佐渡の古城址

 

 *佐渡は04.3.1、全島一市となった。したがって、以下の住所表示も変ってしまっている。しかし、基本的に、最初の市町村名が「佐渡市」に変っただけで、後の字名は変更していないので、以前のままの表示の方が分かりやすいと思われる、したがって、当分の間は以前の表示をそのまま使用することとする。

 私の故郷佐渡島は明治まで小さいながらも一国であり、180以上にものぼる中世城郭遺構が存在している。(幕末の台場60ヶ所を加えると城郭関連遺構は実に240ヶ所余りとなる。) 近世は天領となったために、大名による近世城郭がないのが残念だが、戦国時代まで本間一族等が島内に割拠し、合戦も行われている。(参考までに「佐渡風土記」の記述を紹介すると、天正年間に佐渡には22人の地頭がいて佐渡を分割支配していたという。内訳は本間氏13家、渋谷4家、藍原、土屋、名古屋、足立、石花の各家であったという。) 帰省したときにしか回れないので城址調査もままならないが、佐渡にある城跡を、すべて紹介してみよう。(主に「城郭体系」「佐渡古城史」「新潟県中世城館分布調査報告書」を参考にした。) 

 *50音順に並べてあります。


相川奉行所(相川町相川)

合沢城(真野町大川字城ノ内)  

青木城(新穂村青木字城ノ内)

青野館(佐和田町青野字小杉)  畑、山林となり、また一部は消滅。

赤玉城(両津市赤玉字城来)  久知本間氏配下の土豪の城。山城。

赤泊城(赤泊村赤泊城山)

穴城(相川町下小川字穴城)  水田となっている。

安養寺城(金井町安養寺字城ヶ平)  

安養寺館(金井町安養寺)  

飯岡城(羽茂町飯岡字城ノ沢)  

五十里城(佐和田町沢根五十里字城の上)・五十里西城(沢根五十里字西野)

石花(いしげ)城(相川町石下)  

石田城(佐和田町石田字込ノ内)  山林となっている。郭が残る。

泉城(九兵衛城・又三郎城・金井町泉甲)

泉元の城(金井町泉字元の城甲)  

市ノ沢城(佐和田町二宮字垣ノ内)  河原田本間氏の家臣近藤氏の城。

井内城(新穂村井内字本城、野城)  土豪の城。本城と野城の二箇所があったが、遺構消滅。

岩首城(両津市岩首字城ノ尾)  栗之江本間氏一族の平間氏の城。山城。櫓台が残る。

岩野城(金井町泉字岩野乙)  

岩谷口城(相川町岩谷口字下城)  山林となっているが郭が残る。

浮亀城(小木町小木字古城)  城山とも言う。畑、山林となっているが、郭、土塁、空堀、虎口が残る。

牛込城(金井町泉字牛込)  

歌代城(両津市加茂歌代字城畑)

歌見城(両津市歌見字城山)  

梅津城(両津市梅津字城山)

梅津平城(両津市梅津字三ノ城)  

浦川城(両津市浦川字城山)  南北朝期、地頭渋谷氏の山城。

瓜生屋(うりゅうや)城(新穂村瓜生屋字二の城)  土豪名古屋氏の城。3郭ほどあり、郭、土塁、空堀が残る。

永野(えいの)城(西二宮城・佐和田町二宮字永野)  河原田本間氏一族本間監物の城。郭や空堀が一部残る。

大石城(羽茂町大石字城ヶ平)  羽茂本間氏配下の土豪長部氏の城。「城ヶ平」と呼ばれる。

大川城(真野町大川字大川内)  

大久保城(畑野町大久保字城ノ内)  雑田本間氏配下の土豪の城。現在遺構は明らかではない。

大倉城(相川町大倉字城ノ平)  

大崎城(羽茂町大崎字垣内)  羽茂本間氏配下の土豪野沢藤右衛門の城。「城の腰」と呼ばれる。山城。郭、空堀が残る。

大野城(新穂村大野字外城)

大野館(新穂村大野)

多田城(畑野町多田字本城)

大和田城(金井町千種字西通・城ノ内)  大和田地区の西側の低位段丘上にあった。100m×50mほどの中心郭と、方20mほどの三角形に近い形の郭との2郭から成る。雑田本間氏配下の土豪の城。「城の内」と呼ばれる。「殿様屋敷」とも呼ばれ土塁や空堀を残す。城ノ内地区と上杉地区(城)の二箇所にある。

岡田城(羽茂町岡田字城ノ平)  

