政治的な文章を読む

 

新植民地主義

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以下はZnetの記事の日本語化ではなく,英国ブレア政権の「新植民地主義」についての文章です。


昨年4月,「アフガンは一応何とかなったように見えなくはないが,次はどこなのか,イラクなのか」が語られ,また日本では「ワールドカップまであと○日!」で毎日盛りあがりつつあったころに,オブザーヴァー(=日曜のガーディアン)に掲載された記事がある。

Why we still need empires Sunday April 7, 2002

「なぜ私たちは今も帝国を必要とするのか」

empiresと複数形になっているのが日本語にできないのが悔しい。私の日本語の運用力が低いせいだが。

私たち(とは誰のことかはわからないが)には(複数の)帝国が必要なのだと主張するこの記事を書いたのは,オブザーヴァー紙の記者ではない。政治評論家でもない。

記事を書いたロバート・クーパー(Robert Cooper)氏は,a senior British diplomat(「英国の外交官として重鎮的存在」とでも日本語にしようか)であり,Tony Blair's foreign policy guru(「ブレアの外交政策のブレーン」)と説明されている。つまり,この人の考えを言葉を変えて表現し,政治的力と立場を利用して国際社会という舞台で実行しているのが,英国首相トニー・ブレアである。

オブザーヴァーに掲載された文章は,純粋に記事(この新聞のためだけに書かれたもの)ではなく,クーパー氏の著書の一部だそうである。

クーパー氏のこの文章は,一言で言えば,現在の世界の中で英国(グレートブリテンおより北アイルランド連合王国:「北アイルランド問題のカタもつけられないくせに何を言ってやがる」あるいは「パレスチナ問題の火種を作った戦犯じゃねぇか」)が占めるべき位置/地位を語った文章である。

英国は米国の“属国”として「イラク戦争」(対イラク軍事侵攻)を“支援”しそれに“参加”したのではない。それはこの文章から明らかである。

以下,Why we still need empires Sunday April 7, 2002を定本として話を進める。英文の後につけた日本語は,「訳」というよりむしろ「辞書は代わりに引いておきました」的ものである。つまり,かなり適当で細かい検証はしていない。文章の構造こそやや複雑な部分もなくはないが,全体的にそんなに難しい語は用いられていないので,英文で書かれたままを読むことも難しくはないと思う。


書籍からの引用であるとは言え,のっけから

In the Ancient world, order meant empire. Those within the empire had order, culture and civilisation. Outside it lay barbarians, chaos and disorder. (古代においては秩序とは帝国のことであり,帝国の内部には秩序と文化と文明があった。帝国の外部には野蛮人と混沌と無秩序があった)

などと言い切られているのにまず驚愕する。あえて古臭い言葉を使っているのかもしれないが,それにしてもいつの時代の歴史観だ? 19世紀の文章にこういう感じのものがよくあると思う。

その後,論は当然であるかのように,「秩序と文化と文明の帝国」と「無秩序と野蛮の未開」の対峙を前提として展開される。

その時点でツッコミどころ満載すぎて頭が痛くなる。正直言って,私には読むのがつらい。つらすぎる。が,野蛮から文明へという歴史観があるから,まあここまでは許容範囲なのだ。が,この後がすごい。

次の2つの段落は,話のつなぎなので読み飛ばしてもかまわないだろう。

The image of peace and order through a single power centre has remained strong. But empires are ill-designed for promoting change. Holding an empire together usually requires an authoritarian political style, since innovation leads to instability. Historically, empires have been static.(中央集権に基づいた平和と秩序のイメージは根強いが,帝国は変化に弱い。変革は不安定につながるので,帝国をひとつにまとめておくためには政治的には独裁体制が必要とされ,歴史的には帝国は安定してきた)

But the balance-of-power system which replaced empire in Europe also had an inherent instability - the ever-present risk of war. After 1945, a final simplification turned the multilateral balance of power in Europe into a bilateral balance of terror. But it was also not built to last. The end of the balance of power in 1989 also marked the waning of the imperial urge. A world that started the last century divided among European empires finished it with all or almost all of them gone: the Ottoman, German, Austrian, French , British and Soviet Empires are now just a memory. (しかし欧州で帝国に成り代わったパワーバランスのシステムは本質的に不安定で,常に戦争の危険をはらんでいた。1945年以降,欧州の複数の国家によるパワーバランスは,2国間のテラーバランスとなったが,長続きはしなかった。1989年にそのパワーバランスが終焉した後は,帝国願望は弱まった。……云々)

