Last update : 1999/11/09
日光(にっこう)の名前の由来

男体山なんたいさんは、大己貴命おおなむちのみことまつられ(ふる)くから信仰の対象でした。
大己貴命おおなむちのみことは別名を大国主命おおくにぬしのみこと(だいこく様)といい、古事記こじきにも出てくる神様です。

天平神護2年(766年)この山に勝道上人しょうどうしょうにんが修行に訪れます。
勝道上人しょうどうしょうにんは、神秘的で美しい山を見て、この山は神霊のいる山と信じ二荒山ふたらさんと名付けました。

二荒山ふたらさんは、補陀洛山ふだらくさんから取ったとされています。「西域記さいいきき」には「山頂に池あり、その水鏡にして大河を流出す」と書かれているといいます。男体山なんたいさん中禅寺湖ちゅうぜんじこ大谷川だいやがわを、それに見立てたと言われています。中禅寺湖ちゅうぜんじこは人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、日本一高い湖です。まさに西域記さいいききにあるとおりの光景だったのでしょう。

その後、弘仁11年(820年)に弘法大師空海こうぼうだいしくうかい入山にゅうざん日光(にっこう)と改称したとされています。 このときに反対もあったということですが、空海大師くうかいだいしは「二荒」を音読みにすると「にこう」と読めると半ば強引に改称したという話を聞いたことがあります。

空海大師くうかいだいしが、改称したのではなく「二荒」を「にこう」と音読みにする人が自然と多くなり、だんだん「にっこう」に変化し、それに「日光(にっこう)」という漢字を当てたという説もあるのですが、ちょっと無理があるような気がします。

江戸時代に入り日光(にっこう)街道がつくられ、日光(にっこう)という呼称が全国に広がり確定したと言われています。

私は空海大師くうかいだいし改称説を信じています。

それは、次のように推理できるからです。空海大師くうかいだいし真言宗しんごんしゅうを日本に広めた僧です。真言宗しんごんしゅう大日如来だいにちにょらい本尊ほんぞんとしています。「大日」とは「偉大なる太陽」の意味です。 それを考えると、空海大師くうかいだいし真言宗しんごんしゅうの布教のためにも、どうしても太陽のイメージを連想させる「日光(にっこう)」にしたかったのではないのでしょうか?
また日光(にっこう)山岳信仰さんがくしんこうの地でもありますが、山岳信仰さんがくしんこう太陽信仰たいようしんこうと無縁ではありません。ご来光らいこうを山頂で迎えるというように密接な関係にあります。改称にたいする理由はいくらでも付けられるのではないのでしょうか?

また山管蛇橋やますげのじゃばし(神橋)伝説も疑問に感じます。この橋の伝説には深沙大王じんじゃだいおうが出てきますが、仏教の中で深沙大王じんじゃだいおうはインドの神が仏教に帰依きえしたとされています。空海大師くうかいだいし真言宗しんごんしゅうはインドの密教の流れを強く受けた仏教です。こんな所にも疑心暗鬼になってしまう私は疑り深い性格なのでしょう。

また奥の細道おくのほそみち松尾芭蕉まつおばしょう空海大師くうかいだいしと書いています。
参照 → 奥の細道中の日光(にっこう)
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