我が愛しのパソコン変歴

書き下ろし。
ここでは、私がパソコン道に落ちるまでの変な歴史を紹介する部屋です。

初めて飼ったパソコンは・・・

昭和57年(1982)?

 #のポケコンPC-1211、ピタゴラスでしょうか。



あの関数電卓エルシーメイトの発展版です。

 エルシーメイトと言えば、・・・カシオと並ぶ二大トップブランド(^^;
最初飼った関数電卓はカシオのFXシリーズでしたが、あまり好きじゃないんです。
 プログラム電卓を探していたら、#のEL-5100という大変優れた電卓に出会いました。



※大変優れた関数電卓\(^o^)/

 これは、何がすごいかというと、これ1台で、関数計算は言うに及ばず、スイッチ一つで統計計算なども出来てしまうと言う大変優れもの。
 また、入力も計算式通りに入力したり、複雑な方程式もプログラムでき、大学の試験に大助かり(゚゜)☆\バキ
(面倒な試験なので、教科書持ち込み可だったの)
 また、式や入力データの見直しもできる機能が付いていたので、見直しなどもでき、重宝しました。

 ピタゴラスは、土木や測量の計算式などのプログラムを、カセットテープに入れ計算させていました。
 プログラムを打ち込むほどでない計算式は、前述のプログラム電卓に入力し活用していました。



※厚さが違うだけでほぼ大きさは同じ。
 もう液晶が焼けちゃってますが


 それ以前は、キット販売のマイコンなんちゃらというグリーン8桁ディスプレイのパソコンとはいえない、基盤剥き出しの電卓に毛が生えたようなものをいじっていました。(^^;
 もっと小さい頃は、学研の電子ブロックなんかもいじっていました。
昔からそういうものが好きだったんですね。

昭和58年(1983)?

 パソコンらしいパソコンを入手したのは、NECのPC-8801
 当時はディスプレィと併せて100万円近く払ったような気がします。
 #のMZシリーズと購入を悩んだのですが、こちらは記憶装置(カセット)とグリーンディスプレイモニター一体型のいかにもパソコン。
 メカ少年が好きそうなデザインだったのですが、できれば仕事にも使いたいと思い、カラーが使えるのと拡張性を考慮して8801にしました。
 情けない事にカラーモニターは高額(当時のパソコンと言えば、主流はグリーンディスプレイ(^^;)で、モニター対応テレビを飼って代用。
 当時は、漢字ROMも別売りで、日本語表示もできず、雑誌のザ・ベーシック(さべ)やアスキーに載っているプログラムを入力しては悦に入っていました。
でも、Oと0の区別が解らなかったり、印刷物にけっこうバグもあったり。【笑】

 当時は、市販のほとんどのプログラムがカセットテープを使ってメモリにロード(インストール)していました。
RUNというコマンドを打ってプログラムが走ります。
でも、バグがあるとシンタックスエラーになり、返されて来ます。(/_;)
下手をすると、同じプログラムを永遠に読みつづける。いわゆる無限ループにおちいります。
そゆ時は、必殺のリセットボタン(^^;

 金の無い新入社員としては、市販のテレコを使い、ボリュームを加減しながら、シミュレーションゲームや二次元ピンボールなどのゲームで遊んでいた位です。
 また、プログラムもプロテクトがある訳でもなく、勝手にいじって、文章を大阪弁などに変えたり、バッチファイルで複数のプログラムを起動できるようにし、遊んでました。
 それから半年くらいして、憧れの無印9801が行き付けのパソコンショップで中古が出た事から8801を上司に売り付けヾ^^;; コレコレ速攻で購入。
なんと漢字ROM付き。(はあと)

 当時うちの近所のパソコンショップと言えば、NEC系列の通信会社フューチャーイン○○やパスコットインなんとかいう店で、客と言えば、パソコン少年(今で言うヲタク(^^;、当時はそんな言葉もなかったなぁ)
(゚゜)トオイメ
 ついでに、5インチ2Dのフロッピーディスクドライブ。2DDでなくて、2D!!(^▽^)なんと片面しか認識できない512KB。
しかも、フロッピー1枚安い物で1200円v(゚O゚;v
 当時の主流は8インチ(まあ、LPのような・・・今で言うレーザーディスクのような大きさですな)。主に銀行や大きな企業が使っていました。
と言う訳で、1枚ずつ購入。仲良しになった店員に箱をもらって大切にしていました。
 この外付けフロッピードライブ、パソコン本体と同じ大きさ(;^^A

 これでワープロもできるし、表計算もばっちり。(^▽^)/と言うまでにはまだ先の話。だって、太郎さんもマルチプランもようやく世に出るかどうかの時期でしたから。
 相変わらず、ベーシックとの格闘の日々でした。
しかし、当時のパソコンは一つ一つの部品をすごく丁寧に作っていました。
キーボードなんか、今のがおもちゃみたいに思えるほどです。
もっとも、金額が金額ですから、当時のようなパソコンを作っていたらいくらになるか想像もできませんね。

 その後、パソコンは一次休眠(゚゜)☆\バキ

昭和61年(1986)?

