インドネシア Indonesia
  ジャカルタ Jakarta スラバヤ srabaya


獨断的訪問記

 オランダ人が日本人に冷たい理由の一つは、日本人がインドネシア人を訓練し、強くし、「女王の首飾り」と言われたインドネシアをオランダからインドネシア人に引き渡す手伝いをしたからに違いない。
 我が国とも縁が深いインドネシアのインディペンデンス・デイ。さるルートを使って、
Peta(義勇軍。インドネシア独立戦争の中心となり、後に国軍の幹部を多数輩出したインドネシア初の軍事組織。日本軍が独立支援のために組織、訓練した)の記念式典に出席できることになった。
 詳しい旅の目的は、
を見てもらいたい。
 ジャカルタのスカルノ=ハッタ空港。他のアジア諸国がハブ空港建設に邁進しているのに、こちらは一歩も二歩も遅れている感じだ。到着ロビーを出ると、ホームレスではないんだろうが、所在なげにたたずむ老若男女が群をなす。バンコクやクアラルンプールではこんなもちろん光景は見られない。「周回遅れ」の第一印象だ。
 さて、8月17日。PETAの記念式典に参加。実は、地方政府の式典の招待状もいただいていたのだが、そちらをお断りして、あえて日本軍とゆかりの深い、こちらに出席することにした。ちなみに、
スカルノとハッタの署名がある独立宣言文の日付は、17.8.05とある。05年とは皇紀2605年のこと。インドネシア人は、大東亜共栄圏構想を、マジメに受け入れてくれていたのだ。
 式典そのものはあっという間。炎天下の行事だから仕方がないのかもしれないが、なんだかあっけないモノだ。クライマックスは国旗の掲揚。メラプティ(紅白旗)が、日本軍教官の扮装をした人物と、PETAの制服を着た人物によってゆっくりと旗は揚がる。
国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱の中、「日本とインドネシアの協力による独立」を象徴する掲揚だ。不覚にも涙が出そうになる。幸か不幸か我が国にはインディペンデンス・デイはない。しかし、国家とは何か、ということをもう一度心で問い直した次第。国旗、国家のない国なんてないんだよ、サヨクや反日日本人の諸君!

↑感動的な掲揚式典。右の方に日本人の軍服(緑)を着た人が見える。
会場でのイベント。エライさんの奥様たちによる合唱。「愛国行進曲」が圧巻!↓

銅像は、左がスカルノ(初代大統領),右がハッタ(同副大統領)↑
 丁度インドネシア旅行が決まったとき、反スハルトの暴動が起こり、中国系住民が襲われている様子がテレビにしばしば登場した。「治安は大丈夫なんですか?」と今回の旅行のコーディネーターに尋ねたところ。「全く問題ないよ。荒れるところは決まってるから、そこに行かなきゃいいんだ。それと、中国人に間違えられないようにすればいいだけさ。インドネシア人は、日本人は好きだけど、中国人は嫌いなのサ。何せ、金持ちは華僑ばっかだもの」とのこと。PETAの式典に赤いTシャツを着た軍団が現れたときにはぎょっとしたが、メガワッティ(現副大統領。スカルノの娘)派のデモ隊で、好意的に式典を訪れただけだった。
 
日本人に向けられる好意は、独立戦争に多くの残留日本軍人が参加し、血を流し、倒れていったという歴史的事実がある。ジャカルタ郊外にあるカリバタ英雄墓地には、そんな元日本兵の墓も点在する。 

↑カリバタ英雄墓地のモニュメント。ここはインドネシアの「靖国神社」だ。
 
オランダとの激戦の地・スラバヤは、そういう予備知識がなければ、単なる地方都市にしか見えないだろう。尤も、大きな港があり、インドネシアの中では有数の町なのだが。ここでは、独立戦争の前哨戦となる、スラバヤ戦争が起きている。日本軍がポツダム宣言を受諾した後、英蘭連合軍が再びインドネシアを植民地にしようと進駐してきた。しかし、日本人の訓練を受け、独立の過日を味わったインドネシア人は、もはや白人に驚かなかった。「羊よりおとなしい」とオランダ人に言われたインドネシア人は、日本軍から奪った(実際は、日本軍が手渡した)武器で果敢に抵抗し、女子学生までが日本人から習った竹槍で、白人の戦車に立ち向かってきたのだ。

 

 

 



















↑スラバヤ市内にある竹槍のモニュメント

 計算違い、まさにその一言。英軍の司令官が戦死するし、大変なことになった。結局、連合軍はスラバヤ市内を占領したが、インドネシア人の抵抗は続いたのだった。
スラバヤの語源は「鮫とワニ」。オランダ人が逆にかみつかれたのだった。
 こんなに親日的なインドネシアに対して、日本人は余りにも関心がなさ過ぎるのでは? バリ島がインドネシア領だと知らない人も多い。
エスニックレストランで饗されるナシゴレンだけがインドネシアではない。かつて一緒に大東亜共栄圏を作ろうとした仲間は、戦後我が国が国際社会に復帰するときに、恩返しをしてくれた。教科書にも出てくる第1回アジア・アフリカ会議。インドネシアのバンドンで開かれたこの会議に、ホスト国であったインドネシアは招請状を送ってくれたのだ。そして、おそるおそる参加した我が国代表に対して、「あなた達のおかげで、我々は会議を開けるのだ」と賞賛してくれたのだ。
 内外の危機にあえぐインドネシアに、今度は再び日本人が手をさしのべる番ではないか?
 


平成10年8月訪問
平成12年6月記す


**勝手に自己採点(5段階評価) 平成10年8月

□治安   ★★(ヤバイとこは決まっている。中国人は嫌われているので、治安が悪化したときには間違えられないように)
□衛生   ★★(ジャカルタ,スラバヤ共にほこりっぽい。バンコク並の排気ガス)
□物価   ★★★★★(安すぎ。100円もあれば食事は事足りる)
□人間   ★★★★(歴史的経緯から親日的な人は多い。一般的に言って親切だった)
□面白さ  ★★★(都市しか行っていないので、町の面白さは余り感じなかった。リゾートに行けばまた違うんだろうけど)
□美味しさ ★★★★(本格的なインドネシア料理は辛い! 手づかみだよ)
□総合   ★★★(ジャカルタは町がでかいから、効率よく廻るならツアーの方がいいかも?)