●雪裡(せつり)線・幌呂(ほろろ)線(鶴居村営軌道)


雪裡線

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区          間 粁程(km)
一斉告示 1929(昭和4)年11月10日 第1343号 自釧路国釧路市別途前
至 同 国阿寒郡舌辛郡中雪裡
28.786
粁程変更 1944(昭和19)年5月3日 第525号 変更区間 温根内停留場
     坂ノ上停留場
元1.655
改1.644
総延長 元28.785
改28.775
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 釧路市新富士駅前から
阿寒郡鶴居村字中雪裡まで
29.171

<粁程> 1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名 粁程(km) 所  在  地
始 点 0 釧路市新富士町省線新富士駅前
新富士 しんふじ 0.055
鳥取 とっとり 1.255 釧路国釧路郡鳥取村大字鳥取村字鳥取七六番地先
鶴野 つるの 5.796 同                一五一番地ノ五
丸松 まるまつ 9.235 同             字ビラトマナイ四番地ノニ
温根内 おんねない 14.580 阿寒郡舌辛村大字舌辛村字ホロロ原野南七線東四八番地ノ五
坂ノ上 さかのうえ 16.235 同                南五線東四一番地先
下幌呂 しもほろろ 19.310 同                基線東三〇番地
下雪裡 しもせつり 21.880 同          字下雪裡市街ニ条通
長澤 ながさわ 24.553 同          字雪裡原野北八線東一〇番地
中雪裡 なかせつり 28.726 同          字中雪裡市街
終 点 28.786
 ※昭和40年代は、乗車券によれば、新富士、鳥取、昭和地区、鶴野、温根内、坂の上、南4線、下幌呂、北6線、北8線、北11線、中雪裡の停留場があったという。


幌呂線 

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区     間 粁程(km)
一斉告示 1929(昭和4)年11月10日 第1343号 自釧路国阿寒郡舌辛村下幌呂
至 同 国 同 郡 同 村上幌呂
15.490
供用開始 1944(昭和19)年5月3日
(4月1日より)
第522号 自釧路国阿寒郡鶴居村字幌呂原野第一基線四七番地ノ三
至 同 国 同 郡 同 村幌呂原野北三線七九番地
  北二線停留場(新設)
  新幌呂停留場(新設)
3.829

総延長
19.318
停留場名
改称
1944(昭和19)年5月3日 第523号   旧名称    新名称
新幌呂停留場  幌呂停留場
上幌呂停留場  元駅逓停留場
士幌呂停留場  上幌呂停留場 
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 阿寒郡鶴居村字下幌呂から
阿寒郡鶴居村字上幌呂まで
19.308

<粁程> 1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名 粁程(km) 所  在  地
下幌呂 しもほろろ ‐0.065 釧路国阿寒郡舌辛村大字舌辛村字幌呂原野基線東三〇番地
始 点 0
新幌呂
(幌呂)
しんほろろ
(ほろろ)
4.355 同                  北一線西一八番地ノ三
中幌呂 なかほろろ 7.608 同                  北五線西三九番地ノ三
茂幌呂 もほろろ 9.341 同                  北八線西四一番地風防林内
上幌呂
(元駅逓)
かみほろろ
(もとえきてい)
13.898 同                  第壱基線三一番地ノ三
士幌呂
(上幌呂)
しほろろ
(かみほろろ)
15.435 同                  第壱基線四七番地ノ三
終 点 15.489

※告示の通り、1944(昭和19)年に新幌呂→幌呂、上幌呂→元駅逓、士幌呂→上幌呂と改称の上、新たに新幌呂までの3.829kmを延長した。
※昭和40年代は、乗車券によれば、下幌呂、ブロック工場入口、製粉場前、中幌呂、茂幌呂入口、支幌呂、旧駅逓、上幌呂、新幌呂下、新幌呂の停留場があったという。