問題はこの次である。何を根拠にこう断言するのか。見えているものだけを見て,見えないもの,あるいは意図的に見ようとしないもの,あるいは無視できると判断したものはまったく読み手に見せようとしないで,一応筋だけは通して話を進める。これは詭弁である。(詭弁とは,「抽象的な紋切り型を振りまわす」ことではない。河童の川流れが「楽しそうに遊ぶ様子」ではないのと同様に。)

Instead, we have two new types of state. First, there are pre-modern states - often former colonies - whose failures have led to a Hobbesian war of all against all: countries such as Somalia and, until recently, Afghanistan. (現在は2つの新たなタイプの国家が存在する。第一は「前近代的(プレモダン)」国家である。多くは元植民地だ。その多くはホッブズ的争いの極みにある。具体的にはソマリアや最近までのアフガニスガン。)

各地を支配する勢力が分立・拮抗したアフガニスタンの状況を,2001年10月ごろ(空爆のころ)の日本では「戦国時代のようなもの」と説明していたのと比べると,非常に興味深い。国民国家成立以前に各地の豪族(貴族)による支配が長く続いたドイツや都市国家が長く続いたイタリアなどではどう解釈されているのだろうというよけいな興味まで抱かせる言いぐさである。英国は「各地方の豪族」による歴史ではなく,「中央集権的国王」による歴史を持つ。(イングランドとウェールズとスコットランドは本来別々の独立国家だったのだから,ウェールズやスコットランドは「各地方の豪族」には当たらない。なお,文中における「英国」との表現は極めて曖昧なものではあるが,これしか語がないので便宜上これを用いる。)

そんなことよりびっくりなのが,pre-modern states「前近代的国家」という言いぐさだ。「歴史は直線的に進歩する」という歴史観でなければ出てこない。

これを書いたのは,ブレアのブレーンの外交官である。そんなのが外交のご意見番(なのだろう,多分)を務める国家が,自国の制度を「多文化主義」だの何だのと言ってるんだからちゃんちゃらおかしい。要は,彼らは,“遅れた”国家から来た人々を“助ける”ことは“文明国”の義務だと思っているにすぎない。

もちろん英国の市井の人々がそう考えているとは私は思わない。実際,私の知っている英国の人々(その多くはいわゆる白人であるが,アングロサクソンのイングリッシュもいればアイリッシュも,もちろんスコットも,そしてジューイッシュもラテン系もゲルマン系も,そしてもちろんどこの系統なのか私にはわからない人々も)は,オリエントのSONYとJVCとNISSANの国からはるばるやってきた日本人(=私)を,“遅れた”国家から来た人間とは扱わなかった。「ゲイシャ」文化のジャパニーズへの偏見あるいは先入観はまったくなかったとは言えないが。

しかし重要なのは,政府で政策を決定する立場にある人間が,「ソマリアだのアフガニスタンだのは前近代的だ」「(我々の)植民地だった国は独立はしたが前近代的で内ゲバに明け暮れている」と認識しているという事実であり,それを書物や新聞で堂々と語っているという事実である。

記事のさらに先を見る。

Second, there are post-imperial, postmodern states which no longer think of security primarily in terms of conquest.(第二にはポスト帝国主義,ポストモダンの国家である。征服という点で安全保障をプライオリティとしない国家である。)

こんなところで「ポストモダン」という語に遭遇するとは。まあ,ここでは「モダン(近代)の後」の意味でしかなく,postmodernだからといってフォスター卿の建築物のようなものを連想する必要はない。ここでいう「ポストモダンの国家」とは,要は,武力に拠らず,他の手段で自国の権益を拡大することをしている国家のことを指すのだろう。

話は同じ段落の中で次のように展開する。

A third kind are the traditional 'modern' states such as India, Pakistan or China which behave as states always have, following interest, power and raison d'etat. (第三の種類は,伝統的な「近代」国家である。例えばインド,パキスタン,中国。これらの国家は,国家が常に行動してきたように行動している。つまり利益と力と国家理性を追及している。)

「第三の種類」としてはすなわちインドやパキスタン,中国のような国家であるという。これらの国家の現在のあり方を,ことさらに取り上げることの意味は何か。核兵器を持ってお互いに恫喝しあっている2つの国家(領土争いと“テロ”継続中)と,イランなどともつながりのある共産主義国家が含まれている。

筆者のクーパー氏はこれらを「ポストモダン」と対置して「モダン」と位置付ける。「ポストモダン」はもはや武力では戦わないが,「モダン」は依然として武力を増強し,それを見せつけ,それによって自国の立場を確保しようとしている,あるいは権益を拡大しようとしている――筆者の論点はここにあるように思う。つまり,“進んだ”ポストモダン国家と,“遅れた”モダン国家。なお,インドもパキスタンも旧英領,中国も19世紀には英国やフランス,米国,ロシアなど列強によってずたぼろにされ,日本にとどめを刺されたことがある(清朝)。筆者の差別意識を読み取るのはうがちすぎだろうか。