 持ち運びもできないことから、ワープロ専用機に浮気。(゚゜)☆\バキ
 会社と付き合いのある文具店でリコーのワープロMY RIPORT JP50D(これ画面が2行表示(^^;)で運用していました。



 だってぇ、当時は気軽に持ち運べるノートパソコンなんてなかったんだもの。そもそも、ノートパソコンなんて言葉さえなかった。
一般的にはラップトップパソコン。(邦訳:「膝の上パソコン」ですな)
こんなことから、ラップクラッシャー(邦訳:「膝壊し」(^^;)などという愛称を頂戴していました。
 あったとしても、百万以上だったか。プラズマディスプレィとかなんとか、オレンジ色の画面のやつですね。

 そいや、PC8821だっけかな、ハンドヘルドと言うには巨大なパソコンもありましたな。(買わなかったけど)黒のほかに、赤や白などがあり、当時としてはかなり斬新だったように思います。
 それで思い出しましたが、NSX?MSX?とかいう(なんだかホンダの車みたい)ゲーム機に毛の生えたようなパソコンがありましたね。
松田聖子がHITBIT(ヒットビット)とか宣伝していた奴。
どうなっちゃったんでしょう。【笑】

 会社と言えば、当時はNTTの端末を使用していて、記憶装置は・・・
紙テープ【爆】
 パソコン担当が、ピンク色の紙テープの山に埋もれていました。(^^;
 言語はコボル、フォートランなんかを使ってました。
 ウルトラマンで電子頭脳(爆)から吐き出されるピンク色のテープですね。あれで、文章が読めるんです。(^^;当時の担当に言わせると、慣れてくればどこが悪いのか見えるようになるんだそうです。

 プリンタはもちろん16ドットインパクトプリンタ。(^^;
 あの、チチチチチと虫が鳴いているようなプリンタですね。シートフィーダーで、枠を間違えるとえらい事になる奴です。

 当時は、個人でパソコンやワープロなんて飼う雰囲気ではなかったです。
そんな中一人でせっせとワープロで文章を作っていました。
インクリボンがもったいないので、ファックスの感熱紙を持ってきては出力し、それをコピーして切り張り。

昭和62年(1987年)

 次に買ったのがまた、リコーのJP90FX。(4.6kg内部記憶5000字)これは、48ドット、ファックス・スキャナー付きの大ヒット商品。
これで報告書をいくつか作りました。
 私につられて、上司まで飼い、普段なら徹夜するはずの仕事も、ワープロで手分けして仕上げました。
 残念だったのが、前の機種とデータ互換がなかった事。(T_T)

 互換性を云々する時代ではなかったと言え。・・・

 本当はソニーのプロデュースという、洗練されたデザインのマシンが欲しかったのですが、これ確か2インチのフロッピーで、ディスクがめちゃ高かった記憶があります。なのであきらめたのかな。(当時の雑誌を見ると、リコーの方が高かったし)プリンタ部と本体と切り離して使えるの。
 あのギミック最初はリコー(確かFX-70)が作ったんだけど、時代が早すぎてあまり売れなかったですね。
 リコーと言えば、この頃CUVAXとかいうウスウスのワープロやハンディプリンタなんかも出しました。あれも先進的でしたね。
 ウスウスワープロと言えば、エプソンのワードバンクノートなんていうのもありました。(リコーもエプソンもぷりんたー、フロッピー別売)

 ソニーというのは変わった会社ですな。3.5インチのフロッピーをドクター中松と開発しておきながら、自分の会社は、もっと小さなフロッピーを使うし。(^^;
ソニーと言えば、ほとんど使いものにならなかったハンディコピー機、飼っちゃいました。

 この頃は、システム手帳のブーム前夜。山根一眞さんの本が出る直前に、偶然入った文具店にあったハーパーハウスにひと目惚れ。
 なんでも、ギョーカイの人が使っているらしいとか。で、38,000円もしたシステム手帳を速攻で購入。(ファイロファックスは36,000円)嗚呼、ファイロファックスにしときゃよかった。(T_T)
 ま、あまり人が持っていない物だからいいか。
その後爆発的にシステム手帳が売れ、今に至っていますね。
当時は一過性のブームだと思いましたが、定着しましたね〜。
やはり、日本能率協会が仕掛けたか(;^^A