<沿革>

 根室本線新富士駅から鶴居村中雪裡に至る雪裡線は、第一期拓殖計画末期の1926(大正15)年、中間部の鶴野〜下幌呂で着工された。これは、試験的に建設された根室線に次ぐものであり、計根別線と共に殖民軌道の最初のグループである。当初の計画は「雪裡線平戸前(平田内)〜ホロロ間8哩」としていたが、当時の新聞記事によれば、雄別炭礦鉄道平戸前駅の5kmほど手前において同鉄道に新駅を開業させて接続する予定だったようで、それが不調に終わったため、根室本線新富士駅に接続するよう変更し、第二期拓殖計画で区間を「新富士〜中雪裡18哩」とした。新富士〜鶴野、下幌呂〜中雪裡」は1927(昭和2)年に着工された。また、雪裡線下幌呂から新幌呂に至る幌呂線も第二期拓計で「幌呂線下幌呂〜上幌呂9.6哩」として計画され、昭和2年に着工された。雪裡線・幌呂線とも1927(昭和2)年11月に全線開通式が行われた。使用開始告示はそれより遅れて1929(昭和4年)5月14日付で行われたという。
 
当初は別々であった両線の運行組合は1932(昭和7)年に合併し、雪幌線運行組合となった。 雪幌線は馬力線としては長大路線であり、運行組合は大きな赤字を出した。そのため、旅客は元組合長が個人事業で代行することになり、1941(昭和16)年10月にバス改造のガソリンカーが雪裡線・幌呂線各々1輛ずつ投入された。バス改造車は戦後も1輛増備され、旅客の質的向上に大きく貢献したが、書類上はずっと馬力線のままであった。
なお、幌呂線は1944(昭和19)年に上幌呂〜新幌呂を建設して全線が完成した。
 1954(昭和29)年には軌道事業が運行組合から鶴居村に移管され、鶴居村営軌道が誕生した。北海道開発局による改良事業は各線のトップを切って1952(昭和28)年度から行われ、簡易軌道最初の自走客車が投入された。

  当線で特筆すべきは雄別鉄道との立体交差および平面交差である。立体交差は、1923(大正12)年開業の雄鉄起点9.9km付近で殖民軌道がオーバークロスするものであり、前述のように、当初はここで雄鉄線と連絡する計画であった。雄鉄は1937(昭和12)年9月に起点10.08km付近に構外側線を設け、殖民軌道との間で貨物取扱を行った。取扱品目は主に木炭であったという。やがて、国道38号線の併用軌道が道路の支障となってきたことから、1961(昭和36)年にルート変更が行われ、立体交差は雄別鉄道起点6.6km付近に移設となり、同鉄道の構外側線は廃止された。平面交差は、昭和23(1948)年竣功の鳥取支線(のちの鳥取側線)との異軌間乗越式菱形轍叉で、簡易軌道側が乗り越えていた。

  他線に比べて輸送量の多かった当線は昭和30年代後半までは活況を呈していた。しかし、並行道路の改良も早く、他の動力線より一足早く1967(昭和42)年8月20日に運行を取りやめ、そのまま廃止となったようである。

<車輛>

種 別 製 造 所 製造年月 機  関 備        考
バス改造車 藤村造材部(改造) S16.改造 フォ−ドA形 2輛
バス改造車 藤村造材部(改造) S25.改造  
4tGL Milwaukee  
6tDL 酒井工作所 S28. 三菱KE-5 WNo.6084
8tDL 加藤製作所 S29. 日野DA-57  
8tDL 日本輸送機 S29. 日野DA-57 WNo.22974
6tDL 運輸工業 S34.9 いすゞDA-120 「丸瀬布いこいの森」で動態保存運転
6tDL 泰和車輛工業 S35.9 いすゞDA-120 「鶴居村郷土資料館」に保存
ロータリーDL 酒井工作所 軸配置:1-B
8t自走客車 泰和車輛工業 S31.3 日野DS-22 単端式,若鶴号,定員48
8t自走客車 運輸工業 S33.3 日野DS-22 丹頂号,定員50
9t自走客車 釧路製作所 S35.10 日野DS-22 定員50
8t自走客車 泰和車輛工業 S39. 日野DS-60 定員60,トルコン,「鶴居村郷土資料館」に保存
牽引客車 釧路製作所 S32. 2軸ボギー,片オープンデッキ,定員42
鋼製有蓋車 釧路製作所 S36.3 2軸ボギー,8t積,鶴居中学校に倉庫として現存

 その他、台車、モーターカーなど

(2001/01/11 訂補)