●枝幸(えさし)線・歌登(うたのぼり)線・幌別(ほろべつ)線(歌登町営軌道)


    使用開始|  1929(S4) | 1930(S5)  |
    使用廃止| 1971(S46) | 1948(S23) |
          ●+++++++++++●+++++++++++●
          小頓別     幌別六線(歌登)  枝幸
        

●枝幸線・歌登線

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区     間 粁程(km)
使用開始 1929(昭和4)年12月1日 第1461号 自北見国枝幸郡中頓別村小頓別
至 同 国 同 郡枝幸村上幌別六線
19.053
1930(昭和5)年9月4日 第1210号 自北見国枝幸郡枝幸村大字歌登村字上幌別六線
至 同 国 同 郡 同 村大字枝幸港
16.142
直営線告示 1932(昭和7)年7月5日
(7月10日ヨリ運輸開始)
第923号 自小頓別停留場
至枝幸停留場
35
運転休止 1938(昭和13)年12月17日 第1566号 枝幸線の運転を左の期間休止
 自 昭和14年1月11日
 至 同  年3月31日
粁程変更 1947(昭和22)年4月22日 第246号 区間:小頓別〜 毛登別 元7.1
改4.5
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 枝幸郡中頓別町字小頓別から
枝幸郡歌登村字パンケまで
18.300
区間改正 1959(昭和34)年7月1日 第1025号 枝幸郡中頓別町字小頓別から
枝幸郡歌登村字上幌別六線まで
16.770
※毛登別トンネル完成によるもの。

<粁程>1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名 粁程(km) 所   在   地
始 点 0 北見国枝幸郡中頓別村字小頓別市街省線小頓別駅前
小頓別 しょうとんべつ 0.123
毛登別 けとべつ 7.225 同     枝幸村大字歌登村字ケトベツ原野七三〇番地ノ六
上幌別 かみほろべつ 15.636 同             字上幌別原野二四八〇番地ノ三
幌別 ほろべつ 18.899 同                   四〇三番地ノ三(上幌別六線市街)
般毛内 ぱんけない 20.891 同                   六一六番地ノ三
一本松 いっぽんまつ 25.239 同             字下幌別原野五九八番地ノ三
金駒内 きんこまない 28.494 同                   三一〇番地ノ五
下幌別 しもほろべつ 31.957 同                   一線北ニ号モウツ保安林内
枝幸 えさし 35.150 同       大字枝幸村字枝幸市街省線枝幸駅前
終 点 35.200
※幌別は幌別六線とも呼ばれ、のちに歌登線終点の歌登停留場となる。
※昭和40年代は、当時の料金表によれば、小頓別、吉田、毛登別、大島、柴山、熊の沢、秋山(本)、秋山(分)、中央、歌登の各停留場があったという。


●幌別線

<告示>

告示内容 告 示 日 告示番号 区    間 粁程(km)
使用開始 1933(昭和8)年11月10日 第1587号 自北見国枝幸郡枝幸村上幌別六線
至 同 国 同 郡 同 村志美宇丹
12.637
一斉告示 1953(昭和28)年7月25日 第1139号 枝幸郡歌登村字幌別六線から
同 郡 同 村字志美宇丹まで
12.637

<粁程>1939(昭和14)年3月31日現在

停留場名 粁程(km) 所   在   地
始 点 0 北見国枝幸郡枝幸村大字歌登村字上幌別六線市街地
幌別六線 ほろべつろくせん 0.225
歌登 うたのぼり 4.027 同             字上幌別原野八線南七号公共用地
興生 こうせい 6.937 同                   二千百七十番地ノ三
林内 りんない 8.910 同                   国有林内
北志美宇丹 きたしびうたん 10.545 同             字シビウタン原野四線二十番地
志美宇丹 しびうたん 12.536 同             字志美宇丹市街地
終 点 12.636
※歌登は、のちの歌登線終点の歌登とは異なる。
※昭和40年代の動力化後は、辺毛内(ぺんけない)、興生、北志美宇丹、志美宇丹の各停留場があったという。



