筑後国氏族譜


蒲池氏(下蒲池家)  山門郡 柳川城
筑後国三潴郡蒲池邑より起こる。嵯峨源氏。十三代蒲池久憲以降は宇都宮氏族。
「一蒲池弾正(嵯峨天皇末、凡十万石、一萬町、筑後二十四人旗頭。封に云ふ民部大輔鎮並)、柳川城に拠り、五百四十町を領す」(筑後領主附)
●蒲池氏嫡流。詳細は本HPをご参照下さい。


蒲池氏(上蒲池家) 上妻郡 山下城
筑後国三潴郡蒲池邑より起こる。嵯峨源氏。後に宇都宮氏族。
蒲池十七代目の筑後守治久の孫の蒲池志摩守鑑広に始まり、山門郡山下城に拠る。
「一蒲池勘解由鎮行(嵯峨天皇の末宇津宮、一本志摩守、凡八萬石、八千町)山下城に居り、五百四十町を領す」(筑後領主附)。
「永禄中、蒲池志摩守鑑広は山下谷川二城に拠る」(鎮西要略)とある山下城は、『蒲池物語』における人見城のこと。「兵庫頭鎮広、蒲池城からこの山へ移る」(要略)。「天正十二年、鎮運、山下城に拠り大友の命に叛きければ、攻落さる」(九州軍記)、また 「永禄中、志摩守鑑弘、山下城を以つて大友氏に属し、天正中龍造寺に攻められ四年にして降る」(廃城考)、 「龍造寺等、数々攻めくれども抜く能はず。鎮運卒して、其の子の弥六太僅に六歳、遂に没落」(筑後国史)
●蒲池氏の強大化を恐れた筑後守護でもあった大友氏が、蒲池家十七代の筑後守治久の次の代の時に、蒲池本領から六百町を割き、上妻郡山下村に住ませ、独立した大名分として成立。


田尻氏 山門郡 鷹尾城 
筑後国三池郡田尻邑より起こる。大蔵氏族。
「(漢高祖末)田尻中務大輔、山門高尾城に居りて三百廿八町を領す」(筑後領主附)
「鷹尾村城。田尻伯耆守鑑種の居城也。田尻村本城は水乏し。故に永禄中、当城を築きて転住す。嫡子伯耆守家種、後鍋島家に属す。子孫今肥前小城々主の家臣たり」(筑後国史)
●田尻鑑種の姉は蒲池鑑盛(入道宗雪)の妻で、鎮漣(鎮並)の母。


草野氏 山本郡 発心城
筑後の草野、肥前松浦の草野と発祥地は諸説。藤原氏北家裔、肥前の高木氏、肥後の菊池氏と同族。肥前松浦党出自説も。
「子孫蔓衍し、嫡家は筑後に在り、庶家は松浦に拠る。井上氏、赤司氏、上妻氏は、草野氏の支族也」(菊池系図)


三池氏 三池郡 今山城
筑後国三池郡より起こる。大蔵氏族。
「中原親能、三池地頭賜り、四世孫貞房、本所に来住して子孫三池氏と称す」(竹迫系図)
「先祖を尋るに、大織冠鎌足公より十五代斎院次官藤原親能より出でたり。親能、後に頼朝朝臣より姓を賜ひて源氏と称す。親能四男を摂津守師員と云ふ、其の子大学師俊、其の子安芸守貞房なり。貞房に三子あり嫡子は三池三郎師時、合志郡竹迫の城主となる。後に筑後の三池を領して、三池を以つて家號とす。」(菊池軍記)
「大蔵朝臣春實の令孫、原田、秋月、三池、田尻、云々、同姓名也」(鎮西要略)
「蒲池統安の妹は今山城主三池上総介の弟の同勘解由入道の妻。その娘は立花正之丞の母なり。」(宇都宮略系図)


上妻氏 上妻郡 山崎城
筑後国上妻郡名による。藤原姓高木菊池氏族。
「一、上妻越前守(中関白末、宮)、山崎城に居り、二百町を領す」(筑後領主附)


