April 21st - Refugees & April 26th - Refugees (2)
難民たち & 難民たち(2)

2004年4月22日&27日
Jo Wilding |ジョー・ワイルディング
ワイルディングさんの個人サイト
ワイルディングさんが所属しているCircus 2 Iraqのサイト
(いずれも英語)
 
原文

ジョー・ワイルディングさんは英国人女性。「イラクにサーカスを(Circus 2 Iraq)」という活動をしてこられた方です。Circus 2 Iraqのサイトの「写真」のコーナーに、これまでの活動の様子の写真がまとめられています。日本の自衛隊が駐屯しているサマワでも、小学校で(だと思うのですが)を上演しています。このサマワでの上演の写真は、日本人カメラマンの渡部陽一さんが撮影したものだそうです。

ワイルディングさんは、4月10〜11日に、米軍によって包囲されている最中のファルージャに、医療支援物資を届けるために、西洋人ジャーナリストたちと一緒に入っています。そのときのレポート、「ファルージャの目撃者より」と、その数日後にファルージャを再訪したときのレポート、「ファルージャに戻る」(このときはワイルディングさんたち西洋人一行は、一時ムジャヒディーンに身柄を拘束されました)が、益岡賢さんのサイトで日本語化されています。実は下記の文章の前半も、私の段取りが悪かったことが原因で益岡さんとかぶっているのですが、不精を決めこんで、そのまんまアップすることにしました。前半を益岡さんのサイトで読まれた方は、このページは後半だけお読みください。

※ 誤訳のご指摘など、ご協力いただけますと幸いです。掲示板の入り口のページから"no frills forum"をクリックし、“「翻訳」に関するご指摘スレ”にてお願いいたします。


■目次:
April 21st - Refugees――4月21日 難民たち
April 26th - Refugees (2)――4月26日 難民たち(2)


April 21st - Refugees――4月21日 難民たち

「新婚旅行だわね。」バグダッド、アル・アメリヤ地区、24番のシェルターの混雑した通路でヒーバ(Heba)は言う。結婚してまだ1ヶ月足らずの彼女は、結婚して増えた家族たちと一緒にファルージャから避難してきた。「始終爆弾が落ちてきてたんです。眠ることもできなかった。眠りについたとしても、悪夢で目が覚めてしまう。1部屋に家族の全員が集まって、待っているだけでした。

「ファルージャにいるよりはここの方がまし。爆弾の音は聞こえるけれど、遠くに離れたところだし、それにそんなにたくさんじゃない。でもここには水がないんです。水を飲むにも外に出なければならないし、料理も水浴もお洗濯も外に出てやります。それと氷を買っています。冷蔵庫も扇風機もエアコンもないし、発電機もありません。調理用コンロは全員でひとつだけ。トイレに行くにも庭に出るんですけど、これは夜は困ります。買った氷が原因でみんな下痢してます。」

「結婚したばかりの新妻なのに、着る物は何も持ってこられなかった。」ここに多少でもプライバシーなんてものがあるのだろうか。18家族88人が、ドアから端っこの台所までの細くて長い通路にマットレスを敷いて寝ている。台所からはお茶の湯気と甘いセサミ・ビスケットの香りが漂ってくる。ヒーバのおじさんを偲ぶのだ。

昨日、ラビーアは息子のうち2人を家族とともどもファルージャに帰していた。戻った息子たちは夜の7時に電話をしてきて、ラビーアに戻ろうとしてはいけないと告げた。状況は前よりもさらに悪くなっている。ファルージャを出ようとしたが、道路はすべて封鎖されている。今日は甥が家族を連れてファルージャに戻ろうとしたが、やはり道路が全部封鎖されていた。「ファルージャにいる人たちは全員、監獄にいるというわけだ。」

彼らの話は、ほかの何千という人々の話と同じだ。イラク赤新月社の事務総長、ファリス・モハメドが言うには、最近の戦闘で、ファルージャの30万人の住民のうちおよそ65%が家を出ているとのことだ。これら20万人の住むところを失った人々のほとんどが、バグダッドの遠縁の家に起居しているか、あるいは、使っていない場所があるからと赤の他人が提供してくれる場所に避難している。およそ200家族が家のない状態である。