この次の段は,まるで何事もなかったかのように,「第二」である「ポストモダン国家」についての話となる。

The postmodern system in which we Europeans live does not rely on balance; nor does it emphasise sovereignty or the separation of domestic and foreign affairs. The European Union has become a highly developed system for mutual interference in each other's domestic affairs, right down to beer and sausages. Members of the postmodern world do not consider invading each other. But both the modern and pre-modern zones pose threats to our security. (欧州のポストモダン体制はバランスには依存しない。主権を強調することもしないし,内政と外交を分けたりもしない。欧州連合は内政に関しても相互に干渉する。ポストモダン世界のメンバーは互いを侵略しようとは考えない。しかしモダンとプレモダンが,我々の安全に脅威となることをする。)

……。頭がバクハツしそうである。

これのどこに論理があるのか。

文明のある欧州は国どうしで侵略し合おうなんていう野蛮なことは考えないんざますのよ,ホホホホとでも言いたいんだろうか。

そもそも,「プレモダン」→「モダン」→「ポストモダン」という直線的思考ですべてを解釈し語ろうとしている,そこに病理があるのではないか。

っていうかあんたバカ?

幸い私たち日本人は(←いきなりナショナリストになるがご容赦),平成や昭和よりも江戸の方が優れていた面もある(例えばリサイクルの仕組みとか)ということを知っているので,こんな時代遅れの直線的思考の罠に陥ることは,防ごうと思えば防げるだろう。あるいは,“右肩上がりの成長神話”が崩壊した現在では,来年の収入が今年よりもよくなると確信はしていられないし,「日本経済」が来年は今年よりよくなるとは思えない。ちょっとだけ歩みを止めようという“スロー”が流行するここ最近の日本で,そういう感覚はとっても日常的なものだ。(一方,世界的には“スロー”とか言ってる国は少数派。「ゆとりある老大国」英国も,「発祥の地」イタリアも,むしろスピードアップ志向という調査結果がありました。→参考:当サイト内の記事

「現在の方が過去よりも優れている」「明日は今日よりもよい」と言わんばかりの直線思考は,はっきり言えば時代遅れだ。こんなことを思うのは,私が“日本人”だからか?

っていうか,ギリシアから奪った,もとい買い取った紀元前の彫像だの何だのをありがたがって博物館に展示しているばかりか,ギリシアという国家からの正式な要請もはねのけて「ギリシアには返還しない」というほどに珍重していることは,「過去<現在(<未来)」の直線思考とどう折り合いがつくのか?

(ええと,芸術の分野には「古典主義」というものがあることは知っています。念のため。)

つまり,英国っていうのは,往々にして言ってることがめちゃくちゃなのだ。自分たちに都合のよいようにしか物事を認識しない。(すべてに整合性が取れているなんていうのも逆に薄気味悪いけれど。)

っていうか,「前近代的な国<近代的な国<ポストモダンな国」なんていうめちゃくちゃな直線思考の意見が,ブレアのブレーンのものなのである。これはひょっとすると,とても性質が悪いかもしれない。利益追及のためとか権力拡大のためといった目的があるわけではない,本当に「信念」であるだろうから。

生半可な比喩は危険だが,ブレアが舞台で台詞を言う俳優であるとすれば,台本を書いているのはこういう考えを公言してはばからない……おっと言いすぎた,こういう考えを堂々と公にするような人間なのである。

We are most familiar with the threat from the modern world. If there is to be stability among states still operating by the principles of empire and the supremacy of national interest, it will come from a balance among the aggressive forces. There are few areas of the world where such a balance exists. A nuclear element in the equation in some areas sharpens the risk. (私たちはモダン世界からの脅威はよく知っている。いまだに帝国の原則に従い,国益を優先して動いている国家に安定があるとすれば,アグレッシヴな力の間でのバランスから来る安定である。そのようなバランスが現に存在する地域もある。核保有による抑止力は危機を悪化させている。)

ここまで読めば,筋は見える。これは例の「文明の衝突」の換骨奪胎だ。「ポストモダンと,モダン&プレモダンの衝突」。それが基本にある。何とおそろしいことか。「かくかくしかじかなヤツらだ,我々とは違う。まともに話はできないだろう。」

「我々とは違う」による区別が,「我々」の優位性を証明するためだけに用いられるとき,そこには「我々」と「我々以外」との衝突が起きる。実際の衝突ではなく,個人の脳内だけでかもしれないが。

 

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ページ制作:いけだよしこ@nofrills
制作日:2003年10月13日(日本時間)

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