 ハーパーハウスは、色使いと人が持っていないというところがグッド。
けっこうお気に入りでした。(今もありますが)

 システム手帳が普及し過ぎたので、今度はA5サイズのタイムシステムを導入。(要はへそ曲りなんです)
今では、メモ帖でしか使っていません。(゚゚)☆\バキ(HP200LXがあるから)

 その後、山根一眞さんの本にはまり、信者となってしまった私は、続いて
入手したのが普段ならぜったい飼わないであろう (゚゜)☆\バキ カシオの
カシオワードHW300JS 1.3kg内部記憶6000字を購入。(^^;
(たぶん記号の略は、ハンディワープロ300ジスキーボード、そう言えば、50音配列キーボードなんていうのもありましたねぇ。というかカシオお得意。
電子手帳も50音配列。なんだかなぁ)



 これは、ジャストB5サイズ、プリンター付きの優れ物。
 表示は2行と小さいものの、充電式電池内蔵で出張時、講演会などに活躍しました。残念な事に記憶装置は特殊な2インチフロッピー。3.5インチのもあったけど高かった。(T_T)

 QVデジカメと言い、ワープロと言い。安いものを作らせたら負けないですね。さすが、でじたるっはぁ、かっ・し・お! by 山口百恵

 爆弾電池(電子工作で作成)を作り、出張時に助かりました。
通信なんかできないけど。

 会社にNECの9801Vmなんてのを買わせました。けっこう売れたマシンだったと記憶しています。
 一太郎やロータス123は、この頃フロッピー1〜2枚で動いていたんですね〜。
松なんてのもあったり、DBでは桐やファラオなんてのもありました。
表計算の定番はマルチプランでしたね。R1C1とか(^^;
どこ行っちゃったんでしょうか。
とにかくこの頃は、ソフトも様々な種類が出ましたね。

 かくいう私はFEPはVJE派、ワープロソフトはVzEDITOR。

 しかし、昼休みはゲームマシンと化してました。
みんなで、ゴルフやシミュレーションゲームや信長の野望(CGなし)を交代でやってましたから。
 そうそう、テトリスなんてのもはやりましたね。

驚異の電子手帳が発売。

時を前後して確か昭和63年(1988)か?

#から、電子手帳PA−7000が発売されました。
速攻で入手したのは言うまでもありません。(^^;
 カシオも出していましたが、嫌いな50音配列だったのと、拡張性を考慮して#に軍配。(^^)/カシオはクローズドの環境。それに比べ、#のはカード、プリンタ、飼いませんでしたが、フロッピードライブなど、さまざまな周辺機器を接続できるし、将来拡張・発展が可能だったことなどが大差を付けた勝因でしょう。



 カードも拡張用電話帳、国語辞典、英会話、和英・英和辞典、技術計算、科学用語、ゴルフゲーム、テトリス・・・
もう飼いまくり。

 ソニーのパーム(PTC-500,1990発売)も出ましたが、大きすぎて手を出しませんでした。(ソニーフリークなんですが、パソコンとの連携や大きさなどを考えてやめました)
 そう言えば、NECからは、電子手帳EDが出ましたね。似顔絵のモンタージュができるという売り。筐体は好みでしたが、手は出しませんでした。
 また、京セラ?からは、大々的に売り出したシステム手帳型電子手帳Refalo(1990)なんてのもありました。これはカードに記録されたソフト、123などを提供し差し替えて使うように考えたもの。出版社などと提携し辞書や小説なんかを販売する壮大な構想だったのですが、こけましたねー。(^^;
 東芝からはXTENDかな。RUPOとの互換性を持たせた巨大な電子手帳。
手書き入力を採用。やはりカードで123が走るようになっていたと思います。値段の高さがあだになったのではないかな。

ディスカウントの日替わりでPA-6000(ウスウス)の奴を購入。
システム手帳にはさんで使ってました。
PA-8500、PA-7500、PA-9500DBZなどといちお出るのは次々にゲット(笑)
さすがに、巨大ななんちゃらF1?は飼わずに、PI-3000を購入。
は、後の話。

平成元年(1989年)

だったかな。東芝から掟破りの198,000円のダイナブックJ-3100ssが出ましたね〜。世界初のノートパソコン!!衝撃的でした。
それ以前はラップトップパソコンなんて呼ばれていました。
 しかし、時代の潮流はNEC。
どこの会社も旧八を使っていて、他社製品とは互換性がないので、残念ながら、個人的には萌えませんでした。

 遅れること半年?大江千里が宣伝していた、旧八ノートがついに出ました。98NOTE PC-9801N

平成2年(1990年)

 で、自分は、次に出た20MBのハードディスクを内蔵の9801SX(型番NS20)を購入。色々そろえて60万くらい(^^;