「爆弾が落ちてくるから町を出たんですよ」とラビーアは語る。「子どもたちは怖がってしまって、夜通し泣き続けるんです。4月9日に出ました。親戚の多くが車を持っているのですが、ガソリンがなかなか入手できなくて。全部で18家族が一緒になって、みな検問所で待ちました。かんかん照りの中、アメリカ人は私たちを何時間も待たせ、私たちはすっかりくたびれ果ててしまいました。子どもたちは腹を空かせて泣いていました。それからアメリカ人は、私たちに別の道を進めと言い、私たちに長い迂回路を取らせました。」

「私たちはバラバラの時間に到着しました。検問所で車の中で一晩過ごして翌朝バグダッドに到着した者もいます。1台の車につき、若い男は1人しか許可されません。運転手としてです。それも年取った男がいない場合に限ってです。家族の中の若い男を通すことができなかった家族もあります。そういう場合は川沿いに来なければなりませんでした。ファルージャにはガソリンもなく水もなく発電機もなく病院もなく、それでは家族は生きていけません。」

ラビーアの末息子のムスタファは11歳。毎晩、爆弾が落ちてくると泣いて目を覚ます。ミルークは、うちの息子だけではないんです、と言う。子どもたちはみんな怖い夢を見る。彼女の義理の兄の息子は、眠りながら家に帰りたいよと言って歩きまわるようになった。ミルークの娘のうちの2人、ザイナーブとマーハは、学校を辞めることにした。マーハは血圧に問題が出てきて、衛生状態のよくない水が原因で細菌性の胃炎を起こしている。

ファルージャから、ハディルという名前の看護師が彼らを訪ねてきた。必要な薬のリストを彼らに私、妊娠している女性に数本の注射を打ち、胃潰瘍の薬を置いていった。彼(ハディル)は薬局を経営しているが、在庫にあった薬品はすべて寄付してしまっている。ラビーアは赤新月社に助けを要請したが、まだ何も得られていない。彼は自腹を切ってトイレを作ったが、お金はもうあまり残っていない。

ミルークの姉のサブリーヤは、シュアラ地区で障害を持った人々を教えている。彼女は打ち続く戦争のせいで結婚したことがない。「戦争は青春を食い尽くします。大学時代に調査をしました、男子と女子を対象に。当時は女子半数に男子半数でしたが、今では多分、女子の方が男子の10倍になっているでしょう。」

「説明できません。希望も何もないという気持ちです。将来がどうなるか、わかりません。人生は変わるものだと思っていました。状況は落ちつくだろう、この戦争がイラクにとって最後の戦争になるだろうって。彼らは平和と人権をもたらすために来たと言います。しかし今では私たちは、それは本当ではないとわかってきています。彼らはイラクのことを理解していない。だから紛争につながるような問題を起こすのです。再建すると言っていましたが、破壊しているのです。きれいな水と電気があれば十分なのに。」

どこに行こうとも同じ話を聞く。女性たちは抑鬱状態、子どもたちはストレスでぼろぼろ、人々はファルージャに戻ろうとしては道路が封鎖されていると知る。まだファルージャにいる人々は、出ようとして道路が封鎖されていると知る。

ファルージャから逃げてきた家族のために新しく作られたイラク赤新月社のキャンプ。白いテントのうちのひとつに、男性が2人、女性が2人、子どもが8人が座っている。40家族が登録しているが、まだこの2家族しかここにはいない。衛生設備がまったくないからだ。キャンプの責任者のカシム・レフタハによれば、ユニセフが衛生設備を設置すると約束していたのに、まだ姿を見せていないしどうすることもできていないという。その間、彼らはサッカー場(このキャンプはサッカー場にある)の隣の学校のトイレを使う許可を得ている。

空襲で近隣の人々が何人か死んだ後で、類縁の人たち58人が逃れてきた。「親戚が2人死にました。私のこの手で埋葬しました」とアディルは語る。「病院へは行くことができないので、たとえ死ななくても怪我をすれば家で手当てをしますが、薬がないので死んでしまいます。」

