●藻琴(もこと)線(東藻琴村営軌道)


使用開始| 1935(S10)| 1937(S12)|1938(S13)|
使用廃止| 1961(S36)|     1965(S40)    |
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     藻琴     東藻琴     末広    山園

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区        間 粁程(km)
使用開始 1935(昭和10)年9月13日 第1388号 自北見国網走郡網走町大字新栗履村字藻琴基線
至 同 国 同 郡 同 町大字東藻琴基線
15.200
1937(昭和12)年10月9日 第1359号 自網走郡網走町大字新栗履村字藻琴原野基線南二十号(通称東藻琴)
至 同 郡 同 町大字濤沸村字藻琴原野西二線南二十九号
5.885
1938(昭和13)年1月13日 第38号 自網走郡網走町大字濤沸村字藻琴原野西二線南二十九号
至 同 郡 同 町大字新栗覆村字上藻琴原野基線南三十六号
4.351
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 網走市モコト駅前から
網走郡東モコト村山園まで
同 郡  同  村末広から
同 郡  同  村本渓沢まで
32.902
廃止 1961(昭和36)年10月5日 第1957号 網走市モコト駅前から
網走郡東藻琴村東藻琴六五番地ノ2先まで
-15.000
廃止 1962(昭和37)年8月16日 第1665号 網走郡東藻琴村末広から
同 郡 同 村山園(東洋沢)まで
-7.440
廃止 1965(昭和40)年9月25日 第1852号 網走郡東藻琴村字東藻琴六五番地の2先から
同 郡 同 村字山園まで
-10.462


<粁程> 1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名 粁程(km) 所  在  地
始 点 0 北見国網走郡網走町字藻琴市街省線藻琴駅内
藻琴 もこと 0.092
沼ノ上 ぬまのかみ 3.910 同        字昭和一五
山里 やまさと 5.980 同        字山里一〇五
豊栄 とよさか 7.390 同        字山里一八三
稲富 いなとみ 10.000 同        字西倉三一六
西倉 にしくら 13.130 同           一二三
東藻琴 ひがしもこと 15.114 同        字東藻琴六七ノ四
上東 かみとう 16.194 同            五三四ノ三
宮ノ前 みやのまえ 17.525 同            六五九ノ一 地先道路敷地内
末広 すえひろ 20.965 同        字末広一九三ノニ
福山 ふくやま 22.825 同           三六五ノ二
山園 やまぞの 25.332 同           六二三ノ四
終 点 25.442


<沿革>

 
釧網本線藻琴駅前から山園に至る25.4 kmの馬力線として計画されたが、木材や甜菜(ビート)を中心としてかなりの輸送量が見込まれたため、根室線で余剰となった施設やガソリン機関車を転用し、動力線として使用を開始した。 1941(昭和16)年で貨物1万8000トン・旅客6万8000人と、殖民軌道としては驚異的な使用成績であった。。
  戦後、緊急開拓事業によって藻琴山麓東洋地区への入殖が決まると、同地区の森林搬出のため、1949(昭和24)年12月に末広〜東洋沢7.4kmの東洋沢支線を使用開始した。なお、1947(昭和22)年に網走郡網走町が市制施行する際、東藻琴地区は網走郡東藻琴村として独立した。運行組合は1948(昭和23)年11月に北見バス(株)より藻琴〜東藻琴の自動車運行権を買収、軌道とバスの両方を運営した。1950(昭和25)年7月にはバス部門を東藻琴交通(株)として分離、軌道も組合の委託を受けて同社が運営した。この時点で旅客はバスに移り、軌道は貨物のみを扱っていたようだ。
 1953(昭和28)年10月に北海道と東藻琴村とが管理委託協定を結び、村の特別会計による東藻琴村営軌道が誕生したが、実際の事業は運行組合が代行し、組合の委託を受けた東藻琴交通(株)が引き続いて運行を行った。同社は国鉄連帯輸送を目論み、軌道法の適用を受けるために1949(昭和29)年9月に全線の軌道敷設・貨物運輸営業特許を取得したが、実現に至らないまま未開業軌道として「私鉄要覧」に掲載された時期もある。バス会社による経営といい“謎めいた線区”の印象が深い。なお、東藻琴交通(株)は1959(昭和34)年4月に網走交通(株)と改称し、現存する。
 開発局による改良事業は1958(昭和33)年に始まり、永久橋化や軌条交換、路盤強化のほか、自走客車の投入も行われた。しかし、この頃には藻琴〜東藻琴は使用されず、東洋沢支線も放置状態となった。1961(昭和36)年3月に開発局網走開発建設部が軌道改良事業の打ち切りを通告、同5月には北海道知事が藻琴〜東藻琴および東洋沢支線の廃止を勧告し、両区間は相次いで廃止となった。残る東藻琴〜山園についても村議会で廃止を決議、1965(昭和40)年7月までに使用をやめ、同9月に廃止が告示された。

<車輛>

 使用開始時には2輛、全線開業後にはさらに2輛のガソリン機関車が根室線から転用された。1941(昭和16)年には国産のガソリン機関車3輛が加わり、戦時の燃料不足時には木炭ガス発生装置を使用したほか、蒸気機関車も使われた。 戦後は1948(昭和23)年2月1日現在で、代燃装置付ガソリン機関車6輛、蒸気機関車3輛、客車5輛、貨車50輛、除雪車2輛を使用していたという。  

昭和20年代の東藻琴停留場。蒸機の履歴解明は今後の課題(所蔵:東藻琴村)



 1955(昭和30)年以降の車輛については下表の通り。

種 別 製 造 所 製造年月 機  関 備        考
4.5tGL ホイットコム  
8tGL 酒井工作所  
8tDL 酒井工作所 S28. 日野DS-11  
7tDL 泰和車輛工業 S32.6 民生UD-4 ←S38頃問寒別線,→S40標茶線
8t自走客車 運輸工業 S35.3 日野DS-22 定員50,→S40茶内線
客車 木製,箱型,2軸,2輛
客車 木製,2軸ボギー
ロータリー車 泰和車輛工業 日野DA-59 2軸ボギー→S40茶内線

  その他、無蓋車多数、スノープロウ車など

(2001/08/26 訂補)