●仁宇布(にうぷ)線

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区          間 粁程(km)
使用開始 1935(昭和10)年4月25日 第581号 自天塩国中川郡美深町省線美深駅鉄道用地内
至 同 国 同 郡 同 町字ニウプ原野二十五線
21.396
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 中川郡美深町市街から
同 郡 同 町仁宇布まで
21.516
供用廃止 1963(昭和38)年3月4日 第433号 中川郡美深町市街から
同 郡 同 町仁宇布まで
-21.516

<粁程> 1939(昭和14)年3月31日現在

停車場名  粁程(km) 所    在    地
始 点  0 天塩国中川郡美深町美深駅前
美深 びふか 0.060
七郷 ななごう 4.831 同        美深原野五線東七号
辺渓 ぺんけ 5.971 同            五線東九号
緑泉 ろくせん 10.686 同        字ニウプ原野一九八〇番地ノ二
清瀬 きよせ 16.356 同              十六線
仁宇布 にうぷ 21.396 同              二十五線公共用地内
終 点   21.516

<沿革>

 宗谷本線美深駅と仁宇布二十五線を結ぶ21.5kmの馬力線として、1935(昭和10)年に使用を開始した。当初から森林資源の輸送が目的であった。やがて戦時になり木材輸送需要が高まったことから、当線の管理は運行組合の手を離れて道廰直営とすることになり、1942(昭和17)年3月13日付で拓殖部殖民課から同部地方林課に無償貸与され、仁宇布森林軌道となった。美深森林事務所ではガソリン機関車による動力化を行い、1944(昭和19)年には二十五線―三十線までの3.7kmを延長した。


▲使用開始当時の仁宇布線

 終戦後、林政統一によって一旦は農林省所管となったが、この地区の主な森林はもともと地方費林であったため、地方自治体である北海道の所管となった。昭和24(1949)年に美深林務署が置かれると、戦後復興による木材需要の増加に応えるべく、幌内越線4.0km・二十九線支線3.4km・二十七線支線2.1kmなどが相次いで建設された。そして、軌道本来の民間物資輸送のほか、昭和29(1954)年の台風15号による風倒木処理にも使用された。

 ところが、元は馬力線であった当線の路盤は脆弱で、特に軌条重量は6〜12kg/mの各種に及んでいたため脱線事故が多く、1952(昭和27)年7月には職員一名が犠牲となった。このため、労働基準監督署より軌条重量を9kg/m以上にするよう指導があったが、道路建設の進展によりトラック輸送が可能となったため、1956(昭和31)年9月に森林鉄道としての業務を廃止した。

 仁宇布地区の唯一の交通手段を失うことになった美深町は、旧殖民軌道の美深―二十五線21.4kmを簡易軌道として存続させることを請願し、1957(昭和32)年4月から軌道運行組合の運営による町営軌道として運行を開始した。ただ、北海道開発局による改良事業の対象とならなかったため、記録書類は動力線のわりに残っていない。やがて、路線に並行する道道雄武美深線の整備と国鉄美幸線の建設が始まると、冬期運行のできない当線を存続する理由がなくなり、1962(昭和37)年の冬の訪れとともに運行をやめ、そのまま廃止となった。

<車輛>

 馬力線時代には乗用車の車体を台車に乗せた貴賓車が存在した。森林軌道時代にガソリン機関車によって動力化されたが、1944(昭和19)年には、落合森林鉄道よりKoppel製B形5tボトムタンク蒸気機関車(1923年製造・WNo.10638)が入線した。戦後は、蒸気機関車が国有林担当の農林省林野局に移って姿を消し、ガソリン機関車はディーゼルエンジンに載せ換えられた。また、美深林署独自の設計による移動起重機(ロコクレーン)が活躍するなど、森林軌道としては興味深い車輛が存在した。町営移管後は、森林軌道から引き継いだ木造客車2輛とディーゼル機関車2輛が使用されたが、客車の側面には「仁宇布殖民軌道運行組合」と大きく書かれており、最後まで「殖民軌道」の名にふさわしい旧態然とした姿であった。1957(昭和32)年頃の車輛は下表の通り。

種 別 製 造 所 製造年月 機  関 備        考
5tDL 加藤製作所 S23.8 民生KD-2 No.3,S28.12GLをDL化,S32.1〜5問寒別線貸出
5tDL 加藤製作所 S24.1 民生KD-2 No.5,S28.12GLをDL化
客車 美深林務署 木製,2軸ボギー,2輛

 その他,台車など

(2000/01/17 訂補)