東行庵

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し

 

東行庵・高杉晋作像


高杉晋作の墓

正面に「東行墓」

裏面には「谷潜蔵 源 春風号東行、

慶応三年丁卯四月十四日

病歿赤間関享年二十九」と刻まれている。


高杉東行晋作顕彰碑

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し・・・」


高杉東行(晋作)歌碑

慶応元年(1865)8月、下関郊外桜山での招魂祭で亡き同士を偲んで詠んだ和歌が刻まれている。

おくれてもおくれても又君たちに

誓ひしことをわれ忘れぬや


東行庵

晋作の墓のある清水山の麓に、奇兵隊軍監山県有朋の住居があった。この地を明治2年、梅処(ばいしょ=おうの)に贈り、東行庵とした。

(東行庵とは、もともと晋作が下関桜山の寓居につけていた居号)

建物は明治17年、伊藤博文、山田顕義、井上馨らの募金によって建てられた。(昭和41年修理)


おうの(梅処尼)の墓

晋作の愛人おうのは仏門にはいり、明治42年(1922)67歳で亡くなるまで東行庵で晋作の菩提を弔い続けた。


東行庵の場所:下関市吉田町

(中国自動車道小月IC下車10分、湯谷温泉方面行くと看板がある)

 
 

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