小川城(相川町上小川)  

小川台場(相川町上小川)

小木城・元小木城(小木町上野城ノ内)

小木港役屋(小木町小木)

沖の城(佐和田町上矢馳)  矢馳村の南方低地に「元禄検地帳」に「沖の城」と見える。矢馳殿の初期の居館があった所であると思われる。

小倉城(畑野町小倉字城ヶ尾)

小田城(相川町小田字城ヶ平)  

柿野浦城(両津市柿野浦字城ノ頭)  土豪の城。山城。井戸が残る。

潟上城(新穂村潟上字城の上)

潟上古城(新穂村潟上

片野尾城(両津市片野尾)

金丸城(真野町金丸字後486)  雑田本間氏配下の土豪計良弾正の城。単郭方形の居館であり、堀跡が残る。

釜屋城(善右衛門城・両津市秋津字城)  吉井藍原氏配下の土豪粕屋氏の城。3郭で土塁や空堀が残る。

上市野沢城(陣屋敷・上屋敷・佐和田町市野沢字土原) 

上川茂城(赤泊村川茂字城山)  

上長木元城(佐和田町上長木字腰の上)  水田、畑、宅地となり、郭が残る。

上新穂城(新穂村上新穂字城の下)

上山田城(羽茂町上山田字城山)  

河内城(畑野町松ヶ崎河内字城ヶ平)  

加茂城(両津市加茂歌代)

河崎城(両津市河崎字古城、城ノ上)

河崎土塁(両津市河崎)  

川原田城(佐和田町石田字城ノ内)

河原田荒城(佐和田町八幡字荒城)  水田、宅地となる。

神田城(佐和田町二宮)  

北狄(えびす)城(鎌倉どん・相川町狄字城ノ上)  

北五十里城(両津市北五十里字上ノ城)  

北方城(新穂村北方字城ノ内)

北片辺城(勘四郎城・相川町北片辺字生浦の上)  

北河内城(田中城・相川町北河内字城ヶ平)  

北田野浦城(相川町北田野浦字城ノ腰)  

北村城(畑野町三宮字城ノ内)  宅地となって消滅した。

久知(くじ)城(馬坂城・両津市城ノ腰字城ノ内)

窪田城(佐和田町窪田字坪ノ内)  

熊谷城(畑野城・畑野町畑野字城)  

倉谷城(真野町大倉谷字立野)  水田、畑地となる。

栗野江城(畑野町栗之江元城)

栗野江山城(畑野町栗野江城ケ平)

国分城(真野町国分寺字京ヶ峯)  

腰細城(赤泊村腰細)

小田(こだ)城(相川町小田)  石花氏配下の土豪本間氏の城。「城ヶ平」と呼ばれる。

五丁弓(ごちょうのき)城(野方城・金井町泉)  雑田本間氏配下の村殿北見氏の城。

小泊城(羽茂町小泊)  羽茂本間氏家臣の岡崎氏の城か。

小泊城(松ヶ崎どん・相川町北狄字城ノ上)  

小比叡城(小木町小比叡字城山)  

籠米(こまごめ)城(両津市秋津字城ノ鼻)  

笹川城(真野町笹川字城ノ平)  笹川城は砂金山のすぐ南西にある。西三川砂金山を押さえるための城であったろう。比高60mほどの山上には2郭があり、浅い堀で区画している。また、土塁、井戸の跡なども残る。羽茂本間氏配下の土豪の城。

雑太城と雑田元城(檀風城・新川城・真野町竹田)

雑田山城(隠れ城・詰めの城・真野町竹田字城山)

沢根城(伯山城・佐和田町沢根字古城)

沢根元城(佐和田町沢根字上の山)  

三宮城(畑野町三宮字城)

椎泊城(椎泊字城ノ沢)  椎泊の集落から2kmほど入った山中にある。標高352mの「ゴウトウの山」の西側に方20mほどの小郭が4ヶ所ほど残っている。大正の初め頃には水田として耕作されていたというが、現在では山林化している。水田造成の際には槍、小柄等が出土したという。地元では天正17年、上杉景勝の佐渡攻めの際、久知殿が隠れていた所という伝承があるが、明らかではない。

鹿ノ浦城(相川町南片辺字立野)  山林となっているが郭が残る。

獅子ケ城(河原田城、東福城とも・佐和田町石田字城ノ内)

