●当別(とうべつ)線(当別町営軌道)

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区           間 粁程(km)
使用開始 1949(昭和24)年8月26日 第707号 石狩郡当別町二九四番地から
同 郡 同 町青山共有地四〇二ノ二番地
16
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 石狩郡当別町市街から
石狩郡当別町字三番川まで
31.348
変更 1956(昭和31)年3月2日 第280号 「三番川まで」を「大袋まで」に改める  −


<粁程> 

 町史によれば、当別、六軒町、茂平沢橋、弁華別、砂利揚場、青山橋、共有地、中山の沢、沼の沢、青山中央、六号、一番川、花田前、吉田前、大袋の15ヶ所の停留所があったという。

<沿革>

 
札幌近郊の当別町青山地区は、終戦後の緊急開拓事業において緊急入殖指定地の一つとなったが、劣悪な交通事情が事業の支障となっており、付近に広がる道有林の林産資源の輸送手段の確立も急務とされた。
 札沼線石狩当別駅から青山中央を経て大袋に至る31.3kmの当別線は、戦後新設路線の第一号として1947(昭和22)年に着工され、1949(昭和24)年6月から順次使用を開始し、1952(昭和27)年には全線で運行を開始した。 当初は町役場が運行を行っていたが、1949(昭和24)年9月には運行組合が結成され、軌道事務全般を管理した。農林省と当別町の管理委託協定は1953(昭和28)年10月に結ばれ、当別町営軌道が誕生した。
 当別線は、ほぼ全線にわたって当別川に沿って敷設されていたため、橋梁の数とその規模は簡易軌道随一であった。開通直後から融雪時の増水や豪雨による被害に悩まされ続け、他線に先んじて橋脚のコンクリート化が進められた。だが、1954(昭和29)年9月26日の台風15号(洞爺丸台風)によって甚大な被害を受けるなど、度重なる水害に復旧費の確保が難しくなり、当別町は1956(昭和31)年3月31日付で管理委託協定を破棄し、使用を停止した。書類上の正式廃止は1958(昭和33)年であったという。

<車輛>

種 別 製 造 所 製造年月 機  関 備        考
6tDL 加藤製作所 S24. 民生KD-3 GLをDL化
6tDL 酒井工作所 民生KD-3 GLをDL化
8tDL 酒井工作所 民生KD-3 GLをDL化
7tDL 加藤製作所 S26.10 民生KD-3 →S31.12問寒別線
客車 木製,2軸ボギー,モニタールーフ,中古車輛と推察
客車 木製,2軸ボギー,ダブルルーフ,中古車輛と推察
客車 日本鉄道自動車 S25. 木骨鉄皮,2軸ボギー,2輛,→S31.11問寒別線
荷物車 当別線工場 木製,2軸ボギー

 その他、無蓋車・土運車多数。また、国鉄施設局の蒸気機関車・車蒸74(協三工業/1947年製造、WNo.8038)を一時的に借り受け使用したという。

(2000/01/17)