
2000年6月。
マドリー(マドリードのこと)生活も2ヶ月目になり、インターン活動にもようやく慣れてきたかな、ってぐらいの頃。
トランスファー(研修先が変わること)が決定した。
マドリーの学校では9月からの新学期はインターン活動が続けられるかどうか未定、というのはスペインに来る前から
ある程度わかっていた。そして、その日インターンシップ事務所から学校あてに国際電話があった。
「アビラの学校からオファーがあるんですが、どうですか?」
アビラ?一瞬、私の頭の中には数年前に旅行で訪れた中世の城壁と石畳で囲まれたアビラの町がうかぶ。でも全
然違った。アビラ県の外れにあるPiedrahita(ピエドライタ)という山の中の村だそうだ。
せっかくだからもう少しこの学校で活動したいという気持ちもあったけれど、新学期になり組織変更やクラスがえがあ
ることを考えると、新しい学校に行くべきなのか、いろいろ迷った。日本の家族にも電話して相談して、数日考えた結 果、その話を受けることにした。これも何かの縁。もっと新しい出会いを求めて、新しい土地に行ってみよう。
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急いで買ったアビラのガイドブックで確認すると、城壁で有名なアビラの中心部からおよそ60キロ離れた街道沿いに
「Piedrahita」の文字を発見した。Hの音は読まないので「ピエドラヒタ」ではなく「ピエドライタ」と発音する。「イ」にアク セントがあるので、日本人的には気持ちピエドライータって感じで発音すると雰囲気が出るかも。
ピエドライタについては3ページ程の文章と数枚の写真があった。小さいけどとっても由緒ある村みたい。写真は、山
の裾野に広がるだだっ広い野原と、いかにものんびりした村の広場。ホントにホントにMuy Pueblo(ド田舎)!だっ た。冬は厳寒の地だという噂も聞いた。「Maki、スキーで学校行かなきゃね!」とその時のホストファザー、ロベルトの 冗談に冷や汗をかく私。そういえば、グレドス山脈の豪雪写真が隣のページに載ってる・・・まさかねー、これはあくま で山頂の話でしょ。
それからは忙しかった。インターン事務所から新しい学校の資料と招致状が届くとすぐに校長のフアンと、教務主任
兼ホストティーチャーのアンヘル宛てにお礼状を書いた。そしてアンヘルにはその後TELでも連絡。
アンヘルは頭のきれる人のようで、話しやすかった。初めて話す相手だし、丁重な手紙を出した手前、最初ずっと使
い慣れないusted(ウステ・2人称の敬語)でしどろもどろ話していたら、「!Venga, tuteamos!」(おいおい、tu'で話そう よ!)と笑って言われた。スペイン語では相手に対する人称が2種類あり、動詞活用が違う。親しい相手に対するtu' (トゥ)と、あまり親しくない相手や目上の人へのusted(ウステ)だ。でも、商業文や依頼書類なんかは別として、個人 的にスペインでウステを使うことは実際は殆どない。変に日本人の丁寧語感覚でウステを使うと、妙に丁寧すぎた り、逆に一線を引いたよそよそしい感じにさえなってしまう。初めて会う人でも、どんなに年上でも、いつでも気軽にト ゥで話すのがスペイン風なのだ。(でも、中南米では逆で、よほど親しい人以外はトゥを殆ど使わない。)
「手紙よりも電話よりも、まずどんな所か見に来るといい」とアンヘルに言われ、数日後に日帰りで下見に行くことに
なった。私の"初"ピエドライタ行きだ。ファミリアがバス乗り場と時刻を調べてくれた。マドリーのメンデス・アルバロ駅 に隣接するEstacio'n Sur(南バスターミナル)からアビラ経由でバスがあるそうだ。といっても、行きが1本、帰りも1本 って感じなので乗り損ねないようにしなくちゃ!南バスターミナルはマドリー市内の最も大きいバス発着場のひとつ。 私の住むAtochaからは近郊電車セルカニアスなら1駅、すぐ近くだ。なんといっても、これだけセントロ(中心部)に住 んでいるというのは交通の面では非常に便利。まあ、その分治安は悪いけど。
6月30日、朝7時に家を出て、一人でマドリーの南バスターミナルからアビラ経由のバスに乗った。このターミナル自
体は別の旅行で使ったことがあるので、場所はバッチリだった。でも、スペインの田舎行きバスで知らない場所に行く のはいつもドキドキだ。車内アナウンスがない&停留所表示がないことが殆どだから、目的地にいつ着くのか、乗っ ていても本当に気が気じゃない。居眠りすらできやしない。