静平城(真野町静平字城山608)  静平小学校の東側の比高50mほどの台地上にある。城址の南側は旧小木街道で、この道を押さえている。また周囲は深い沢となっており、要害の地である。小規模な郭が4郭ほどあり、背後の空堀は竪堀となって、山下に落ちている。赤泊本間氏の境目城と推測される。郭、土塁、空堀が残る。

渋手城(真野町豊田字古城)

下川茂城(赤泊村川茂字城山)  羽茂本間氏配下の土豪風間氏の城。山城。郭、土塁、空堀が残る。

下畑城(波多城・畑野町下畑字城の前)  

下長木城(佐和田町下長木字宮ノ下)  

下新穂城(新穂村下新穂) 

下矢馳城(金井町泉)  河原田本間氏の配下、北見氏の城。

下八幡城(駅館・佐和田町八幡)  郭、水堀等があったが、湮滅した。

宿根木(しゅくねぎ)城(小木町宿根木字城ヶ平)  南北朝期木野浦代官本間氏庶子の館。建武合戦で廃城。「城が平」と呼ばれる。宿根木博物館の先の海に突きだした台地。しかし遺構は見られない。

真光寺城(佐和田町真光寺字城平)  河原田本間氏本間定泰の隠居城。郭、空堀が残る。

新保城(金井町新保)

新保山王城(金井町新保)  新保城の500m東北。大彦神社付近の「城の前」と呼ばれるあたり。戦国期に新保城から移ってきた。水田化され消滅。

須川城(羽茂町須川字城ヶ平)  

住吉城(両津市住吉)

清士岡(せいじおか)城(羽茂町大橋字清士岡)

千本城(相川町千本字城ノ腰)  

高瀬城(相川町高瀬字岩野)  

田上城(佐和田町沢根字田上)  宅地、畑、学校となり、郭が残る。

滝平城(羽茂町滝平字城ヶ平)  羽茂本間氏の属城。「城ヶ平」と呼ばれている。山城。

滝脇城(真野町滝脇字城ヶ上)  

竹井城(新穂村竹井字丸城)

竹田城(真野町竹田字町)  

竹ノ内館(佐和田町上矢馳字竹ノ内)  水田化され消滅。「竹ノ内」は「館の内」の転であろう。

立野城(金井町泉字城の手)  

田中城(佐和田町田中町字城ノ上)  畑、山林となり、郭が残る。

谷塚城(新穂村長畝字城ノ内)  島東端の台地。土豪本間十郎高納の城。「城の内」「城の前」などの地名や郭、空堀を残す。

玉崎城(両津市玉崎字城ノ平)  

太郎兵衛城(佐和田町八幡字寄町)  水田化され消滅。

椿尾城(真野町椿尾)  

坪石館(相川町南片辺字鹿ノ浦)  水田となっている。

鶴子城(佐和田町田中町字城の上)  

寺田城(畑野町寺田) 

藤津城(金井町藤津乙)

鳥越城、蟹穴屋敷(畑野町小倉鳥越城ヶ平) 

長畝城(新穂村長畝)  長畝殿と呼ばれた土屋氏の城か。

長江城(両津市長江字城ノ上)  吉井藍原氏に属した長江殿名古屋氏の城。郭、空堀。吉井殿は長江殿の娘をもらい、領地に水を引かせてもらったという伝承が残る。加茂湖に向かって突き出した比高20mほどの台地上にあった。50m四方ほどの2郭があり、間を空堀で区画している。   

中興城(金井町中興字道の下甲)

長木城(佐和田町長木字沖の城)  河原田本間氏配下の土豪の城。水堀が水田となっている。

中沢田城(真野町竹田字元城)  

中島城(金井町大和)  吉井藍原氏の一族藍原宮内の城。2郭。

夏居城(小木町小比叡字城山)  小城町北部に素浜の海水浴場があるが、この背後の比高50mほどの山中にある。二つの峰にそれぞれ郭を持っている。羽茂本間氏家臣の佐々木氏の子孫であるという佐々木家がこの城山の所有者であるが、冬居(羽茂)に住んでいたが、夏になるとこの地にやってきて塩を焼き、羽茂殿に献上していたという。そのためこの地を夏居と呼ぶようになったという。ということは、塩を焼くための番所として用いられていた場所なのかもしれない。

新穂城(新穂村下新穂字郷内)

二宮城(佐和田町二宮字堀の内)  宅地、畑地となり、郭、土塁、空堀を残す。

西窪田城(池田民部屋敷・佐和田町窪田字立野)  

西の河内城(金井町泉字城ノ内)

