バチカンがオレを呼んでいる
1998年12月


 特に目覚まし時計をセットする事はなく、今日もスッと目が覚めた。最初はそんな風に思ったのだが、昨晩はスーパーで買ってきた安いスパークリングワインを調子に乗ってを飲んでいたのでちょっと頭が重いようだった。ところが、もっと頭の痛くなる光景が窓の外に広がっていた。窓からはオレンジの屋根と白い壁のアパルトマンが石畳の道路沿いに並んで建っているのが見えるのだが、そのはるか上空から大粒の雨がこれでもかという勢いで降り続き、それが4階の私のいる部屋まで道路で跳ね返る雨粒の音が響いているのであった。私はベットから起き上がろうとして、再びベットに倒れこんだ。実は今日、南イタリアでも有名な観光地であるアルベロベッロの町を訪ねる予定だった。とんがり帽子の屋根が特徴のトゥルッリで有名な町。そのためにアルベロベッロの玄関口でもあるこのバーリに昨晩泊まった訳なのだ。地中海の暖かな冬の日差しの中、あの町を散策できればさぞかし楽しいだろうな−なんて楽しみにしていたのに、これじゃ傘をさして歩かなければならない。暗い部屋の中で私のテンションは一気に落ち、この長い旅のきっかけになった私の悪い性格が顔を出そうとしていた。

 「バカな事をしてみるか。」と頭の中でそんな考えがひらめくのにはそう時間はかからない。ここでできるバカな事といえば・・・。イタリアに来る事すら、そうめったに出来る事ではなく、しかも南イタリアなんてさらに来る事が難しいエリアだ。そんな所にある名所の入り口の町まで来て、そしてあえてあそこを見に行かない−そう、ここまで準備をしておいて、あえてアルベロベッロに行かない。これが私がこの町で考えるおバカな計画なのだ。でも、ずっと旅をしていると旅にマヒをしてしまい、またいつでもこの町に来れるような気になってしまう。それは大きな間違いで、ここでチャンスを逃せば一生来れない可能性の方が高いのだ。そんなチャンスを「雨だから歩くのめんどくさい。」この一言で片付けてしまおうと言うのだから『旅のマヒ』とはなんとも恐ろしい。それに昨日下調べをして、バーリ発23時14分発ローマ行きの夜行列車に乗るつもりだったが、雨の中、今晩の23時まで時間を潰すのも更に面倒だった。暑い夏ならビールでも飲みながら、公園で昼寝でもするか〜というノリでいけるのだが、12月も後半に入り、ヨーロッパの冷え込みはだんだん強くなってきている。この寒さの中、しかも雨なのに23時まで待つのは酷だった。それなら、このまま宿を出てローマに行ってしまえばいいじゃないか!一旦動き出した頭の欲望はもう止まらない。坂を転げ落ちるようにどんどん下っていく。私の手はバックパックの中に入っているイタリアの時刻表を探し出し、そしてバーリからローマ行きのページをめくり始めた。12時14分にローマ行きのユーロスターがある。ユーロスターは特急列車なので、今夜の夜行列車よりも更に高くなるし、夜行列車で移動して今晩の宿代を浮かそうと考えていたのに、今晩の宿代も余計にかかる事になってしまう。それでも私はローマに行く事に決めた。さっさと宿を引き払い、バーリの駅でユーロスターのチケットを買った。切符を手にした私はもう後戻りができなくなっていた。