西牟田氏 三潴郡 城島城
「西牟田左衛門(少弐末、一に蒲池氏)、三潴郡西牟田に居りて五十町を領す」(筑後領主附)
「大永中、西牟田播磨守親貞(蒲池物語には親毎)の子息左衛門大夫、大友に背く。是に於いて、大友親繁、大永三年閏正月、兵を率いて之を攻む。西牟田父子、山崎城に於いて戦死す」(豊西記)
「家綱が十三代播磨守親毎、七千五百町を領す。其の子孫播磨守鎮豊に至り、天正十五年除邑となる。一族西牟田新助家周、其の舎弟家和、共に城島の城に居る。」(誌)


星野氏 生葉郡・竹野郡 生葉城
筑後国生葉郡星野邑より起こる。調氏族。
「筑後国黒木助能は黒木、星野、川崎を領し、二男元真は星野を領して、星野氏と號し、世々星野に居る。天正中、中務大輔吉實に至りて絶ゆ。」(扶桑記)
「豊後大友氏、肥前龍造寺氏、互いに九州を争ふ。龍造寺隆信、黒木の領地を掠略す。星野と黒木は同族なるが故に、吉實、猫尾城に拠りて拒否し、二男正實をして福丸城を守らしむ。大友氏、偽りて援兵と称し、竹尾外記なる者をして入城せしむ。猫尾城、奸計に陥り、吉實を害す。故を以つて黒木家、遂に龍造寺氏に属す。」(星野家記)


黒木氏 上妻郡 猫尾城
出自には諸説あるが、調氏族とされる。
「黒木氏は本国薩摩、調氏より出づ。大蔵大輔助能、文治年中、上妻郡黒木庄木屋村に猫尾城を築き、黒木、河崎の両庄を領す」。「黒木河内木屋村の猫尾城は其の起源詳らかならず。薩州根智目の城主某、大軍を率して来り攻むる事、二年余にして、遂に猫尾城を抜きて是に居る。黒木大蔵大輔助能と云ふ。室は島津忠宗の女なり。黒木六町、及び山門郡瀬高庄にて千町を領す。文治二年春、助能大番として上京、助能、笛に巧なるを以て、帝、其の曲調の微妙なるに叡感有りて、調姓、及び官女侍宵小侍従を賜ふ」(黒木由来記)

問註所氏 生葉郡 長岩城
鎌倉幕府問註所より起こる。三善康信、その執事に補されてより、子孫がその職に就き、職名を氏とする。三善清行の後裔の問註所康行、正和二年鎌倉より下向し、生葉郡を領す。
「康行より問註所治部少輔康景に至る


溝口氏 下妻郡 溝口城
筑後国下妻郡溝口邑より起こる。少弐氏族。他に、草野氏と同族説、宇都宮氏族説。
「溝口常陸介(中関白末、又一に蒲池家来)、下妻小田城(一に溝口城)に居り、五町(五百丁)を領す。」(筑後領主附) 「大永五年、溝口刑部、川崎右京亮と心を合せ、溝口に城を構へて楯籠る。二月十二日、大友先陣千七百餘人、溝口の城を囲む。」(蒲池物語)


河崎氏 上妻郡 犬尾城


五条氏 上妻郡 高屋城


堤氏 三潴郡 下田城
豊後国日田郡堤邑より起こり、筑後国三潴郡下田邑に移る。大友氏族。
「下田村城館跡。堤貞正入道妙光、下田村近郷七邑を領し、寛正三年、館を此の地に構へて居る。南北八十間、東西六十間(實記)。永禄三年、城を村中久重に築いて、大友の兵を防ぐ(堤氏所蔵記)。同七年、村南に新川を掘つて要害とす(今按ずるに、或は天正元年、或は七年)。天正五年、九州騒乱に因りて、東西に漂泊し、一日も安事なし。同十五年、遂に龍造寺に屈従して、永く家臣と成り、小知を食み、子孫今に鍋島氏に仕ふ。」(筑後国誌)
「堤忠之の女(蒲池右京大夫室、千栗崎上坊母」(堤氏系図)


三原氏 御原郡 本郷城
筑後国御原郡より起こる。大蔵氏族。
「其の先は大蔵朝臣春種の五男大蔵○○也、云々。右金吾大蔵朝臣種勝、其の子親種、其の子三原左衛門大夫重種、其の後裔三原和泉入道紹心、天正十四年、筑前国岩屋にて戦死」(大宰管内志)


