普通電車でローマを去る
1998年12月


 昨日の夜、トラットリアで食事をした後に、ささやかな気持ちで開いたドミトリーでのクリスマスパーティーは、6人で20リットルものワインが消えてなくなるほどの大宴会に変わっていた。おかげで、今朝は最悪の気分でベットから転げ落ちた。重い目でドミトリーを見渡すと、床でそのまま死んでしまっている旅人が3人。かろうじてベットにたどり着けた者が数人。そして、部屋のど真ん中にはワインの空瓶がメガロポリスのように堂々とそびえたっていた。

 酒での失敗はこの旅の間中もしばしばある事だったし、むしろその事で現地の人たちと一緒に飲み明かしたり、色々な勉強をする事が出来たので感謝したいほどだ。でも、今朝は最悪だった。ワインで悪酔いした次の日の朝がいかに酷いものかをイヤというほど味わう事になったのだ。私の文章能力ではこのしんどさと酷さは、下品な下ネタにしか化けそうにないので割愛するが、今後ワインを飲む際には一晩でフルボトル3本以内にしておかなければならないな。これが自分が今、楽しくワインを飲む限界の量のようだ。体は血液を薄めるためにひたすら水を欲するが、あいにくミネラルウォーターのボトルは昨晩、誰かに飲まれたらしく行方不明だった。ここが日本だったら、すぐにでも水道の蛇口から水が飲めるのに、ローマではそうもいかない。フラフラの足取りでゲストハウスからエレベーターで階下に行き、通勤ラッシュで人通りの多い石畳の道をワインの匂いをプンプンさせて、売店まで水を買いに行かなければいけない。本当に最悪だった。

 もちろん、飲みすぎた代償はこれだけではない。今朝、私は次の目的地のフィレンツェに行くつもりでいたのだが、向かいそびれてしまった。特に列車の指定席を買っている訳でもないのだが、フィレンツェは多くの旅行者が集まる割には安い宿が少なく取り合いになると聞いていたので、できれば昼過ぎにはフィレンツェに着いて宿探しをしたいと思っていたのだ。年末の最中にさすがに野宿はあまりにもむなしい。しかし、ここにずっといても始まらない。クリスマスをバチカンで迎えるというひとつの目標は果たしたが、ユーラシア大陸の西の果てに行くという目標がまだ残っている。この町で1日をのんびり過ごすほど、私は優雅にはしていられないのだ。

 宿の人々に別れの挨拶をして、ワインがまだ体中を駆け巡っているのをしっかりと感じながら、ローマ・テルミニ駅に向かった。ローマからフィレンツェまでは普通電車で4時間ほど。特急列車のユーロスターなら1時間の距離である。しかし貧乏旅行の私にとってはユーロスターに乗るお金は削るべき部分である。もちろんチケット売り場で普通列車の切符を買い、12時出発のローカル列車に乗り込んだ。8両編成の列車は適度に混んでいるが、ボックスを一人で占領できるほどで、私は荷物を向かいのシートにドカッと降ろし、窓側の席に座った。列車は30分も走るとあたり一面のどかな田園地帯に私を運んでくれた。石造りの、あんなに重厚で、歴史のあるローマの建物に囲まれていた数日間が嘘のような、北海道の牧草地帯を走っているかのような風景の中、普通電車は止まることなく高速で駆け抜けていった。こちらの鉄道は普通電車といっても駅と駅との距離が10数キロあるのも当たり前で、日本のように3〜4分で次の駅に止まるような事はほとんどない。だから普通列車といえども、走っている間は新幹線のような速さで田園地帯を駆け抜けていくのである。しばらくすると、体中を駆け巡っていたワインが再び私の脳みそを襲い、私は列車の心地よいジョイント音にも助けられて、次に気がついたときにはフィレンツェのサンタマリアノヴェッラ中央駅に到着するちょうど間際だった。

 隣のボックスに座っていたイタリア人の女性にここがフィレンツェ駅であるかを確かめてから、私は大きなバックパックを背負いなおし、列車を降りた。ちょうどその女性も「私もここで降りるのよ。」と一緒に列車を降り、改札に向かう。彼女はフィレンツェに訪れる私のような旅人を見慣れているようで、「もう宿は見つけてあるの?フィレンツェはいつも安い宿がとても混雑しているのよ。」と教えてくれた。もちろん私もその事は不安の種で、「ありがとう。とりあえず、電話で確認してみるつもりです。」とだけ答えた。彼女と一緒にコンコースを抜けると、電話の場所と残り少なくなった電話のカードを私にくれた。もうあんまり残ってないけど、がんばってね−と言って去っていった。一度かけるだけに電話のカードを買わねばいけないのか・・・と小さな懸案事項が幸運にも解決できた事で、私のワインの二日酔いは一気に消え去った感じがした。

『これはついているぞ!』

私は調子に乗った勢いで、フィレンツェの3つあるユースホステルの中でも駅から近く、最も満室率の高いといわれている「Ostello Santa Monaca」に電話をしてみた。ここは1400年頃に建てられた元修道院を改築しており、観光エリアでもある旧市街地のど真ん中に位置している。サンタマリアノヴェッラ中央駅からも徒歩15分という事もあり、フィレンツェにたどり着いたバックパッカーはまずここをターゲットにするのだ。ただ、最初から日程が決まっているのなら事前に予約をしていれば、こんな綱渡りのような事はしなくても言い訳で、アジアの長旅で染み付いた「ま、なんとかなるやろ」という気の抜けた考えがまだ私の頭の大部分を支配していた。ただ、こんな「なんとかなるやろ」的発想は意外と怖いもので、電話にでた「Ostello Santa Monaca」のスタッフに「今日、泊まりたいんだけど、ベット空いてますか?」とたどたどしい英語で尋ねると(電話だと相手の表情やリアクションが見えないので、英語が苦手な私は電話で話すのが一番苦手である)、「ちょうど予約がキャンセルになったベットが一つある。キープしておこうか?」と、自分があわよくばそうなればいいな−と思っていた通りの返事が返ってきた。もし、これが5分早くでもキャンセルが出てなくて駄目だったかもしれないし、5分遅くても別の旅行者にベットを取られていたかもしれなかった。とにかくこのささやかな幸運に感謝せねばなるまい。私はうれしさのあまり声がうわずるのをなんとか押さえながら、冷静な口調で「あと20分でそちらに行くので、キープをしておいて。」と言い、お礼を言って電話を切った。

