蒲池氏関係史跡、他

 
蒲池城跡之碑                 崇久寺 蒲池氏墓碑


城砦
●蒲池城   福岡県柳川市西蒲池
天慶年間、藤原純友の一族の藤原純乗の築城とされる。その後、蒲池氏の居城となる。つまり、蒲池氏発祥の地。
蒲池城之碑(柳川市)

●柳川城  福岡県柳川市本城町
文亀年間に蒲池治久が築城。その後、蒲池鑑盛が大改築し、九州随一の難攻不落の堅城となり、蒲池氏嫡流(下蒲池)
の本城となる。蒲池氏の居城時代の別名は城の輪郭が翼を広げた鶴を連想させたので舞鶴城。

柳川城本丸跡(柳川市)

●蒲船津城 福岡県山門郡三橋町蒲船津
蒲池氏の家臣、蒲池(黒木)益種の居城。

蒲船津城跡(柳川市)
●垂見城  福岡県山門郡三橋町垂見
      蒲池氏の家臣、垂見常陸介が守る。
●塩塚城  福岡県山門郡大和町塩塚
      蒲池氏の家臣、塩塚石見守の居城。
●大木城  福岡県山門郡瀬高町大広園
      蒲池氏の家臣、大木兵部の居城。
●宮園城  福岡県山門郡瀬高町大広園
      蒲池一族の今村大隈の居城。
●犬塚城  福岡県三潴郡三潴町玉満
      蒲池一族の犬塚繁貞の居城。
●横溝城  福岡県三潴郡大木町横溝本村
      蒲池治久の弟の蒲池久弘が代官として在城。

●山下城  福岡県八女郡立花町北山
蒲池鑑広が築城。蒲池氏別流(上蒲池)の本城。蒲池鑑広が龍造寺隆信の筑後侵攻に抵抗し、2万の大軍に対して
篭城戦を行い、守りきった天然の要害。

山下城跡を望む
●知徳城  福岡県八女郡広川町広川
      蒲池氏の家臣、一条和泉守の居城。
●川瀬城  福岡県八女郡広川町新代
      蒲池氏重臣、矢加部大学が築城。 
●長延城  福岡県八女郡広川町長延
      上記矢加部大学の居城。
●国武館  福岡県八女市国武
      蒲池氏一族の中野光元の館。中野館とも。

社寺、他
●三島神社 
人皇75代崇徳院の時代、蒲池城主の蒲池出羽守が勧請し、その後、代々蒲池氏の氏神として崇敬される。社領は88町。
蒲池氏を滅ぼした龍造寺氏の兵が来襲し、社内を破壊し、神宝、神剣、神輿などを奪い、その際、同社旧記も失われる。
三島神社(柳川市西蒲池)

●本地堂浄光院
三嶋神社の別当。蒲池氏を滅ぼした時、龍造寺氏が寺宝、旧記を奪い去る。龍造寺氏は、当寺の鐘を奪って筑後川に沈め
たが流れず、潮干る時、竜頭を顕すと云われる。

●高良大社
筑後一の宮。蒲池豊庵『蒲池物語』によれば、前蒲池時代最後の蒲池武久の一人娘は、家系断絶を悲しみ、社寺への祈願、
祈祷を繰り返すが、ある夜、不思議な夢を見て、高良山に参篭する。社前に宇都宮朝綱の後裔の宇都宮久憲がおり、彼も
また夢に誘われて高良山に参篭したという。二人は、不思議な縁に互いに喜び、夫婦となる。この宇都宮久憲が、後蒲池
時代の初代の蒲池三河守久憲。

高良大社鳥居(久留米市)

●崇久寺
前蒲池時代の蒲池氏の位牌所の長福寺、城中寺のうち、後者が享禄年中に蒲池治久(入道宗久)を埋葬した後、改称された。
蒲池氏累代の菩提寺となる。往時は勅願寺で、塔頭八箇寺だった。またかつては蒲池氏の家臣たちの墓碑が3千基並んでい
たともいわれる。

崇久寺(柳川市西蒲池)

●西念寺
蒲池(上蒲池)氏の菩提寺。戦乱のため、往時の姿と大いに変貌してしまった崇久寺と異なり、火災にあうこともなく、
現在に到り、上蒲池の史料も多数伝えられている。

西念寺(八女郡広川町)

