赤泊村の城址

赤泊城(赤泊村赤泊城山)

 赤泊城は、赤泊港を見下ろす比高50mほどの山上にある。戦国時代末期に、羽茂本間対馬守高貞が、弟であった三河守高頼にこの地を与え、港支配のために築城させたのがこの城であるという。城山の麓に平城と呼ばれている場所があり、現在赤泊小学校の敷地となっているが、ここに平素の居館があったものと思われる。
 城は主郭部がよく残り、二郭との間には巨大な土塁がある。土塁の高さは8mほどもあり、佐渡の城郭に見られる土塁の中でも最も巨大なものである。土塁の外側に空堀を穿っていないので、高さを高くしたのであろう。人工的に造った者としては少し巨大すぎる感もあるが、主郭と二郭を平坦にするために削った土をまとめて造ったものであろう。
 赤泊村は近年観光に力を入れていて、さまざまな観光施設がオープンしている。02年の夏に訪れたところ、模擬天守のような展望台がオープンしたばかりであった。中には赤泊村の伝説に関するさまざまな資料が展示されている。この展望台は模擬天守と言うには形態的に難があるのだが、れっきとした城址の主郭部に建っていること、佐渡でも1つくらい模擬天守的なものを紹介してみたいという個人的な思い入れから、一応、模擬天守のコーナーでも紹介させていただくこととする。






















上川茂城(赤泊村上川茂字城山)

 上川茂白山神社の東側の比高30mほどの山上にある。尾根上を堀切で区切り、5郭ほどがある。赤泊本間氏配下の池野氏の城。城址の背後を「かくれ城」と言っている。伝承によると、上杉氏の佐渡攻めの時村人達がここに籠もったことにちなむものであるという。
 海岸に続く県道と外山に続く道とが交差する地点の向かい側にある山である。交通の要衝を押さえるという意味合いもあったのであろう。















腰細城(赤泊村腰細)

 

 松ヶ崎方面から、赤泊に向かって海岸線を走ると、城が浜海水浴場があるが、この背後の、腰細の港を見下ろす比高30mほどの山上に城はあった。よく見ると腰細城を示す案内板もある。腰細川の右岸にあたる。
 羽茂本間氏に属した村殿本間山城守や三河守の城である。天正17年(1589)6月15日巳の刻、上杉景勝の佐渡攻めの際に、羽茂本間氏の救援に向かった腰細城主本間三河守高頼は、川茂街道で迎え撃った上杉方の黒金安芸守尚信と合戦になった。その場所は「戦道陣屋」として観光用に整備されている。3郭があり、土塁、空堀、井戸跡が残る。発掘調査の結果、2郭に鍛冶場があったことが分かった。青磁白磁等も検出された。































大竹屋旅館