
伝説なのか真実か!日田が邪馬台国?
奈良時代の「豊後国風土記」にも登場し、日田の名称の起こりとされる「久津媛」をみなさんご存知ですか?この「久津媛」は日田の古代史のもっとも「原点」という位置にあります。「豊後風土記」の中に景行天皇の巡行説話として「神が人間となって天皇を出迎えた」と記されているその人物こそ「久津媛」であると考えられている。
「久津媛とは一体誰なのか」
◎久津媛の名前は「豊後風土記」に「景行天皇がクマソを征伐し凱旋の時、筑後国生葉の行宮を発し此の郡に幸す。 神あり久津媛と言う。 化して人となり参り迎えて国の消息を弁申す」と書かれている。
◎景行天皇はいつの時代の天皇で実在したのか?

○4世紀中頃の天皇
○景行天皇から応神天皇までは九州での活躍が描かれている。
○九州には女性の首長や女神が多数確認されている。(速津媛・御刀媛・阿蘇津媛・五馬媛・久津媛・等・・・)
「豊後風土記」成立の時期
冒頭から出てくる「豊後風土記」この書物はいつ頃のものなのか?
和銅六年(713)太政官から下された詔で編簒されたらしい
☆山・川・原野の名称の由来
☆古老の伝える旧変異事
久津媛とは・・
天照大神=卑弥呼
神功天皇=卑弥呼
ヤマトトトビモモソヒメ=卑弥呼
久津媛=卑弥呼?
みんなが卑弥呼みたい?だがその中に久津媛も上がっている。なぜ久津媛に可能性があるのか?第一にこの地での出土品だ。
日田から中国の皇帝クラスの鏡とされる「金銀錯巌朱龍文鉄鏡」(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてつきょう)や「金銀錯鉄帯鉱」(きんぎんさくてつたいこう)等が出土されている。ともに国の重要文化財として、東京国立博物館蔵となっている。
さらに日田の台地にある「吹上遺跡」や「小迫辻原遺跡」が発掘調査され日田には古代から大きな勢力の存在していた事が明らかになりつつあります。 「日田の点在する遺跡・古墳から出土されたもの」の写真はこちら
日田に点在する円墳・前方後円墳は確認されている物でも44ヶ所!古墳時代から奈良時代にかけての古墳が確認されているこの事から昔からこの日田には権力をもった者がこの地を統括していたことが伺える。
久津媛=卑弥呼のお住まい(神社)がどんなトコか行ってみよう!
現在日田の町なかも交通の便も大変よくなっていて、どこにいくにも大変便利になりました。(自分はそー思ってます・・)そんな便利になったと思える一つにこの「久津トンネル」があげられます。このトンネルのおかげで国道にススッイといけるようになり遠回りをしなくて済んでます。トンネルの横に今「久津媛」への近道があります言うなれば古代への近道(また自分の思いこみか!)ができてます。写真はこちら
階段はけっこう急で良い運動になります。上がってしまうとちょっとした広場にでます。周りが見渡せる綺麗な場所です。現在はここで「久津媛と日田の古代を語る会」の皆さんが季節を通して色々なイベントを行ってます。久津媛のお住まいはここをさらに上がって行く事・・・10分ぐらいかな道は1本道をずっと上に上がって行きます。すると・・山の頂上開けた場所に出ます。 写真はこちら
この場所に来て思うことは「スッゲー見晴らしの良い場所!」と誰もが思う事でしょう。なんたって360度のパノラマで日田市が一望できるのです!こんな見晴らしの良い場所なら、お酒でも、もって来てみんなで酒盛り・・なんて事が浮かぶぐらい最高の場所です。この場所なら卑弥呼も、もしかして日田に居たのでは?と思える程ですよ! 写真はこちら
とにかく日田には相当な力を持った権力者が存在したことは、事実でありそれが本当に卑弥呼なのか・・・それはあなた自身が目で見て感じてください。観光者の方また日田在住の方でもこの小さな旅に出る事で古代の何かを感じる事が出来ると思います。
このページをつくるにあたって内容文などは「久津媛と日田の古代を語る会」の方が作られた小冊子の文を引用している部分もあります。
幹事相良勝彦さんに、ご協力頂きました。この場を借りお礼申し上げます。