 発表と同時に予約。納期は遅れるわでえらいことでした。(販売店いわく、N納期、E延滞、Cカンパニー)
おまけに初期不良で交換。(;_;)飼って一週間くらいで画面中央部分の横に線、まあ、液晶切れですな。

 新幹線通勤で活躍しました。いやぁ、若かったな。本体約3KG、拳骨大容量バッテリーなんてのも1KG近くあったんじゃないかな。(^^;
 しかし、その間鞄のベルトがジョイント部から(゚゜)☆\バキっと折れ、取っ手部分も壊れてしまいました。
 当時はモバイル専用鞄なんか特殊なパソコンしか販売されていなかったし。



※ちょっと重すぎ。大容量バッテリ(^^;
 新幹線の車内でけっこう仕事してました。会社だと電話や会議で仕事にならなかったので。【逝】

 その会社は、MACを中心にLANが組んであり、非力な旧八ノオトでは主にロータス123とVzエディターを使って、顧客管理DBやグラフィックはMACと使い分けていました。
 LANの便利さを認識した次第です。
おまけに、MACは高かった。SE30なんて確か70万位だったもんね。
 でも、すごく洗練されたデザインで、オフィスに置いていても絵になりました。特に受け付けなどに置いてあると、外資系の洒落たオフィスのようで、それだけで騙せます。(゚゜)☆\バキ
 MACなんか、他社のパソコンがDOSの呪文を唱えつつ使用していた頃に既にGUI環境を持っていて、私が初めて触った時の感想は、「なんだ、このパソコンなら、小学性でも使えるじゃん」でした。
おまけにグラフィックなども優れており、しかもしゃべる。(^^;

 WINDOWSがこの機能に近づくのは平成7年(WINDOWS95)まで待たなければなりません。

 また、会社内で通信システムを組んでありましたので、自宅や出張先から2400BPSのポケットモデム(^^;で仕事のやりくりをしたり、出張報告をメールするなど、かなり情報化が進んでいました。
 まあ、文字情報だけなのでけっこう、受信中に流し読みができました。
今でこそISDN端末があちこちにありますが、ホテルの電話をばらしてデータ送信したり。音響カップラー(受話器みたいの)を使って送信したり。でも、あれ外の音を拾っちゃうから、気づくと文字化け。(;_;)
 最新鋭ホテルとうたわれたホテルの内線電話が繋がらずに調べて見たらトーンじゃなくパルスだったり。色々な場所でアクセクもとい、アクセスしました。

 助かったのは、新幹線通勤だったので、台風など会社に行けない時でも、自宅と会社をオンライン(DOSベース)で結び、情報交換ができた事で、リモートオフィス(サテライトオフィス)の走りのような事ができたのです。

 この頃から、本社のシステム担当とチャットなんかもやってました。(^^;

 東京に勤務していた時、丁度弁当箱のような98HAが出たのですが、アーキテクチャーが違ったので流石に落ちませんでした。
大きさ的には、話題になったんですけどね。
キーはちょっと電卓風。(^^;このマシン、色が確か黒のほかに、アイボリーと赤なんかも合って斬新でしたが、旧八完全互換でなかったのが仇になり、最近では謎ぱ〜機(謎のパーソナルマシン)とか悲劇のマシンなどと呼ばれており、マニアックな一部のファンの間で取引されているような。

 HP95LXというマシンがパソコン誌に紹介されたのはそれからしばらく経ってからです。
 電卓風の大きさでロータス123が標準で付いてくるという事でしたが、外人であるということ、まだ日本語化も進まないということ。メモリはカードで拡張すること。全体でも洒落にならなほど高い。というσ(^^)ワタシには高値の花でした。
 今思えば、当時DOS版LOTUS123が単体で98,000円もしたんですから、買ってもよかったかなと後悔しています。

 その後、事情があって別の会社に代わり、そこではパソコンの知識を生かして当時はまだ珍しかったWINDOWS286を導入させました。
 個人的にはMACのLCを購入。LCは当時40万円。
 会社で飼った9801FAは17インチディスプレイを付けて60〜70万円位。
だいぶ安くなってきましたね。
 MACでGUI環境とEXCELの素晴らしさを旧八でもということで、会社にこれからはWINDOWSの時代だからと強引にEXCEL2.1を買わせました。(^^;
 また、MACで使っていたALDUS(現アドビ) PAGEMAKERも従来の壱太郎にはない自由性、印刷業者へのデータの引渡の容易さから、悪魔のささやきで導入に成功。(^^;
 所詮、画像描画に弱い386や486マシンでDTPを動かそうという愚かな話で・・・よく固まりました。
 WINDOWS3.1だったかな。DAとかFAメモリ積んで。
 また、ハードディスクも100MBが出たばかりだったですね。
でも、その後の会社の基本ソフトとなったので、結果オーライで。