「救急車が来ようとしても、アメリカ人が救急車を撃とうとします。アメリカ人がひとりの男の人を撃つのを私は見ました。その人は朝から晩まで撃たれた場所に倒れていましたが、誰も助けることができなかった。アメリカ人は救急車を撃つんです。それも見えました。アメリカ人は建物の屋上にいるんです。」

「何度もそういうことがありました。私たちが救急車を目にするときはいつも、アメリカ人が狙撃しました。アメリカ人はミナレット(モスクの尖塔)まで占拠しています。マーケットに向かう女の人と子どもたちの家族連れを撃って殺しました。25人の家族が、アメリカ人に家を爆撃されて、死にました。戦闘機が彼らの家をめがけてロケット弾を放つのを、私たちは見ました。」

彼らの家はシャヒッド地区にあったが、その地区は爆撃が激しかった。政府の病院が同じ地区にあり、報道されているようにそれは破壊されまなかったが、米軍によって閉鎖されました。彼らが去ると激しい爆撃があり、町に入ってくる援助物資は配布できなかった。彼らが車で去るとき、彼らはロケット砲が発射されているのを見た。

子どもたちはぐったりしていた。13歳のサラは、何度も繰り返しはにかんだ微笑を私に向けてくれたが、大人たちがいなくなってしまうと私のそばにきて、なぜなの、と訊くのだ。「どうしてアメリカ人は私たちの家を壊すの? ここはアメリカ人の国じゃないでしょ。どうしてアメリカ人が私たちの町に入ってくるの? 彼らのせいで私たちは家を失った。そしてあちこちの家を訪ねて回って、助けてくださいと頼まなければならない。爆撃は朝昼晩と続いて、みんな、バグダッドから車を出して、避難しなければならない人たちを乗せてくる。」サラの弟のハディルはまだたったの4歳。しかし路上でおもちゃの銃で遊んでいたら米兵が彼の家に踏み込んで武器を捜しまわったので、すでにアメリカ人を嫌っている。サラは怒りに満ちている。

子どもたちは、誰といわず彼といわず、微笑ませるのに時間がかかる。与えられた支援物資を見にいくためにほかの人々が席を外すと、私は子どもたちにピエロを演じて見せる。【訳注:ジョー・ワイルディングさんはサーカスでピエロをやっている。】シャボン玉を吹き、風船をふくらまして動物を作る。ハディルとハムーディは数分間、目をまんまるに開けて座っているが、少しずつにじりよってくる。ハムーディが最初に飛び出す。顔に石鹸を塗りたくると顔が変わる。大人たちが戻ってきて、子どもたちが光り輝くシャボン玉がぷかぷかと浮かぶ真ん中で踊っているのを見ると、大人たちの顔も緩み、微笑み始める。

「道路封鎖が解除されたら、私たちは戻ります」と、サラの母親のイーマンは言う。「ここでの暮らしはあんまりです。赤新月社は親切にしてくれますが、仕事も何もない、男でさえ仕事がないんですもの。」

赤新月社は、4月9日からずっとファルージャに食糧と医薬品を送っている。しかし、何百人という人々が避難してきたのでキャンプを開くことにした。「ファルージャから南に7キロいったナミヤ地区にキャンプを開こうと決めたのですが、設置作業のために私たちが現場に到着したときにはすでにその一帯は戦闘地域になっていました。私たちは10キロ下がり、ファルージャから南へ17キロ行ったところに移動したのですが、そこにも戦闘が広がってきました。私たちが戻ると、テントのいくつかは既に燃やされていたんですよ」とファリス・モハメドは説明する。

「道路に近い場所を選びたかったのですが、問題は、このような状況では蜂起している人々が軍隊が通ると撃ち、軍隊はそれに対して反撃をするわけで、ですから私たちはキャンプをバグダッドに、ファルージャとの境から遠く離れたバグダッドに設置することにしたのです。」