西三川城(真野町西三川字城ノ平)  須崎や十二尾岩などのある海岸線から2kmほど内陸に入った比高60mほどの山上にある。西三川川に向かって突きだした台地で細長い山上を空堀で3郭に区画している。城主として、三川殿、本間山城守、赤泊地頭本間三河守などの名が挙げられるが詳細は明らかではない。真野から赤泊に抜ける街道を押さえる城であったろう。

野方城(金井町泉)→五丁弓城  

野崎城(畑野町宮川字城ノ内)

西方城(羽茂町西方字城ヶ平)  

西山田城(佐和田町山田字上ノ平)  山林化しているが、郭が残る。

二方潟城(新穂村長畝字仲川)  「新穂村史」では場所不明としているが観音院の境内か。堀状の水田が取り囲み「城の前」と呼ばれる。戦国期の城主は土屋下総守照邦。

入川(にゅうがわ)城(相川町入川)  石花氏配下の池田氏の城。入川河口の北側の「城腰平」という小山。

野坂城(河内城・佐和田町野坂字向平)  現状は畑地、宅地、山林。郭、土塁、空堀が残る。

羽黒城(両津市羽吉字段)

羽二生(はにゅう)城(両津市羽生字蝦夷ヶ城)  久知本間氏配下の土豪の城。土塁が残る。羽二生部落から直線で2.5km入った標高505mの山中である。蝦夷ヶ城と呼ばれている所で、三角点になっている山頂の20×15mほどの高台と二郭ほどがある。中央部に高さ1m、幅2mほどの土手が100mほどにわたって続いている。

羽二生(はにゅう)城(佐和田町羽二生字城ノ山)   

羽茂城(羽茂町羽茂本郷字上の平)

羽田城(大仏城・相川町羽田)

馬場城(畑野町畉田)  雑田本間氏配下の土豪本間越中守政家の城。しかし位置がはっきりしない。

浜中城(真野町吉岡字城ヶ平)  

東立島城(両津市東立島)  久知本間氏配下の土豪の城。山城。

平清水城(掃部城・金井町平清水字西野)  河原田本間氏配下の土豪榎木掃部の城。水田、荒蕪地となり消滅。

蛭ヶ河内城(北方山城・新穂村大野)

日和山城(中の城・小木町木野浦字日和山)  山林、宅地となっているが、郭、土塁、空堀が残る。

二見城(相川町二見字馬場)  畑地となっているが、郭や馬場が残る。

舟代城(新穂村舟下字城ノ内)

坊ケ浦城(畑野町坊ケ浦字城)

真更(まさら)城(真木城・両津市真木字城の上) 

松ヶ崎城(畑野町松ヶ崎字相間屋敷)  

丸山城(畑野町丸山字城ヶ山)  

水渡田(みとだ)城(金井町水渡田字馬場)  

皆川城(新穂村皆川字城ノ内)

湊城(両津市湊城ノ内)

南片辺城(相川町南片辺)  石花氏配下の本間五郎左衛門の城。屋敷のあるところを「平城」と呼んでいる。

宮浦城(畑野町宮川字城ノ内)

村上城(佐和田町真光寺字天王)  宅地、水田となり、郭、空堀が残る。

村山城(羽茂町村山字城)  

目黒町城・目黒町西殿城(畑野町目黒町字城・城ノ内)

両尾(もろお)城(両津市両尾字城)  戦国時代、宮浦宗四郎という土豪が居城としていたという。現在、神社となる。宇賀神社の東隣の台地である。かつて蓮郭式に3郭があったらしいが、両尾神社を移した際に削平され、現在は2郭しかない。西側の腰曲輪にある家の屋号を「城」という。このページの背景画像の中心に三角形の宇賀神山が見える。その左隣の台地である。

矢馳(やばせ)城(佐和田町上矢馳字城)  

山田城(佐和田町山田字小松原)  

八幡城(佐和田町八幡)  河原田本間氏配下の土豪の城。土塁。水堀が一部残る。

吉井城(金井町吉井本郷字松ノ木)

吉岡城(真野町吉岡字城ノ内、馬場)

吉岡元城(真野町吉岡字本郷)

吉住城(両津市羽吉)

四日町城(真野町四日町字城ノ腰)  雑田本間氏配下の土豪臼杵氏の城か。

米郷城(相川末米郷字城ノ上)  

和木城(両津市和木字城ヶ平)  梅津渋谷氏配下の土豪の城。土塁・空堀がよく残る。

鷲崎城(矢崎城・両津市鷲崎矢崎)  

  

 

 

 

 





















大竹屋旅館