私は元秘密結社まーこの部屋の組織員で、組織を追われてからは裏で特殊情報調査を請け負っている。私の所へは世界中から、調査依頼がやってくる。
今日、私の所へ来たのは、幕末の長州の桂だ。桂曰く
「幕府に任せておけば日本は滅びる。討幕こそが欧米列強からの植民地化を防ぐ唯一の道だ。しかし幕府に忠義を尽くす新撰組が我々の前に立ちはだかっている。新撰組内部に潜入して情報を提供してくれ。こちらから奇襲をかける」
との事だ。かくして新撰組本部へ潜入する事になった(はい、笑って下さい。私は頭がオカシイです(笑))。
新撰組に乗り込む前に、池田屋騒動の跡地にやってきた。いまだに血の匂いがこびりついている。討幕派の連中が京で火災を発生させ、その動乱に乗じて天皇奪取をもくろむ計画中に新撰組に襲われた事件だ。
圧倒的な兵力差と、新撰組の潜入工作により、居合わせた討幕派はほぼ壊滅した。工作プロセスを説明すると、新撰組監察山崎烝が事前に寺田屋に潜入、店員を装い、討幕派に食事を出す際、『邪魔になるでしょう』と、彼らの刀を別室に移し、その上で新撰組隊士が突入したのだ。
志士側即死7名、生捕りされ間もなく死亡した者23名。新撰組は死者2名、藤堂平助重傷。会津・彦根・桑名・松山・淀の藩兵は12名死亡、負傷者約50名。
両者共に日本の未来の為に信念を持って戦って死んでいったわけで、俺は心の中で成仏しろよと合掌した。
新撰組の屯所の門だ。
左右に歩哨している隊士の隙をついて撮影する。
歩哨の隙をついて、素早く門に接近した。
屯所はいわゆる京都の町屋のつくりの様だ。
屯所内部に潜入する。
ここがどうやら近藤勇が寝起きした部屋らしい。
新撰組の連中が、尊王派の人間を捕まえてきて拷問していた倉らしい。
拷問は苛烈を極めたという..............
やられた方はさぞかし辛かった事だろう
調査は困難を極めたが、何とか無事に脱出に成功した。
帰りに幕府側の本拠地二条城を見る。
後に15代将軍慶喜が大政奉還の決断をした場所だ。
二条城、なかなかに、立派で見事だ。
だが、戦闘用要塞としての城の機能はかなり疑問だ。
立てこもって篭城しても、大阪城の10分の1も持たないだろう。
慶喜が、一旦、大阪城に軍勢を引いたのも良く分かる。
彼が大阪城で何をしたかったのか?何のために、大阪に一旦引いたのかも謎だが。司馬遼太郎が言うように江戸時代を幕引きするために、大阪へ動いたのだろうか?
俺は桂に写真を渡し、今回の仕事を終えた。
その後、結局長州側でこの写真は使われた形跡はなく、俺の活動も歴史には影響がなかったようだ。
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