しかし彼は、赤新月社の救急車が武器や武装蜂起集団を運ぶのに利用されているという(米軍の)言い分はうそであると言い切る。「私たちの救急車のうち、所在がわからなくなっているものは1台もなく、私たちは救急車を武器を運ぶために使ってはいない。紛争の間、イラクの組織では私たちにしかファルージャに出入りする許可が与えられていないんです。ドバイからの支援物資が到着した水曜日まではどちらがわにも一切問題はなかった。私たちは支援物資をすぐにファルージャに送ったのだが、アメリカ人がそれらを送り返してきた。すべての車両は、24時間前に特別許可を受けていなければならないと言ってね。」

家に着くと、ライード(Raed)が、ファルージャに行ってから始めてジョーの頬に色が戻ったね、と言った。「子どもたちと遊んできたんでしょ」と彼は言う。その通り。子どもと遊ぶことはほんとに効果があった。暴力が、すべてのものを飲みこみはじめている。今朝ここを出るときに、カール(Karlu)たち何人かの子どもたちが、路上で「人質ごっこ」をして遊んでいた。アーメッドがカールの目を手で目隠しして、もう一方の手でカールの首を切る仕草をしていた。

そしてニュースでは、ファルージャでの戦闘は続いていると言っている。

Posted by: Jo / 8:35 AM
Thursday, April 22, 2004

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April 26th - Refugees (2)――4月26日 難民たち(2)

ラビーアは声を低くして、女性のうち2人の頭がおかしくなったと私たちに告げた。彼女たちは始終話しっぱなしで、部屋をまったく片付けない。彼女たちは、夫を失った女が世帯主となっている家族の母親である。新たに増えたファルージャからの難民たちだ。ファウージアの目は話しかける相手がいると明るくなる。アバーヤの下は白髪で歯も抜けた彼女の顔は、苦難の人生を物語る皺が深く刻まれている。ファウージアはアラビア語でアンナに楽しそうに話しかける。アンナにはアラビア語はわからないのに。

ファウージアの義理の娘のイハラス(Ikhlas)はクルド人で、幼い娘のジュワナがいる。緊張でひび割れた声音で、彼女は、姉のシーナ(Sena)の夫が2年前に死んだので、今は自分の夫が家族全員の面倒を見ているのだと語る。仕事もなく、この地域の人がファルージャから逃げてきた家族のためにと空けてくれた家の一室に身を寄せ合っている。家族の残りのメンバーは近くの爆弾シェルターにいる。子ども8人、女性6人に男性1人だが、台所はない。シーナもまた泣き始めた。彼女は4人の子どもを連れている。5番目の子どもはファルージャでおじの家にいる。

家族の末娘のベイダは18歳。みなと一緒にファルージャを出てきた。もうひとりの姉がファルージャにいる。その姉の夫がわずか33歳で心臓病のために死亡してまだ2、3日なのだという。ラビーアは最後に訪ねたときの彼の様子を語る。道路が封鎖されていたので、ユーフラテスを船で渡って病院へ連れて行かねばならなかった。彼は1日入院して死んだ。彼の母親は病気で介護が必要だ。父親もまた病気で、母親の介護はできない。

シーナの娘のシェイマは、ショックで青ざめた顔をしてじっと座っている。口もきかない、微笑みもしない。14歳で完全に絶望している。彼女は学校を辞めてしまった。学校に意味があるとは思えない。将来に向けて備えることに希望を見出すエネルギーなど、ない。

おちびさんたちはまだ、シャボン玉や風船を見るとにっこりしたり大きく笑ったりするが、お絵描きの道具を渡すと、家にミサイルを落とす飛行機や、イラクの旗をつけたある種の構造物から飛行機に反撃している絵を書き始めた。誰かに言われたからというわけではない。イラクは混乱の極みにあり危険だ。(サーカスの)ほかのメンバーたちが状況が悪くなる前に立ち去ったことを私は喜んでいる。しかし、このとき私は、私たちのサーカスのピエロたちがここにいてくれたらと思った。戦車だの爆弾だのを、マジシャンやジョーカーに変えてほしいのだ。

