


珍事あれこれ 


旅の道中でのひとコマをレポート。
「宗ちゃん♪」<4/18up!>
旅をしているといろいろな人に出会うもので、またそれが楽しみの一つでもある。そしてその出会いから思わぬ展開を生むことがあるものだ。その結果がどうあれそれはそれで貴重な体験となり、必ず自分を一回り成長させてくれるはずである。だから旅は面白くやめられないのだ。そんなわけで私は決して人付き合いが得意な方ではないが、出来るだけ人との出会いを大切にしたいと日々心しているつもりである。
私もこれまで旅すがらいろいろな人達に出会ったが、そのなかでも特に印象深く 忘れられない人物がひとりいる。そのひとには一度しかお会いしたことは無いがいろんな意味で私の脳裏に鮮明に記憶されている方である。いまごろどうされているかわからないが機会があれば是非もう一度お話を伺ってみたいと思っている。
そのひと「Oさん」に出会ったのはホンダ「HART」のイベントの前夜祭キャンプに参加したときのことだった。琵琶湖東岸に建っているとあるホテルの敷地内に設けられた公園がその会場だった。
キャンプに参加することになったのは、私が信州蓼科YHで出会ったあるひとがきっかけだった。GWの信州ツーリング最終日に立ち寄った蓼科YHは諏訪湖の北東、蓼科山のそばにあり、近くに温泉やハーブ園などもある。建物は別荘風の一軒家でたしか10名程度の定員だったと思う。私はそこに一泊し、翌日はもう帰宅しなければならなかったので朝早く立つつもりでバイクに荷物を載せようと早朝の駐車場にいった。するとそこに先客がひとり、40代半ばくらいの男性が愛車であろうゴールドウィングを丹念に磨き上げている最中だった。
「おはようございます。早いですね。」
私があいさつすると彼もおはようといい、今後の予定などについて雑談した。話しをするうちに彼、Hさんは毎月かなり長距離を走ることやツーリングクラブを主宰していることなどがわかった。また彼は大変几帳面でこれまでのツーリングの記録として主な場所から場所への移動距離と時間を克明に記録していたのである。別れ際、便利だよといって走行時間記録の用紙と、もしその気があればということでそのツーリングクラブの参加申し込み用紙およびキャンプのパンフをくれた。私はクラブの申込用紙をながめた。するとつらつらと規則のようなものがかかれている。記憶を頼りにその一部を書き出してみると、
○ 公道でのライダーのマナーを守り、全国HART会員の模範となること。
○ 事故などの処理に際しては、事故責任において処理し他人に迷惑をかけないこと。等、、
これらの記述をみるに、主催している方々というのは社会的にかなりしっかりとした責任をもって行動しておられるように思われた。このとき私は興味にかられ、すでに9割がた参加する心持になっていた。
後日、私は会社の同僚らといっしょに御招きに預かることになった。朝、家をたち、昼頃には京都、会場の湖東には夕方4時ごろに到着した。するとそこには既に数台のバイクと若い人から年配まで結構幅広い年齢層のひとたちが集っていた。彼らはホンダHARTの会員で毎回イベントの前日に集り、前夜祭と称してキャンプをはり賑やかに語り合うのだそうだ。
やがてテントを設営しながら私は集まったひとたちをいろいろ観察していたのだが、なんとなく感じたのは若い人はとっても元気、そして年配の人はなんだか妙に貫禄があるなあということだった。そしてさらに気になる人物が私の目に入った。彼は60代くらいであろうか見事に真っ白な髪でメガネの奥にある目はやさしい光を湛えていた。そして貫禄ある年配たちの中央にイスをかまえてデンと腰掛けているのである。その様子を見るとこのひとこそこの集まりの中心であるかのように思われた。その後、バーベキューとキャンプファイアの準備が始まり、我々も一緒に手伝いをした。
ひといきついたところで我々はHさんから皆さんに紹介された。そしてみなさんのほうからも誰からとなく自己紹介してきたわけだが、ひとりまたひとりと名乗るにしたがい我々は徐々に恐縮していくことになった。若い人はともかく年配の方々の肩書きが凄かったのである。もと某テレビ局の局長、某電力会社の重役、某電気会社社長等など、、。我々地方会社の一兵卒にとってはあたかも大名のような存在の方々ばかりであったのだ。そしてさらにあらかた紹介がおわったあと極めつけを知ることになった。思わぬ展開に驚いていると我々はなにやらレーサーの写った写真を誰からか渡された。よくみるとなんとアイルトン・セナ!の生写真ではないか!!そしてもっと驚いたのは、いただいたもう一枚のほうにガレージを背にしてセナとならんで写っている60代くらいの白髪の男性の姿だった。そうOさんがそこにあのアイルトン・セナと親しげに並んで写っていたのである!私は驚いて、横を向いてのんびりとイスに腰掛けているOさんをみた。
「あのー、、、(^^; ひょっとしてこの方、もの凄い方なんじゃないですか??」
今にして思えば、失礼なような間の抜けたようなことを言ってしまった。皆さんはかわるがわるOさんのことについていろいろ語り始めた。
「Oさんはねえ、ホンダコレクションホールの元館長さんでねえ、、」
「ここのHARTを主催してる幹部連中なんかわざわざあいさつにくるよね〜。」
「Oさん、今日乗ってきたバイク、本当はコレクションホールに飾っておくようなシロモノだったでしょ。」
「わーははははは!ちょおっと借りてきちまったんだよ!気にしない気にしない♪」
「Oさん、あのバイクお気に入りのやつだったっけ?」
「うん。ずっとまえに宗ちゃんがやるっていってたんだけどねえ。」
宗ちゃん?