 IBMが小さなマシンを出すらしいという業界やネットワークでの噂に興味がありました。その名は、ThinkPad220(1993)
乾電池駆動でしかも約1キロ。
その前のPS55noteには揺れませんでしたが、220・・・・
LCのローンが残っていたので飼うまでには至りませんでした。(゚゜)☆\バキ
(後日念願の220を入手)

 そのうち、TP230Csという、DSTNですが、カラー液晶を備え、ハードディスク260MB・・・買っちゃいました。
この優れた点は、大きさもさることながら、単3電池8本で駆動するんです。(ま、非常用ですが)
 今のノートパソコンで、電池で駆動するものがあります?PDAとかは別よ。



 この頃から、WINDOWS3.1という、少しはましなGUI環境を持ち、旧八との互換性をデータベースでも持ったので、社内のデータも円滑に交換出来るようになったので、DOS/V機に倉替え。(^^;

 但し、このTP230Cs、外では見えません。(/_;)電車の中でも見えないのです。
 そこで登場したのが山根一眞氏絶賛の#のWV-200!!!
これ、優れ物でした。大きさはB5サイズで、ウスウス大画面。
書院ワープロの携帯版。
 パソコン通信はできるし、ザウルスとの互換もある程度確保されてて、なんと言ってもすごいのは、単三電池4本で20時間近くも動いてくれます。
ちょっと残念なのが、データのメモリカードがSRAMで高価。
でも、繋ぎとしては活躍してくれました。
値段も破格の49,800円。次世代のWV-250が出ていたからです。
使いはしませんでしたが、手書き認識もできたのです。紐付だけど。

 携帯マシンは、PI-3000(ザウルス)から、PI-5000FX(アクセスザウルス1994)に変わりました。
ザウルスがパソコン通信機能を持ったのです。
 でも、ザウルスからニフティに2400bpsでアクセスするのは、かったるいし、主に専用のデータやソフトのDL(ダウンロード)に使っていました。
 ただし、あの大きさで、いつでもどこでも通信できたり、メールの受信、返信ができるのは魅力でした。
お絵描き帳は、公衆電話での殴り描きメモに役立ちました。
ということで、システム手帳は、この頃から使わなくなってきました。

 HP200LX(1994)もこの頃発売されていたと思います。
前々から気になってはいましたが、知り合いのパソコンショップの人は、「日本語化が面倒。DOSを知らないと使えない。周辺機器を含めてもまだ高いよ」との意見を素直に受けて、カタログを眺めてはタメイキをついていました。オカヤ・システムさんからJKITが出たんですけどねぇ。

 スケジューラー、アドレス、データベースともに、パソコンから電子手帳〜ザウルスへと受け継いできました。

 この頃には、デヂカメがいよいよ一般にも買える価格になってきました。そうですカシオが35,000円位でQV-10(1995)を出しました。デヂカメが身近になったのです。しかし、25万画素とお世辞にも優れた画質とまでは行きませんでしたので、会社に買わせたのがリコーのDC−2L。
 35万画素が一般的な世界にあって、唯一の41万画素。(実有効38万画素)また、PCMCIAカード・・・フラッシュカードが使えるのも便利でした。

平成8年(1996)
11月

 ここで購入したのがリブレット30。リブレット20が出て短いサイクルで450MBのリブレット30の発売。すぐに飛び付きました。(^^;
 しかし、2ヶ月後の1997年1月・・・・なんと音声、モニタ出力を持ったリブレット50が出ました。(;_;)(_; )(; )( )( ;)( ;_)/



 まぁ、ショックな事は言うまでもありませんが、そこはそれこの業界の常。

 あれこれ悩む間に、ケータイ小物業界に新たな話題が生まれました。
ザウルスがカラーになったのです。通称カラザウ
ケータイ小物ふぇちな私はすぐに飛び付きました。
インターネットができる。デジカメが使える。
しかし、巨大。(;^^A
インクワープロと言う新たなソフトも加わり、これだけで仕事が出来る。
と思ったのも束の間。・・・・
長年培って来たデータが機能が豊富になった分うまく互換性が取れなくなりました。
おまけに、期待していたインクワープロ他機能がタコ。(/_;)
ダメダメなんです。ストレスが溜まって溜まって。
また、デジカメも27万画素・・・お世辞にもきれいとは言えません。
確認する程度。
(その後はだいぶ進化していると言うことですが(^^;)

