●沼川(ぬまかわ)線・幌延(ほろのべ)線・幌沼(ほろぬま)線


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幌延           北澤   有明       沼川

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区        間 粁程(km)
使用開始
(幌延線)
1929(昭和4)年12月24日 第1535号 自天塩国天塩郡幌延村幌延
至 同 国 同 郡 同 村下エベコロベツ原野北澤
13.892
使用開始
(沼川線(I))
1933(昭和8)年11月16日 第1607号 自北見国宗谷郡稚内町沼川
至天塩国天塩郡幌延村上永福
14.909
使用開始
(沼川線(I))
1934(昭和9)年8月5日 第1098号 自天塩国天塩郡幌延村大字沙流村字上永福
至 同 国 同 郡 同 村大字 同 村字エベコロベツ北澤
6.236
名称変更 1938(昭和13)年3月9日 第267号 幌延線と沼川線を合せ幌沼線と改称  −
一斉告示
(沼川線(II))
1953(昭和28)年7月25日 第1139号 稚内市字沼川から
宗谷郡豊富村有明まで
13.436
粁程改正 1961(昭和36)年11月22日 第2233号 稚内市字沼川から
宗谷郡豊富村有明停留場まで
10.809
(-2.627)
廃止 1965(昭和40)年2月18日 第300号 稚内市沼川から
宗谷郡豊富村字有明停留場まで
-10.809

<粁程> 1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名  粁程(km) 所  在  地
始 点 0 天塩国天塩郡幌延村大字幌延村字幌延市街省線幌延駅前
幌延 ほろのべ 0.064
清水澤 しみずさわ 4.934 同        大字沙流村字下エベコロベツ原野東十一線一ニ七番
南澤 みなみさわ 7.898 同                           一九〇ニ番地ノ三
本流 ほんりゅう 10.482 同                           一五〇四番地ノ四
北澤 きたざわ 13.746 同                       東九線北三六号(学校敷地内)
駒形 こまがた 16.154 同                       三八三三番地ノ三
上福永 かみふくなが 20.145 同             字上サロベツ東九線一九八(駅逓付属敷地内)              
有明 ありあけ 24.063 同             字メナシベツ二二九番地ノ七
天興 てんこう 26.263 同             字メナシベツ原野十二線七一番
豊別 とよべつ 30.190 北見国宗谷郡稚内町大字声問村字上声問原野二一七一番地ノ六
下豊別 しもとよべつ 31.572 同                   一三〇三番地ノ三
開進 かいしん 32.550 同                   一九〇一番地先堤防敷地
沼川 ぬまかわ 34.817 同             字沼川市街省線沼川駅前
終 点 34.926


<沿革>

 幌延線は、天塩郡幌延村の宗谷線幌延駅前を起点として同村下エべコロベツ原野北澤に至る馬力線で、1928(昭和3)年に着工、翌年使用を開始した。当初は台車50両が用意され、輸送成績は薪炭類を中心に年間約1000トンであった。特筆すべきは、熊越隧道(トンネル)と、1067mm軌間の鉄道(日本曹達天塩鉱業所専用鉄道)との平面交差である。殖民軌道(簡易軌道)の隧道は、当線の熊越隧道と枝幸線の毛登別(けとべつ)隧道以外に類を見ない。当線の場合は、熊越峠の切割の崩落が相次ぎ犠牲者も出たことから、切割にフタをして全長約54mの隧道としたものである。また、平面交差は1939(昭和14)年の日曹天塩鉱業所専用鉄道の建設に伴って、当線本流停車場構内(幌延起点10.500km)と日曹線駅逓停車場西方(豊富起点10.291km)において、殖民軌道が専用鉄道を乗り越える形で交差するものであった。

 沼川線(I)は、宗谷郡稚内村沼川の北見線(のちの天北線)沼川駅前を起点として天塩郡幌延村下エベコロベツ原野北澤に至る馬力線で、1932(昭和7年)に起工、1934年に竣工した。使用開始当初は台車45両が用意され、年間の輸送量は400トンほどで馬力線としても少ないほうであった。また、旧版地図には、豊別付近から分かれる2本の支線、すなわち南東へ2kmほどの天興の集落に進む線と東へ3kmほどの炭鉱へ向かう線が描かれている。炭鉱線については沼川線を民間会社が借り受けて運炭に使用したと記述する本があるものの、詳細は明らかでない。

 幌延線と沼川線(I)が合併して幌沼線となったのは1938(昭和13)年のことである。使用成績等は一つの線区として記録されたが、もともと全線を通して運行される性格のものではないため、事務手続き上の合理化のための合併であろう。

 戦後は、遅くとも1948(昭和23)年までには幌延線と沼川線(I)北澤〜有明間が廃止となり、沼川〜有明間13.468kmをあらためて沼川線(II)と呼称している。沼川線(II)は1955(昭和30)年度の輸送量が年間2000トン余りとの報告があり、風蓮線と遜色ない使用状況だったと思われる。昭和30年代後半には使われなくなり、1965(昭和40)年2月に廃止告示となった。

(2000/01/12 訂補)