マドリーから約1時間半でアビラに着いたものの、このまま同じバスに乗ってていいのか、乗り換えるのかすらわから
ずオロオロ。回りの乗客に聞くと、とりあえず同じバスでいいみたい。アビラではけっこうたくさんの人が降りて、また 違う人が乗ってきた。もちろん東洋人なんて私だけ。再びバスは出発、ここからピエドライタまではさらに1時間位かか るらしい。
アビラからしばらくはだだっぴろい平野の一本道。途中、乗客の一人のおばちゃんが運転手さんに何か話し掛け、そ
の直後、おばちゃんはどう考えてもバス停じゃない、普通の道端で降りていった。バスは家が数件しかないような村 というか集落で停まったりもする。段々不安になって、運転手さんに何回も「次はピエドライタ?あとどのくらい?」と確 認していたので、しまいには「わぁーったよ、着いたら教えてやっから、黙って座ってろぃ!」てな感じで諭されてしまう (?)。バスは平野からだんだんと険しい山の中に入っていき、かなり高度の高い辺りを通過。片側は岩山、もう片側 はガードレールの向こうが断崖絶壁、みたいなところも。そして無事ピエドライタに着き、予想通り表示も何もない「バ ス停」に降り立った時の不安と期待は今でもはっきりと覚えている。
そこは本当に、「大自然の中ののどかな村」だった。バスが途中で通り過ぎた小さな集落に比べればずっと大きい村
だけど、日本でも都会で生まれ育ち、首都マドリーからやってきた私にとっては村以外の何ものでもなかった。かろう じて道は舗装されているし、家もけっこうあるけれど、その他周りは山と野原と川。これこそまさに村だ!
村、村、村!ムーイ・プエブロ!!!
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バス亭には学校のグアルディア(守衛兼用務員)であるマリアとペペが迎えに来てくれていた。村の広場を通り抜け
て一緒に学校へ向かう。その途中、目の前をのんびりと黒い牛の群れが横切って行き、なんともいえないほのぼの 気分になる。なんせ、マドリーのセントロに住んでると、目の前を横切るのなんて車と人ばっかりだし。
研修校も、マドリーの学校は生徒数2千人近いマンモス校だったけど、今度は生徒数200人足らずの小さな学校。生
徒はもう夏休みに入っていたけど、休み前の最後の仕事を片づけるために数人の先生が登校していた。教務主任の アンヘルほか数人の先生たちと挨拶をして、9月からのステイ先や授業内容などについて確認をする。みんなとても いい人で、お昼を食べずに午後のバスで帰る私にばかでかいボカディージョまで持たせてくれた。「9月から宜しく ね!」と新しい友人たちに手を振りマドリーへの帰路についた。新学期がなんだかとても楽しみになった。そして、勉 強・旅行などなど自由な夏休みを安心して満喫することができたのだ。
そんな夏休みも終わりいよいよ9月、ピエドライタへの引っ越しの日がやってきた。
2000年9月8日、晴れ。スペインにやって来て偶然にもちょうど5ヶ月目のこの日は、9月とはいえまだまだ夏まっさか
り!の、とてもとても暑い日だった。最初のファミリアのパパだったテオが車でピエドライタまで送ってくれた。もちろん テオはピエドライタに行くのは初めて。スペイン人でさえ行ったことがないような小さい村で、私はこれから何ヶ月も過 ごすのかぁ。
車窓に見慣れたマドリードの雑踏が遠くなっていく。たった5ヶ月とはいえ、やっと住み慣れてきた便利で飽きない、い
つも活気のあるマドリーを離れるのは、やはりちょっとさみしかった。
マドリード自治州を抜けてアビラ県に入り、景色は広大な山と乾いた草原へと変わっていく。6月の下見ではアビラ経
由だったけど、今日は直行するのでちょっと途中の道が違う。日本ではとても考えられないほどのガラガラの国道 N110を飛ばし、マドリーからわずか1時間半ほどでピエドライタに到着した。6月の時の記憶を便りに、村の入り口か ら広場までの道をナビする私。
先生たち、そして新しいステイ先のおばあさんと待ち合わせした村の広場にはもう車がいっぱいで、停める場所探し
に苦労するほど。6月は全然人がいなかったのに、なんで今日はこんなに車が多いんだろう?そういえば、広場にた くさん出ているバルのテラスも、一杯飲む人たちで賑わっている。バカシオネスで人がたくさん来てるのかな?
それもそのはず、実はその2日後が、ピエドライタが1年で一番賑わう村祭りの日だったのだ。
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