 そんな中。書店でHP200LXバイエルという一冊の本に出会いました。
HP200LX・・・HP95LX、HP100LXとその存在は気になる物ではありましたが、なかなか購入に踏み切るまではいきませんでした。
 また、HP200LXバイブルなる本を手に取って見ても、なんだか敷居が高いような気がしてなかなか飼うまでにはいたらなかったものが前述のカラザウ導入の失敗とバイエルの出会い。により、急速に目が出てきました。(^^;

バイエルは書店の日参で立ち読み全ページ読破。ヾ^^;; コレコレ
(その後購入したのでご安心を)
そこからが苦悶の毎日。
 大きさを確認するため寸法に合わせ箱でモデルを作ったり、昔の#のポケコンを持ち出してタッチタイピングのシミュレーション。(^^;
 バイエル購入後、バイブル、ソフトウエアバイブル、文型ユーザーのための200LX、HP200LXやさしい活用法のすべて。・・・・
 入手出来る限りのHP200LX本を購入し、モチベーションを高めました。(^^;
残念ながら伝説の百徹本(HP100LX徹底活用ブック)は既に絶版でした。

ニフティサーブのFHPPCも巡回。

 初めて購入するにあたり、検討したのは新宿アドホック(通称新宿教会)か秋葉原のPSプラザ若松(若松通商)どちらにしようかとの事です。
 この頃、地元のパソコンショップでは200LXのコーナーが消えてました。
(;_;)取れることは、取れるのですが。残念でした。周辺機器やソフトなどかなり充実していたんですけど。

ターゲットは3月東京出張に合せゲットです。(^^;

12月
 その間の手持ち無沙汰をIBMのチップカードVW-200(いわゆるPHSのデータスコープの開発ベースとなった伝説的なマシン)を購入。



※右はNTT DOCOMO N-501i

 これはこれで、ニフティの巡回ログを切り入れて持ち運びしながら読んだり、タイマーやスケジューラーなどに使っていました。
が、なにせポケベル用の電池で、1ヶ月も持ちません。おまけに、空気にふれたら勝手に電池がなくなってしまうのです。これには参りました。
 おまけにFHPPCなど発言が多い会議室は、一度ではメモリに入れられないのです。




平成9年(1997)

 出張を予定していた3月、HP200LXのマイナーバージョンアップである4MBモデルが出る頃でした。
 最初は、4MBモデルにしようか、それとも、若松改造モデル(6MB、2倍速)にしようか。
 標準速から入って倍速改造と言うのが、いわゆるLXer(れくさー)の通るまっとうな道である事は承知していました。また、その方が、ありがたみが体感出来るとも。しかし、改造に手放す1週間、スケジューラーもアドレスもなしには生きて行けません。掟破りは覚悟の上。ついにPSプラザ若松でHP200LX6MB2倍速改造、いわゆる癈人モデルを購入。
 メモリは当時普及していたエプソンフラッシュカードJKITモデルの大容量40MB。ケーブルやケースなど併せて20万円v(゚O゚;v



 リブレットなどとほぼ同じ、いやそれよりも高い。(-"-)ウーン
 設定は、親切な若松の店長さんが、あっと言う間に設定してくれました。
改造モデルなので、リセット時に画面が流れてしまうんですね。
その辺を色々教えてもらいました。

 秋葉原を巡回して、モービル専科で200LX用カードライトを購入。チチブ電気でリブレット用パーツを。TZONEミナミで、光の辞典とたぶんその頃には入手困難であった「HP100・200LXをVZで活用する本」(復刻されています)を購入。

 帰りの新幹線で、いろいろいじっては、キーの打ちやすさ、アポイント(スケジューラー)やアドレスの便利さなど、あっと言う間に静岡に着きました。

 1990年頃からVzエディターとフリーソフトのFD(ファイル管理ツール)を使っていた自分は、翌日会社に出社するなり今までザウルスまで進化した過去のデータをエクセル経由でフリーソフトを使いあっと言う間に変換完了。\(^o^)/
なんだ、めちゃ簡単。(はっぴー)
 それから、通信ソフトのKTXはじめLXerの先人達が開発してくれた様々なソフトを入れては出し、出しては入れるの毎日でした。

 ニフティサーブのFHPPC(フォーラム)にもご挨拶。
 知らぬ間に、よそのフォーラムから恐れられている2番・・・フリートークの部屋に召喚され、居着いちゃいました。(^^;

LXは魔物です。

 この単三電池二本駆動の可愛い手のひらパソコン(PDAと言う人もいますが、私はあえてパソコンと呼んでいます)ですが、魔物です。
HP200LXの使いこなしは、さまざまな方が行っていますので、参考にしてください。(インターネットを検索するとかなりヒットするはずです)