●大善寺玉垂宮
古くは風浪将軍酒見社と称されていた。船舶を風浪から守る神として厚い信仰を集めた。永禄3年に蒲池氏が修造。現在
の社殿は重文指定。

●良清寺
開山は、蒲池鑑盛の孫の円蓮社応誉上人雲冏和尚。

●二宮大明神
蒲池鎮漣を謀殺し、蒲池氏を滅ぼした後、龍造寺氏に起きた恐ろしい異変は、鎮漣の弟の蒲池統安が討死の際になした龍
造寺氏への祟りのためとして、龍造寺隆信(あるいはその子の政家)が怨霊を宥め柳川沖端に二宮明神として祀る。また、
蒲池鎮漣の嫡男の宗虎丸の霊という。現在は、同地域の産神。

●矢留村田中松
蒲池鎮漣の嫡男の宗虎丸の墳墓地。父鎮漣が龍造寺隆信に謀殺された後、宗虎丸はここに隠れた。里の者は、龍造寺氏の
探索から宗虎丸を匿うが、密告する者があり、宗虎丸は龍造寺氏に殺される。密告者の子孫は、その祟りにより癩を病む
と云われる。

●百八人塚「史蹟・蒲池鎮漣夫人他百八人塩塚落城殉難之地」
蒲池鎮漣が佐賀与賀で謀殺された時、落人となった鎮漣夫人と侍女百八人が同地で自害。現在は、蒲池鎮漣夫人と侍女た
ちを祀る地蔵がある。
大和町教育委員会による説明板
  「天正9年(1581)5月28日、蒲池統安が守る柳川城が落城のとき、鎮漣夫人玉
  鶴姫を始め、子息、侍女ら108人は、統安の二男蒲池鎮貞が守る塩塚城へ逃れました。
  6月1日、塩塚城は、佐賀城主竜造寺隆信と鷹尾城主田尻鑑種に挟撃ちにあい、落城し
  ました。108人は、最初の間、少し東の蒲原に隠れていましたが、ついに自害または
  殺害されました。後日、遺骸を宗樹寺の前に集め弔ったのが百八人塚です。玉鶴姫の遺
  骸は本堂の横に埋葬し、その上に若宮神社を建立、のち下塩塚の住吉宮に合祀したと伝
  えられています。」

(柳川市塩塚)

●蒲池鑑広墓碑
上蒲池2代目の蒲池鑑広は、龍造寺隆信の筑後侵攻に対して要害の山下城に立篭り粘り強く抗戦。城を守りきる。
        

(八女郡立花町)

●蒲池鎮運の墓(帝釈寺)
蒲池鎮運は、蒲池鑑広の子で、柳川の蒲池嫡流の蒲池鎮漣とは又従兄弟。蒲池嫡流が滅びた後も、蒲池分家の当主
として存続し、戦国を切り抜ける。豊臣秀吉の朝鮮遠征に参陣し、文禄元年に釜山で病死。享年31歳。

(三池郡高田町)

●豊後蒲池氏墓碑
蒲池鎮漣の嫡男の宗虎丸は殺されたが、宗虎丸の姉の徳姫と弟の宮童丸は、少数の家臣に守られて柳川落城から逃れ
る。宮童丸は後に蒲池経信となり、その一族は、豊後日田に子孫を伝え、今日に到っている。初代蒲池経信、2代経
行、3代経成の墓碑。

(日田市尾部田)
蒲池氏の後裔としては、■朽網氏系蒲池氏、■首藤氏系蒲池氏、■諌早の蒲池氏、■長徳の蒲池氏が代表的だったが、     
豊後日田に蒲池鎮漣の子孫が系譜を伝えていたことが、蒲池大気・蒲池猷介『蒲池氏の歴史』により明らかにされた。     

●諌早蒲池氏・宇都宮氏墓所(天祐寺)
肥前で蒲池鎮漣と共に討死にした蒲池家家老の蒲池鎮久(蒲池鑑盛の落胤)の子の熊千代は、塩塚の民家に逃れ、成長して
蒲池貞久となる。龍造寺隆信の蒲池氏謀殺に不本意な龍造寺家晴は、恩のある鑑盛の血筋の貞久を家臣にする。家晴の一族
は、鍋島時代には諫早家となり、蒲池貞久の一族も諌早に移り、蒲池氏の系譜を伝える。

 
蒲池貞久の子孫については、蒲池鎮克による蒲池家系図には「此子孫肥前國佐嘉ニ在リ然レトモ其仇ニ事スルヲ以テ   
我家祖先以来之ヲ絶ス」とある。                                        

画像は、蒲池雅徳『蒲池氏略記』、蒲池大気/蒲池猷介『蒲池氏の歴史』、山口祐造『諌早旧家臣団系譜』、その他から。