安武氏
菅原氏族。蒲池一門の安武氏とは別。
「鑑政、茨阿波守、河内国大掛郡の産、永正五甲辰年、三潴郡安武村海津城に入部、時に二十五」「惣べて二百町を領し、此の内三十町を右馬介の領とす。大友宗麟の旗下と為る也」(筑後国史)


大木氏
山門郡大木村より起こる。宇都宮氏族。蒲池久憲の弟の宇都宮舎人助資綱の子の政長が大木を称す。
「大木村城、天正年中、大木兵部少輔之に居り、蒲池鎮並に属す。鎮並肥前に戦死すと聞き、即ち馬を馳せて肥前に到る。鍋島直茂、恩撫によりて之を降す。子孫、今肥前に在りて大物頭たり」(南筑明覧)


町野氏
問註所氏族。


菅氏
菅治部大輔藤原永家の後裔として竹野郡菅村に起こり、同地域の地頭職。


麦生氏
竹野郡麦生村に起こる。所領三十一町。


小川氏
竹野郡小川村に起こる。


酒見氏
蒲池久憲の孫の弾正久種が称した酒見氏とは別。
三潴郡酒見邑の風浪宮(永禄3年[1560年]蒲池近江守鑑盛入道宗雪が再建)の神官。菅原姓を称す。


津村氏
原田氏族として三潴郡津村より起こる。「津村大助(一に介)三潴郡津村に居りて、廿四町を領す」(筑後領主附)


江島氏
三潴郡江島村より起こる。高木氏族。
「一江島遠江守(少弐末、中関白)、三潴郡江島に居る、廿三町三段」(筑後領主附)


酒井田氏
上妻氏族として上妻郡酒井田村より起こる。


坂田氏
山門郡坂田村より起こる。所領十八町。坂田遠江は蒲池氏配下の将。


甘木氏
上妻郡甘木村より起こる。
「重家、中関白道隆後裔、西牟田刑部大輔と號す」(甘木系図)、その子家恒、甘木村を領す。「天正五年日州耳川役家棟安家父子共に戦死す。此の處に乗じ龍造寺兵来攻、幼主家長、留後の兵を催し城を鬼口に構へて防戦、同十四年薩州勢来襲、家長難を避け、肥後国石村に蟄し、久して卒し、子無して家絶ゆ」(系図)


辺春氏
上妻郡辺春邑より起こる。「黒木末、辺春勘解由、立花城に居り、十一町三反半を領す」(筑後領主附)


辺原氏
「高一揆衆、辺原殿」(小野村内宮権現棟札)。「辺原式部少輔、十一町三反半」(筑後領主附)


行徳氏


古賀氏
大蔵氏族で原田氏と同族。
「先祖は漢高祖の苗裔にして劉氏たり。始め甲斐国に住す。子孫、筑後国三潴郡古賀村に移り、古賀を称号とす」(古賀家伝)


谷川氏
調姓黒木氏族として上妻郡谷川村に起こる。「(黒木末)谷川新三郎、谷川城に居り、三十町を領す(一に十二丁)」(筑後領主附)


高三潴氏
「高三潴式部少輔、高三潴に居り、三百町五反」(筑後領主附)


木室氏
三潴郡木室村より起こる。蒲池氏の配下。
「木室又兵衛、居三潴郡、領六町」(筑後領主附)、「木室村城跡、天正十二年、木室又兵衛此の城に拠り、肥兵を防ぐ」(筑後国史)


林田氏
居城竹野郡怒田村「工藤土佐入道、猶子の契約の上は名字を改め、跡相続肝要に候 林田興次郎殿」(朽網文書)


荒木氏
三潴郡荒木村より起こる。藤原氏を称すが、大江氏末とされる。


水田氏
下妻郡水田邑より起こる。「同村は水田天満宮の所在地にて、世々太宰府大鳥居氏の所管なれば、其の分家か」(筑後領主附)


稲員氏
筑後国高良山社家。永正七年主計頭良維はじめて大友義鑑の幕下となる。


隈氏
大善寺玉垂宮大祝部。神代氏と同族とも。
「隈右京(一本に左京)、三潴郡隈犬塚に居り、三十五町四反を領す」(筑後領主附)