4月
 HP200LXを入手して1ヵ月後、ひょんなことから地元のパソコンショップで、いわゆる最後の店頭販売であると思われる憧れのTP220をなんと\39,800(PC-DOS7.0もおまけで付けてくれました)で購入。いいわ〜。これ。単三6本で動くパソコン。(^▽^)/



200LXの母艦として働いてもらいましょう。
 静岡のTZONEで、インテグラン(現3COM)カードモデムXJ-2144を購入。200LXが通信機器を手に入れました。これでどこでも通信ができます。

5月
 綾しいマシン、コンパックのコンチュラAERO4/25(モノクロ)を知り合いのパソコンショップの店長から安くいただきました。



 側はきゃしゃですが、キータッチはすごくよく、しばらくいじりまくりました。
が、いかんせん先方さんが使わなくて押し入れに放り込んでおいたので,バッテリーが死んでいます。(T_T)良いマシンなんですけどね。

6月
 覚悟を決めてHP200LXを購入してから3ヶ月目。いわゆる夏ボー時期(^^;
2台目の200LXを導入してしまいました。予備マシンと言う奴です。
と、言うのも「これほど使いやすいパソコンはない!!」です。
 また、壊れてしまったら困る。という理由から、予備マシン導入に踏み切りました。常に進化しつづけるパソコン業界で、予備に同じ物を飼わせる(買いたくなる)というマシンは、個人的には200LXが最初で最後だと思います。

 また、同時に悪魔のささやきがネットワークを通じて出て来たのです。
 IBMのパームトップパソコンPT-110(通称ウルトラマンP)が値崩れしているらしい。



 そうなのです。TP220の開発にあたって試作されたVHSカセットサイズモデル。この後継と噂されていた世界最小(当時)のDOS/Vパソコンです。
発売当時は価格20万円以上。カードHDD内蔵ウインドウス3.1モデルは言わずもがな。当時はスーパーブックを入手するのみで我慢していましたが、憧れのPT-110がなんと39,800円でTZONEあたりで売られているらしいとの情報。
本来は200LXの予備マシン購入に用意した金を、カード分割にして(゚゜)☆\バキ
PT-110をゲットしました。

7月
 また、ネットワーク情報から、入手困難だと思われたPT-110用ポートリプリケーター(通称ポトリ)・・・母艦とのネットワークを行ったり、モニタ出力、フロッピーも使える拡張ユニットなのです。フロッピーはTP230CsやTP220の付属のが使えます。

 PT110は世界最小486パソコン(A6ファイルサイズ)と歌われまして話題になったのですが、その直後windows95が発売され、結局発展しないままリブレットにやられてしまった不運なパソコンです。(;_;)
 もっとも、IBMらしい丁寧な作り、HP200LXを研究して作ったと言われているキーボードや内臓ソフト。(丁寧なことに、HP200LXから乗り換えても良いように、データ変換ソフトまでついていました。
 ジュラルミンのボディと妙にタッチの良い肌触り。
保護してあげました。(^^;

 これにはWINDOWS3.1を最小の稼動用にシェイプアップさせ、フラッシュカードに入れて使用。
 HP200LXのカードは?と、お思いでしょうが、初期に導入した40MBのカードは、HP200LXには重くて(動きが遅い)反応がいまいちだったので、アドホックさんで大量に売られていた20MBのカードを買っちゃいました。
これで、HP200LXとの2台お出かけマシンが誕生しました。\(^o^)/

 リブレットはどうしたかですか。・・・ちゃんと通信用端末として健在です。

10月
 常々興味があったモバイルギアFOR DOS(通称DOSモバ)のNTTバージョン。(通称ドコモバ)これもネットワークを通じて14,800円で売っているとの情報を入手。埼玉の方のドコモショップで購入しました。



 モバギは、巨大な事を除けば単三2本駆動。ノートパソコンに近いラージキーボードを採用のすこぶる快適なマシンです。
 HP200LXの外付けキーボード代わりに使う事にします。ということで、DOS化をすませ(モバイルギアは、NEC独自のソフトで動いており、先人達がDOS化してDOSソフトが走るようになった。感謝)
モバイルギア純正のソフトは使ったことがなく、常時DOSモードで運用しています。

FDとVz。FEPはWX3を導入して快適入力環境が確保されました。

11月
 一方、デヂカメは、キャノンのPS350をパソコンショップオープニング特価の破格で購入。

平成10年(1998)
1月

 でもすぐに手放し、なんと買ったときより高く売れた。\(^o^)/
SONYのサイバーショットDSC-F3(35万画素)を購入。(現存)

2月
 ソニーから綾しいウスウスマシンが出て爆発的に売れているとの話題が広がり、IBM党だった私は、TP535にしようか、ライオスのちゃんどら(TP220の純正後継)にしようかとの悩みも吹き飛び、VAIO無印505を入手していました。(^^;(505の発売は1997年11月)



