東の一端がモザンビークと接していて、そのほかを南アフリカ共和国に囲まれているスワジランド王国も、イギリスの保護領でした。
スワジランドの場合、スワジ族はもともとこの地に住んでいましたが、ズールー族やボーア人(オランダ系の白人開拓者)の政圧に耐えかね、イギリスの保護を求めました。
その後1903年、イギリスの駐トランスバール総督府の支配化に入り、1906年にイギリスの保護領となった。そして1968年にスワジランド王国として独立した。
スワジランドは森林や鉱山資源などの天然資源に恵まれ、アフリカでは数すくない輸出が輸入を上まわる経済国家である。しかし、森林や鉱山の所有者・経営者のほとんどは、南アフリカの白人である。

 <世界地図の楽しい読み方 夢文庫を参考にさせて頂きました>

写真は後日掲載いたします。

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掲載日:2001.04.20