<沿革>

 宗谷線(のちの天北線)小頓別駅から枝幸港に至る路線として使用開始、当初は運行組合による馬力線だったが、林産物を中心に輸送量が多いことからアメリカ製ガソリン機関車を投入して動力線となり、1932(昭和7)年7月10日に北海道廰直営線としての運輸を開始した。沿線は豪雪地帯で、告示のように冬期は運行を休止していたようだ。幌別(幌別六線、のちの歌登)から分かれる支線の幌別線は、1933(昭和8)年に使用開始した馬力線だった。

 1944(昭和19)年11月に競合する興浜北線が軍事転用のために撤去されると、当線は枝幸方面への唯一の交通手段として賑わい、難所の毛登別峠(小頓別〜毛登別)を避けるトンネル建設に着手した。だが、工事が完成したのは興浜北線復活後の1947(昭和22)年で、輸送量が減少した歌登〜枝幸港間は1948(昭和23)年頃に使われなくなり、疲弊した幌別線も休止となった。1951(昭和26)年11月には歌登村と農林省との間で管理委託協定が結ばれ、歌登村営軌道が誕生した。また歌登〜枝幸廃止後は「歌登線」と呼ばれるようになり、1960(昭和35)年には正式に名称変更された。

 北海道開発局による改良事業は1953(昭和28)年度から1956(昭和31)年度に行われ、トンネルのコンクリート覆工や路盤・軌条強化がなされた。橋梁の永久橋化や自走客車の本格的な投入は昭和30年代後半のことで、1962(昭和37)年1月の町制移行に合わせて、町営軌道となった。一方、幌別線の動力化工事が1962(昭和37)年に始まり、1965(昭和40)年に動力線として運行を再開した。しかし、並行道路の改修で僅か4年後の1969(昭和44)年5月に運行取りやめとなり、敷地の一部は美幸線建設用地となった。

 自走客車5両が在籍した当線は木材チップや農産物などの貨物も多く、茶内線につぐ輸送量を誇っていたが、1970(昭和45)年10月31日を最後に運行を取りやめ、翌1971(昭和46)年5月29日に廃線式が行われた。


<車輛>

昭和30年代以降の車輛は、下表の通り。

種 別 製 造 所 製造年月 機  関 備        考
7tGL 加藤製作所 S17. No.6
7tGL 加藤製作所 S17. No.8
10 tDL 加藤製作所 S27.3 日野DA-55 WNo.27656,←S30雄武線
10 tDL 加藤製作所 S27.3 日野DA-55 WNo.27657,←S30雄武線
8tDL 加藤製作所 S27.12 民生KD-6 WNo.27807
8tDL 日本輸送機 S29.7 日野DA-57  
8tDL 釧路製作所 S40.12 日野DS-70  「歌登健康回復村」に保存
8tDL 泰和車輛工業 S40.12 日野DA-59  
ロータリーDL 泰和車輛工業 S40.12 日野DA-59 軸配置:1-B,2輛
自走客車 運輸工業 S31. 三菱KE21-15 単端式,リアエンジン,定員40
2軸自走客車 運輸工業 S33.2 ダットサン110型 単端式,2軸,定員15
8t自走客車 泰和車輛工業 S38. 日野DS-60 濃淡緑色,前照灯:上部1灯,定員60
8t自走客車 泰和車輛工業 S39. 日野DS-60 トルコン,前照灯:上部1灯,定員60
8t自走客車 泰和車輛工業 S40. 日野DS-60 トルコン,前照灯:窓下2灯,定員60
客車 藤田鉄工所 T13.10 ←S35.3十勝鉄道コホハ44,車体を鋼体化(S32泰和)
ロータリー車 泰和車輛工業 S30.11 民生KD-3 3軸
鋼製有蓋車 泰和車輛工業 S40. 2軸ボギー,6t積
木製無蓋車 泰和車輛工業 S40. 2軸ボギー,6t積,3輛
チップ材車 台車は運材台車流用,4輛
 このほか運材台車多数


(2001/08/26 訂補)