 従来のパソコンにはないおしゃれなデザイン。ウスウス。一目ぼれで、即購入。\(^o^)/
 しかし、移動は相変わらずHP200LXです。(^^;

平成11年(1999)
3月

 デヂカメもオリンパスのキャメディア1400LXを購入。
これは、優れ物。130万画素ですが一眼レフ。市販のフィルターが使える。しかし大きい、液晶モニタが汚い。で、(10か月後に嫁に逝きました(-ハ-)南無・・・・)

6月
 そんなこんなで、何のこっちゃ
要塞(タワー)がほしくなり、VAIO510を購入。

1999年夏。
 並入るCEマシンの中でも洗練されたデザイン、大きさなどから発売当初から話題になったジョルナダ680。
 320LX〜620LXと進化しつづけ、完成の域に達した680シリーズは、新たにジョルナダという名前をいただき、LXという名前がついに消えてしまいました。LXのLはロータス社のLだという話。離婚したのね。(;_;)
(CEが売れてないという、突っ込みはなしね(^^;)
 しかし、特殊な仕様のパソコン。DOSは使えないという理由から、デザイン的に美しいものの、食指は動きませんでした。

10月
 この時期、我が愛機HP200LXの生産が打ち切りになるというネットワークでの情報。
今までも何度かそのような噂が流れて来ましたが、今度はまじらしい。
こりゃ、まずいと思い、早速予備予備マシンを手配。流石に2台購入する金もなく、泣く泣く200LX1台のみ確保した次第であります。
 なぜ生産を打ち切る事になったか・・・部品の入手、製造コスト。
それにWINDOWSCEの台頭などです。
 しかし、5年近くも製造してくれたヒューレット・パッカード社に感謝感謝。
だって、パソコンなら3ヶ月もしないで次々モデルチェンジするんだもん。

平成12年(2000)
3月

 携帯小物は特にHP200LX以降萌えるものもなく、デヂカメはデザインからリコーのRDC-5300に買い替え。230万画素。(゚゜)☆\バキ



 だって、赤瀬川源平さんを起用し、いかにも高級コンパクトカメラっぽかったから。ちょっと早まったのがISO100相当で、暗いのに弱い事。(/_;)
 まあ、外付けストロボが使えるし、インターバル撮影ができるので、よしとしましょう。

 同時に96MBのCFカードを購入。そうです、HP200LXにマイペディアを入れたのです。このほかに広辞苑、光の辞典、現代用語の基礎知識などを導入、いっきょに賢いHP200LXになりました。

7月
 夏に衝撃のデジタルIXYを衝動買い。(゚゜)☆\バキ



これ、良いわ。反応は早いし、何分大きさが、煙草といっしょの大きさ。
おでかけカメラには最適です。
 おまけに、キャノンのデジタルキャンペーンに応募したら、ヘッドホンステレオが当たりました(^o^)/

9月
 ひょんな事から、私の手元には気になる存在ではあったHP社のJORNADA
680
、ジョルナダが・・・(^^;



 かくして、私のパソコン変暦はジョルナダ導入記へと続きます。

11月下旬
 あはは、ものくり飼っちゃいました・・・(^^;
いきをひいきをひ。さるお仕事で、臨時収入〜ぅ(^o^)/
でも、忙しくて、いじっている暇が・・・(T_T)/
※ものくり・・・SONY PEG-S300・・・モノクロ版クリエ(crie)のこと
 別にカラクリPEG-S500Cがあります。



いわゆるパームOS(外人さんのマシンを日本語化したもの)であります。
これについては、別の部屋を開設する予定です。
(暇がないので、しばしお待ちを)

12月上旬
 罰があたったのか、VAIO元祖無印505改が接続不良で、固まってしまうことが多発。データも飛んでしまって、リカバリー。
 しかし、せいせいしない状況が続き、神さんに泣きつきました。(゚゜)☆\ばき

 ある、交換条件とともに、VAIO PCG-SR1C/BPを飼ってもらいました。
(もちろん、借金(゚゜)☆\ばき(゚゜)☆\ばき(゚゜)☆\ばき)

 しかし、VAIO元祖無印505のペンティアム130Mhzから僅か3年。
デスクトップ510から僅か2年で、要塞(デスクトップの事)よりも、高速で
大容量のノートとは(^^;
まあ、Intel Celeron 500Mhzなんですけどね。
さすがに、PCG-SR9C/Kまでは、頼めなかった。(゚゜)☆\ばき
 この使用感、VAIO元祖無印505との見た目比較については、別の機会
に。(これも、暇がないので、しばしお待ちを。

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