 サンタマリアノヴェッラ中央駅の広場にあるツーリストインフォメーションで無料でもらえるフィレンツェの観光地図やなんともヘンな日本語で書かれたフィレンツェの薄っぺらい観光案内の冊子を手に入れた。フィレンツェどころか、イタリアのガイドブックすら持っていない私にとって、この無料でもらえるガイドは私にとって貴重な代物だ。インフォメーションのスタッフに目的の「Ostello Santa Monaca」の行き方を地図に書き込んでもらい、石畳の続く賑やかなフィレンツェの旧市街を私ははやる気持ちを抑えながら歩き続けた。新しい町に着いて、知らない町並みを歩くのはいつも新鮮な気持ちになるのだが、いつもは宿を探しながら、キョロキョロしながら新しい町を歩いているので、今日みたいに既に勝ち名乗りを上げて目指す宿に向かうのはとても気持ちよかった。

 しかし、良い事はそう続かない。ツーリストインフォメーションのスタッフが丁寧に書いてくれた地図は間違っていた。私が道を間違えたのではなく、明らかにスタッフが間違えている。実際に存在しない道が私の手の中の、彼が書いた紙の地図には存在し、彼の地図に存在しない交差点交差点や路地が、私の目の前に次々と現れたユースホステルのスタッフには「あと20分で行くから!」などと言ってしまった事を後悔した。ツーリストインフォメーションで余裕をかまして情報収集をしたせいで、5分のロス。そして道に迷ってもう30分近く旧市街をさまよっている。目指すユースホステルは名前と電話番号しか教えてもらっていなかったので、住所からなんとかたどり着くのは不可能だった。電話でベットの空きを尋ねる事ができても、行き方を電話で尋ねるには語学力が無さ過ぎた。それに今、自分が旧市街のどこをさまよっているのかわからないので、それをどう英語で説明するかも無理があった。さて、こうしている間にも最後のベットが誰かの手に渡ってしまわないか心配だった。冬の太陽は17時を回り、既に建物の影に入ってしまい、せまい旧市街の道路は街灯の明かりの方が明るくなりなり始めていた。今までの勝ち誇った勢いが一気に消えてなくなってしまう−そんな感じだった。日が陰ったフィレンツェは一気に気温が下がっていった。

 とりあえず、頭の中でフィレンツェの地図を思い浮かべて、自分がだいたい居るであろう場所と、ツーリストツーリストインフォメーションでスタッフが教えてくれたユースホステルの場所を思い浮かべた。彼が教えてくれた地図は正確ではなかったものの、方向はそんなに間違ってはいないハズだ。それをインフォメーションでもらった地図に照らし合わせてユースホステルがあるだろうと思われる方向に歩き出した。なに、トラブルらしいトラブルではない。幸運な事に町の地図は入手できているし、宿にも電話は出来ている。パーツはそろっているので、あとはこれをつなげれば、この問題は解決できるハズだ。いくつかのそれらしい建物を見つけては、入り口の看板の名前を見てがっかりしたのだが、4つ目のそれらしい重厚な建物を見つけ、建物に似つかわしくない小さな入り口にユースホステルのマークと「Ostello Santa Monaca」の看板を見つけた。ツーリストインフォメーションを出てからかれこれ40分が過ぎていた。

 扉を押し、付けてある鈴がカランと小さなフロントに響いた。気温が下がり、体が冷え始めていたので、建物の中の温かさがありがたかった。その鈴の音を聞いて奥から若い男のスタッフが出てきた。きっと電話に出てくれた男性だろう。「さきほど、電話した者ですが・・・」と申し訳なさそうに切り出すと、ちゃんとベットは取っておいてくれたようで、宿泊者カードに名前を記入すると、ベットまで案内してくれた。途中で道に迷ったから遅くなったんだと言うと、「旧市街が道がわかりにくいから、迷う人が多いんだ。キミも来るのが遅かったから、たぶん迷っているんだろうと思ってた。」との事。そこまで気を使ってくれていたのはありがたい。廊下を歩いて、奥の部屋の2段ベットが並ぶ部屋の奥のベットの1段目が私の場所だった。
 やれやれ−ため息をつきながらベットにバックパックを置き、荷物を出していると掃除機を持ってユースホステルのスタッフが部屋に入ってきた。
『ん?掃除でもし忘れたのかな?』
ユースホステルは10時〜15時は宿泊している人ですら建物を追い出され、昼間の間は建物から閉め出される仕組みである。その間にスタッフは部屋の掃除をしたり、休憩をしたりしているので、こんな夕方に掃除機を持ってスタッフが掃除にくるのは意外だった。そのスタッフは私の肩を叩き、「遅かったわね、道に迷ったんでしょ、どうせ。」と話しかけてきた。そのスタッフは駅で私に電話のカードをくれたあの女性だった。私はなんとも言えない、旅の偶然に「さっきのカード、ありがとう。」と笑顔で返事をするのが精一杯だった。