持ち物をほとんど持たずに逃げてきたので、彼らはありとあらゆるものを必要としている。ヒーバとイスラーは、人目のないところに私を呼んで、下着と生理用品が必要なんです、と言った。仕事はファルージャにあるのでここでは仕事もなく、かつかつの暮らしをしているので、日常生活の必需品でさえも足りていない。ラビーアはもうお金が尽きかけていて一族を食わせていけないよと言う。

ヒーバの新しい夫のアリーは、戦争までの2年半、軍隊にいた。塹壕に身を潜めているとそこらじゅうで爆発があった。アリーには戦いたいという気持ちもなく、近くに爆弾が2発落ちてそれが不発だったときに、彼はピックアップ(車)に乗り込んで持ち場を離れ、ユニフォームを脱いでヒーバの家族の家にやってきた。私たちが到着したとき、アリーは横になっていた。しばらく前に車にぶつかられてから背中が痛むのだと言う。

イスラーは23歳、バグダッド大学で哲学を学ぶ学生だ。卒業したら学校の先生になるつもりだという。彼女は通常は、週日はバグダッドの親戚の家にいて、戦闘がますます広がるようになってから大学が再開されたので大学に行くことはできるのだが、ファルージャの学生のほとんどが抗議の意思を示すために通学することをやめている。彼女は到着したときにボイコットのことを聞き、参加することにしたのだが、ザイナブやマハのように、シャイマのように、最大の理由は抗議の意思を示すためではなく、疲れきって抑鬱状態にあるため、ホームシックで戦争にはもう飽き飽きしており、希望も一切持てないからなのだ。

生活についての雑談が、カウンセリングのようにあまりに重たくなり始めると、ちょっと軽い調子の話、全然まったく重要ではないことを話してみたくなる。エンダーの髪の毛がぴょこんと立っていて、サーカスのピエロに似てなくもないとくすくす笑ったり。実はエンダーはジャーナリストで、彼らのお父さんに真面目にインタビューをしようとしているのだが。あの髪、誰が切ったのと彼女たちが訊く。しばらく髪など切ってないだろう。だから私が今度私が切ってあげるってことで、と答えた。

バグダッドにいるラビーアの縁戚は今では24家族だ。3家族は夫が死んでしまった女所帯で、全員合わせて121人。息子のひとり、アーメッド・フィラス・イブラヒムはいったんファルージャに戻ったあと、まだファルージャから出られずにいる。ラビーアは家族すべてに、まだ戻ろうとしてはいけないと話をしたと語る。アル・ジョラン地区が攻撃された、とラビーアは言う。その日は地元の人たちは戦っていなかったが、そこにアメリカ人が来て強制捜査で家々に踏み込んだ。女性たちが悲鳴を上げ、ムジャヒディーンが現れて女性たちを守ろうとした。

「家は何のガードもないままで出てこなければならなかったよ」とラビーアは言う。「アメリカ人は人のいない家に入っても何もとらないと聞いている。家からものを盗み始めている人たちもいるという話だが、イマーム(聖職者)がそれを禁じているし、盗みをした者は罰している。」

ラビーアはサダムが嫌いだ。「サダムは犯罪者だ。私は前に何年間も監獄に入ってたことがある。私が入れられた部屋からは太陽が見えなかった。1971年に始まって、私はシリアで4年間亡命生活を送った。私の所属していた政党のアラブ民族党(the Arab Nationalist Party)が活動禁止とされたからだ。それからサダムは私たちを許すと言い、私たちはイラクに戻ったが私はモスクで逮捕され、民族党にいたことで15年の懲役となった。奴らは私の耳に電気ショックをかけた。私は党とはもう連絡を取っていないと言った。」

「ファルージャにはバース党がたくさんいた。イラク全土にバース党はたくさんいた。しかしファルージャで今戦っているのは、家や家族を守ろうとしているだけの者たちだ。この占領で何か実りのあるものを期待していたのだが、前は少なくとも仕事はあったのに、今は仕事もない。暴力で彼らを追い出すこともできるだろうが、いったん始まってしまった暴力はそれだけでは終わらない。私は今でも民族党を信じているし、ブレマー(CPA長官)には腹が立つ。」