「でもほんとに宗ちゃんが逝っちまって寂しくなったなー。一緒に長いこと苦労してきたからなあ。」
あのー、ひょっとして「宗ちゃん」っておっしゃるのはホンダの創始者、故本田宗一郎氏のことなんでしょーか?
ひょっとしなくてもそうだったのである。なんたることだ!こののんびりしたおじいさんは大名を通り越してまるで天下の副将軍、水戸光圀公のようなひとだったのである。
「Oさん、体の具合どう?バイクなんか乗ってていいの?」
「えっ?ご病気なんですか?」
「ちがうちがう、Oさん1ヶ月前まで大怪我で入院してたんだよ。交通事故でねー。」
「わーははは!ほんとにあんときゃあ死ぬかとおもったわ!」
「先月のキャンプのとき退院早々車で参加するんだもん。みんなびっくりしちゃってさ。」
「ほんとは医者に振動は良くないから乗り物は控えろっていわれてたんだけどなー、わははー!」
「そんで今日はもうバイクに乗ってきちゃうしね。」
「私くるとき遅れそうだったんで警察を気にしながら80kmくらいで走ってたんだけど、途中でどっかでみたようなバイクにぶち抜かれたんだよ。よくみたらOさんだった。」
「わははは!ちょっと急いどって140kmで走っとったもんでなー。リハビリよ、リハビリ♪ぐわーははははは!」
なんちゅうじいさんじゃ、、。我々はしばし絶句し、みなさんの会話をあぜんとして聞いていた。
やがてあたりが暗くなってキャンプファイアに火がともりバーベキューがはじまった。Oさんを中心に輪ができ、賑やかな時間が流れる。みなさんは大変ゆかいなひとばかりで我々も気兼ねすることなく楽しむことが出来た。Oさんは酒豪らしく、にこにこしながら日本酒をかぽかぽ飲んでいた。私がお強いですねーというと、酒は長生きするために飲まんといけんのよ、わははははー!とのことだった。こんな調子でこの夜は深夜まで宴会が続いた。
翌日、目をさまして少々頭痛のする頭を振りながら夕べのキャンプファイアのところへいくと、もうすでにOさんとHさん、数名の女の子らが起床していてお茶をのみながら語らっていた。あれだけ酒を飲んでいたのにOさんはケロッとしてイスに座っていた。本当にたいしたひとだなあとただ驚くばかりである。
ところで私は昨日からOさんを観察していたのだが、いつも賑やかでみんなの中心にいるOさんだが横をむいてにこにこしていながら、どうやら私が誰かにむかってしゃべるときには黙って聞き耳を立てているようだった。新入りということで彼もそれとなくこちらを観察していたようなのである。そんな姿が、自分たちの思うままにしゃべっている他のひとたちとは全く違う雰囲気となって私に強い印象を与えたのだった。私はOさんの、のんびりした表情のうらになにやらピーンと張り詰めたものを感じたのである。しかしそれは決して不快なものではなかった。わざわざ我々のような若輩どものために人数分のセナの生写真をプレゼントとして用意してくれ、さらに我々がどんな人間なのかと関心を持ってくれたということが感じられたからである。
我々は遠方からの来訪のため、本日中に帰宅するには朝食もとらず早々に出発しなければならなかったので、みなさんにお別れを告げ帰路に着いた。別れ際にOさんはこちらを真っ直ぐ向き、メガネのおくに目を細めてにっこりしながらひとこと、「ありがとう!」といった。私は今でもその表情を忘れない。
「競の都」
京都という街はご存知の通り、日本の古都として栄えていたこともあり、道路が碁盤の目状に区画されその網目の中にはこれでもかっというほど住居だのお寺だのが詰まっている。最近はかなり高いビルも目立つようになり古都の景観を損ねるといって問題になるケースも多いようだ。
それに京都の町は道が狭くなるところや一方通行が多いし、加えて交通量が多いので地元の人間はともかくよそ者の車での移動は大変である。私はツーリングの途中でこの街に寄る機会があったのだが、その時間帯が運悪くちょうどラッシュの始まった夕方だったため、車の波に飲み込まれることになってしまったのである。