 さて、駅で12時の列車まで結構な時間が空いてしまった。外は相変わらず雨が地面をたたきつける音がここまで響いている。いつもなら駅の待合室でおとなしく待ってたりするのだが、駅の構内に電話ボックスを見つけた。どうやら国際電話もできるようだ。ふと、ここで神戸の家族に電話をしてみるか・・・という気分になった。イタリアと日本の時差は8時間。今、ここが午前10時なので、これに8時間を足すと18時。夕方なら実家に誰かいるだろう。さぁて、何ヶ月ぶりの電話だろう。エアメールは頻繁に送っているものの、やはり電話は高いのでそう滅多もかけることはできない。国際電話のための国番号や局番を何度か押してしばらくすると懐かしい日本の電話のコール音がしてきた。しばらくすると母が電話に出た。数ヶ月ぶりのナマ電話である。とりあえず元気であることを伝え、今後の進む方向を伝えると母からも連絡が取りたかったとの言葉。なにやら深刻そうな雰囲気。家族に不幸でもあったか?と一瞬覚悟をしたが、どうやらローマの一件だ。私が途中、急いで旅をしてきたのもこのローマの件があったからなのだ。日本からは手続きをしてあったのだが、実際どうなるかは不明だった。その件で母は明日までにある所に行って、そこの人から文書をもらわなければ、目的を果たせない事を聞いた。「え・・・?」明日中にローマに着いておかなければならないって?私は母から詳細を聞くと電話を切って、急いでローマ・バチカンにある関係機関に電話を入れた。たどたどしいイタリア語で担当のある人を呼んでもらい、明日10時にアポイントを入れた。「大久保さん、今日電話がなかったらアウトでしたよ。」電話口にでた女性は優しい口調で、しかし厳しくそう言って電話が切れた。

 私は切れた電話の受話器を元に戻し、駅の待合室の長イスにまさしくへたり込んだ。ほんの10分程度の時間だったが、とても内容の濃い10分間だったからだ。バーリから日本。そしてローマ。電話がつないだ一本のラインは偶然の結果だったのだろうか?私は運命というモノはあまり信じていない。どちらかというと人生は自分が切り開いていくものだと思っている。でも、今日の朝からの私の行動は、ローマに行くべき事が重なっているように思えた。そう、私はまさしくローマに呼ばれているのだ。それも明日ではダメで今日行かなくてはならなかったのだ。もしアルベロベッロ行きを決めていれば、暇で駅から日本には電話をしなかったし、もちろんバチカンにも電話を入れれなかった。今日、電話を出来ていなかったら、バチカンの彼女が言うようにアウトだったのだろう。今も降っている土砂降りの雨に感謝しながら、私は12時14分 バーリ発ローマ行きのユーロスターに乗り込みローマへ向かった。

 できるだけ出費を減らしたい私はユーロスターの一番安い席である2等車両を選んだ。日本で言う普通車両である。ユーロスターは全車両指定席の優等列車だ。日本の新幹線と同じ車両幅にもかかわらず、座席は2席・2席の組み合わせ。なので座席のサイズもグリーン車と同じような広さ。さすがヨーロッパサイズである。座席は全てリクライニングのクロスシートで4つの座席が向かいあい、真ん中には小さいながらもテーブルがおかれ、かなりゆったりとした作りになっていた。車両の照明も間接照明でやわらかい光が白い天井に反射し、車内を照らしているのであった。これまでこんなお洒落な車両に乗った事がなかった。さすがはイタリアと言ったところだろうか。しかし難点なのがデッキと車内をさえぎる自動ドアだった。ユーロスターの走行音が静かなのが災いしてか、人が通るたびに「プシュー、ガガガガ。」とエアポンプの音とドアが下のレールにぶつかりながらけたたましい音をたてて開くのである。車内が静かであればあるほど、この音が車内に響くのであった。バーリで降っていた雨は列車が北に進むにつれ次第に止み、2時間も走るとすっかり晴天になってしまった。あたりは一面の農村地帯。南イタリアの農村地帯のイメージは持っていなかったが、想像したらこんな景色を思い浮かべるんだろうなぁとイメージピッタリの光景に見入っていた。そして夕日が沈む頃、私の乗ったユーロスターはローマのテルミニ駅の3番ホームにゆっくりと到着した。私のユーラシア大陸横断の長い旅もついにここまでやって来た。ローマ到着 12月22日火曜日。クリスマスの2日前の事だった。