ラビーアはIraqi Civil Defence Corps(ICDC)にいた。ICDCは24番のシェルターを駐屯地としていたから、彼は建物の鍵が外れるだろうとわかっていたし、家族を24番シェルターに連れていくことができるだろうということもわかっていた。援助を受けるためには地元議会に行って登録するようにと言われたが、彼はそれを拒んだ。地元議会と赤新月社の誰かとの間で、支援物資を横取りする密約が交わされていると固く信じているからである。

もうひとつのエージェンシーについて、彼は、人々を並ばせて4日ごとに支援物資を配っていると言う。そんなことは恥ずかしくてできないよ、と彼は言う。私が知る限り、不信感というのはまだたくさんあり、私が知る限り、権力を握っている人々の中には不正直な人がいる。そして私にはラビーアの気持ちがわかる。施しを受けるために列に並ばなければならないことに傷ついている彼の自尊心が、私にはわかる。この家族が何らかの意味のある援助を受けるにはそれしか方法がないということも私にはわかっている。しかし、私がどんなに口を酸っぱくしてそれしか方法がないのだからと言ったところで、ラビーアは「私にはできない」と繰り返すばかりなのだ。

ファルージャからの情報は主に電話で伝わってきていた。可能なときにはまだ残っている家族や友人につながるが、シェルターまでの地上線が切断され、今では出ていく人に頼っている。毎日私たちは彼らに訊き、赤新月社に尋ね、キャンプの人たちに質問をする。毎日彼らは、戦闘があると言い、爆撃があると言い、農場を通って行くことはできないと言い、または農場しか通れないんだよと言う。停戦条件で1日あたり家族から一定数の人数が戻れるということになり、人々はためらった。停戦が続くのかどうかはっきりわからず、空襲の中を車を走らせて戻るということに気乗りはしないからだ。

イラク赤新月社のキャンプには67家族がいる。そのうち7家族は今日到着した。トイレはやっと建設が始まり、明日の正午までには完成しているだろう。それまでの間、女性たちはキャンプに隣接した学校のトイレを使い、男性たちは学校とは反対側に隣接しているモスクのトイレを使っている。

イラク赤新月社のスポークスマン、クサイ・アリー・ヤッシーンは、特に子どもに下痢が多く、その原因は途中で飲まざるを得なかった不衛生な水であったり、あるいはバグダッドに到着してからの不衛生な環境であったりすると述べている。そして、精神的外傷とショックのために免疫がうまく機能しなくなっているとも述べている。暑さのために、子どもの間では胸(肺?)の感染症も流行している。安全のため、何人かが隔離されている。

毎日昼間に、地元の人々がやってきてはトレイや箱などに載せた食べ物を配る。赤新月社のクサイによれば、彼らが進んで、どんどん増えていく家のない人々に食料を手配しているのだということだ。昼の間はこのほかにも地元の人々が車でやってきて、援助を申し出ている。ユニセフの旗をなびかせた3台のトラックが水のタンクの部品の入った箱や、子どもたちの遊び場用の70フィートのテント、クレヨンや紙といった子ども用の物資を運んできた。

しかし今日のところは、そしてテントができるまでは、子どものためには何もなく、だからまたブムチャカ(Boomchucka:ワイルディングさんのサーカスで使う掛け声)の上演だ。エネルギーがあり余って、精神的エネルギーが押さえきれない何人かでブムチャカと大声を張り上げてキャンプ中を練り歩く。パラシュートゲームをしたり、シャボン玉をたくさん飛ばしたりして、テントとテントの間のほこりっぽい空間で大声で叫んで叫んで叫びまくって、セラピー効果があった。子どもたちは――彼らがいかに幼くなっているかの証だが――お願い、明日もまた来てね、と言う。子どもたちの精神的外傷はまだ生々しい。頭上を飛行機やヘリの爆音が鳴り響けば、それが目に見える。気を紛らわすことをしなければならないという子どもたちの必死の気持ちに、それが見て取れる。