こうなってしまうと車はお手上げである。なかなか進まない前の車に対してジリジリする時間が経過していく。しかし「すり抜け」を駆使できるバイクには渋滞もあまり関係ない。列を作る車の横をスイスイすり抜けていくことが出来るのだ。特に小型、原付バイクはこういうシチュエーションは大得意だ。ここぞとばかりにちょっとした隙間も逃さずすり抜けいていく。京都は学生が多い町でもあるためか、肩がけバックやディパックをしょった学生が原付バイクであくせく移動している光景を頻繁に見かけるのである。
一方、このときの私はでかいブラックバードにでかいツーリングバックを搭載していたため、ホイホイすり抜けするわけにはいかなかった。普段快速を誇る愛車もここにいたってノロマな亀に成り下がってしまったのである。それでもなんとか慎重にすり抜けを敢行し目的地を目指していたときだった。一台の原付バイクがピタリと私のテールにつき、前が詰まってきたところでこれ見よがしにヒューンと抜き去っていったのである。
「、、まあこの状態じゃしょうがない。原付の方が有利だよなあ。大型ライダーはこんなことでムキになったりしないもんね。」
といいつつ少々スロットルを握る手に力が入る。やがて前が動き始め、私もなんとかすり抜けてしばらくスピードにのって走った。すると途中で先ほどの原付を抜き返す形になったのである。
「あれ、抜いてしもた。まあでもこれが本来の姿ってもんさ、原付君♪」
ところがその数十秒後、またも同じパターンでその原付にかわされてしまったのだ。しかもやつは抜き去り際にこちらをいちいちうかがっているのである。
「、、このやろうなまいきな、俺と勝負しよーってのかっ。原付でリーンインなんかしやがって、かっこわりー!」
渋滞でいらついていた私はそこで完全に戦闘モードに切り替わった。そんなわけでしばらくの間、ブラックバードと原付の低レベルな抜きつ抜かれつバトルが展開されることとなったのである。
しかしどう考えてもこの勝負は私には分がなかった。この渋滞に加え、やつは身軽で地の利を得ていたからである。私は前があいたときの飛び出しでなんとかリードするもののすぐに抜き返されてしまった。そして、、、決着はついた。私は排気量にして実に1/22の相手に敗れ去ったのである。
「ちくしょーあのやろう!正々堂々と高速で勝負しやがれっ!」
ぜんぜん正々堂々ではないのだが、このときは悔しさでじだんだを踏むしかなかったのである。私は敗北感に苛まれながら赤に変わった信号の前で、走り去っていくやつを見送り、ギアをニュートラルにしてクラッチから手を離した、、、つもりだった。次の瞬間「スコン!」というでかい異音がしてエンジンがとまった。ギアがまだセカンドだったのである。周りには何があったのよとこちらを凝視するおばちゃんや大爆笑する兄ちゃん達の車などが私を取り囲んでいた。このときの赤信号が異常に長く感じたのは言うまでもない。
「朝の準備運動」
あれは大分県臼杵港内のフェリー乗り場ターミナルで一夜を過ごしたときのことだった。この日は結構冷え込んでいて、しかもどういうわけか蚊が多くてなかなか寝付けなかった。昨日一晩を待ち合い所の硬いベンチで過ごした私は、周囲のガタガタという音で目がさめた。なにかなと思って目を擦りながら見てみると、朝一番のフェリーで到着したのだろうと思われるアメリカンの一団が私の近くのベンチに陣取って出発前の身支度をしているところだったのである。カッコはというと皆さん黒い革ジャンにブーツ、少しほころんだようなジーパン、バンダナなどを身につけており言わゆるアメリカンスタイル。なかには腕にタトゥーを施したやつもいる。外にはずらりとバイクがならび、私は思わず「イージーライダー」や「マッドマックス」のワンシーンを思い起こした。
ライダー達のなかでもアメリカン野郎というのはどちらかというとあまり愛想が無く、ぶっきらぼうでとっつきにくいというイメージだ。道ですれ違うときこっちがピースしたって大抵は、正面プラス10°くらい上を無表情で見つめたままふふーんと走り去ってしまう。彼らは硬派で孤高の自分たちのフィールドを思うがままに疾走しているのだろう。眠い目を擦りながら起きあがるとそのうちの一人が話しかけてきた。
「よう眠れましたか?」
「いや、昨夜は顔の廻りを蚊が飛びまわっていてなかなか、、、」
「あっはっは、この寒いのに蚊?おおい!(仲間に向かって)、この寒いのに蚊がおったんやって!」
別に俺が呼んだわけじゃないと思いつつ、少し気分を害した私は仲間たちと笑っているそいつとは会話もそこそこに顔を洗いに洗面所にいった。寝袋のなかでフルみのむし状態だった私の顔は辛うじて蚊の襲撃から守られていた。元いたところに戻ると私は出発の準備を始めた。
「今日はどこいくん?」
「宮崎のほうへ。」
「そっか、ワイらは鹿児島までな。方向同じやしどっかでまた会うかもな。」
連中のうちの一人と雑談していると、メンバーのうちでは年少っぽい細身の兄ちゃんが目の前で柔軟体操を始めた。体がかなり柔らかいようで、まるで見せ付けるかのように足を伸ばし、開脚を行っている。サングラスがキラリと光り長髪をなびかせてなかなかキマっている、、、ように見えた。次の瞬間ストンという音と共に開脚180°が完成された途端、そいつの表情が苦悶にゆがみ下腹部を抑えて苦しみ始めたのである。どうも運悪くあそこを地面にヒットしたらしい。仲間に両脇を抱えられて外に退場してしまった。彼はその体の柔軟さと体操の邪魔になるほどタマがでかいことを見せ付けていったのだった。
別れ際、アメリカン軍団は視線を10°上方に据えて次々と走り出していく。そんななかあの若い兄ちゃんだけは心なしか10°ほど下を向いて走っていくように見えた。元気出せよ、そのうち良いこともあるって。
「混浴とは?」
昨年、青森県十和田湖を訪れたときのことである。この日は下北半島からの帰りで、奥入瀬の辺りにやってきた頃には空も暗くなってきたので十和田湖畔にあるYH博物館にチェックインすることにしたのである。ここは十和田湖グランドホテルに受付がありYHはここの建物の一部になっていた。
部屋に入ると既にビールで気分を良くした先客がひとり、TVを見ながら座っていた。50才前のこの男性Mさんは「東北の山を登山して廻っていて、既に主な山は全て登頂したので、あとは温泉でも浸りながらのんびり帰ろうとしている」とのことだった。
「登山ですか。すごいですね、Mさん。こんなに沢山(地図をみながら)。」
「うんうん、ただ岩手山は今、火山活動が活発化してて登れなくてね。しかたないから麓の温泉だけ入ってきたよ。露天にね。」
「温泉ねー。東北は良い温泉が沢山ありますねえ。今日、僕は奥薬研温泉に行ってきたんですよ。」
「うんうん、私も行きたかったんだけどね。すごい土砂降りだったんで止めたんだよ。あそこは混浴だったね。」
「カッパの湯はそうです。もうひとつの新しい夫婦カッパの湯は男女別ですけど。」
「うんうん♪」
彼は上機嫌である。この後、話は混浴露天風呂へと焦点が移っていった。しかし彼は赤い顔で次第に熱弁を奮い始めたのであった。
「最近はどうも勘違いしてる輩が多くていかん!昨日も露天風呂に行ったんだが、最初私の他に男ばかり10人ぐらい入っていてね。そこへ暫らくして若い女性が2人入ってきたんだよ。」
「おっ、良かったですね。」
「何がいいもんか!男どもの視線が一気にそちらへ集中さ。あれじゃ女の子たちがかわいそうだよ。」
「はは、まあね。でも男の性としては仕方ないんじゃないですか。」
「女の裸が見たけりゃストリップ行きゃ良いんだ、全く!露天風呂ってのはそんなもんじゃあないんだ!」
「はあ」
どうやら混浴露天風呂にくる男達の目的の殆どが、見知らぬ若い女性と一緒に入ることになってしまっているのを嘆かわしく感じているらしかった。
「どこへいってもその調子だよ。ふう、、、まあでも最近は若い女の子のほうが平気で入ってくるのも確かだな。かえっておばちゃん達の方が恥ずかしがってね。」
「ふうん、そうなんですか。」
「うむ、おばちゃん達はさっさと上がっちゃうけど、若い子達は結構大胆でね、おっぱいも隠さずすたすた歩いてることがよくあるね。」
「へえー」
「まあでも最近の子はおっきな胸してるんだよなー、、」
、、、あんたもしっかり見とるやないかい!!