私たちが去る前に、子どもたちは歌を歌いだした。「ザイン、ザイン、ファルージャ」―― good, good, Fallujaという意味だ。子どもたちは忘れない。誰のせいで家がなくなったのか、誰が親戚を殺したのか。後になってから、そんなに単純な話ではないとか、両親が悪いんだとか聞かされるだろうが、そんなことはまるで関係なく。ニュースでは、またもや、ファルージャではさらなる戦闘が、と言っている。ジャーナリストから電話がかかってきて、米国の新プランについてご意見を、と聞かれる。まるでここにいる私たちなら事情はわかるだろうという扱い。アメリカは次の1世代をまるまる相手にして戦争をしているというのに。

彼らの話ではそうなのだ。彼らが私たちに話したのは、もしも地元の戦士たちが火曜日までに武器を放棄しなければ、米国による攻撃がまた改めて開始されると、そして米海兵隊が既に、ナジャフのスペイン軍基地に移動して、ナジャフ侵攻の準備を整えているという。聖なる場所には一切入らないと言っているが、サドルは聖職者なのだから、サドルは聖なる場所にいるだろうし、ナジャフはそこら中が聖なる場所だらけだ。ゲリラ戦士の夢である墓地もある。ひょっとしたらシーア派すべてを敵に回すことになるかもしれないのだ。イラクの人々が「なぜ」を問わなくなるときなど、いったい、来ることがあるのだろうか。

Posted by: Jo / 12:50 AM
Tuesday, April 27, 2004

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■関連情報&リンク■
「益岡賢のページ」
4月初めにワイルディングさんと行動を共にした米国人ジャーナリスト、ラウール・マハジャンさんとダール・ジャマイルさんの文章の日本語訳など、ファルージャに関するレポートがたくさん日本語で読めます。
 
「反戦翻訳団−Antiwar Translation Brigade−」
ラウール・マハジャンさんとダール・ジャマイルさんの記事、英ガーディアン記事などを日本語で紹介しておられるサイトさんです。
 
TUP 速報
Translators United for Peaceさんによる英語メディア記事などの日本語化たくさん。
 
Raed in the Japanese Language
上の文章の前半の最後に出てくるRaedさんのblogの日本語化。ワイルディングさんのこの文章は特に理由もなくダブルポストしてあります。(HTMLファイルができるまでの間つなぎっていうか。)
 
Baghdad Burning バグダード・バーニング
イラクからのblogの日本語化。筆者は20代女性。(しかしみんな英語が上手だなあと変なところで感心してる私。私、Riverbendの年齢のときはもっともっと拙い英語しか書けなかったと思います。それか、逆に論文っぽくなるかのどっちか。)
 
バルタザ−ルどこへゆく
4月8日の「あるイラク人の母親から、ファルージャで殺された米国人の母親達への手紙」をはじめ、バスラ、ファルージャについての記事。
 
特設コーナー「外電の目」(「中東経済を解剖する」内)
齊藤力二朗さん抄訳。アラビア語のニュースを日本語に抄訳して紹介。
 
□フォトジャーナリストの方々:森住卓さん志葉玲さん、それぞれのリンク集もご参照のほどを。

■お知らせ■
3人の西洋人(ワイルディングさん,マハジャンさん,ジャマイルさん)がファルージャで,そしてバグダッドで目撃したこと,人々から聞いたことを綴った文章を中心に,1冊の本を制作しています。6月発売予定。版元は現代企画室さん。私は翻訳でお手伝いしています。詳細が固まったら改めてお知らせします。

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日本語訳&ページ制作:いけだよしこ@nofrills
翻訳日:2004年4月30日(日本時間)
 
リンクはご自由に。
なお、この文書は非営利では複製・再配布はしてもいいんじゃないかと私は勝手に思っていますが、
営利媒体さんなどの場合はお問い合わせください。⇒メールフォーム
メールやウェブサイトなどでの複製の際は、このファイルのURLを明記してください。
誤訳とか訳ヌケとか誤変換とかはここで直していきますので。よろしくお願いします。
 
このファイルのURL:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/wilding.html

 
いけだの「翻訳」の目次